田山了一さんのTVドラマ批評 『No.025 仮面ティーチャー』 をアップしましたぁ。Kis-MyFt2 の荒木剛太さん主演で、日本テレビ系で放送されている深夜ドラマです。原作は週間ヤングジャンプに掲載された藤沢とおるさんのマンガです。主人公は歴史の先生ですが、問題がはびこる学校に赴任してそれを是正していくわけです。悪役との闘いのクライマックスで、先生は仮面ティーチャーに 〝変身〟 するのですね。
今回の田山さんの批評は含蓄深いですねぇ。『子供の内面の何事かを育むという目的においては 「ヒーローを正義の象徴として措定する」 ことは欠かせないが、表現することの現場においては、エネルギーを傾け得る対象とは悪役の方であり、結局のところ 「何を悪と規定するか」 しか表現者からのメッセージとなり得るものはない』 というのはその通りだと思います。時代の変化を反映するのはヒーローよりも悪役の方です。悪の定義とその造形化 (映像化) がいわゆるヒーローモノの主張となるわけです。
田山さんが書いておられるように、現在、誰もが無条件で 〝悪〟 と名指しできるのはいじめくらいかもしれません。しかし問題はいつも二項対立的な善と悪の大前提的構図を作った上で、それをどう表現するかです。単純な悪として切り捨てたのでは表現の深みは得られません。テレビの世界ではムリでしょうけど、気が滅入るほど残酷な悪を描くことは文学の世界では可能でしょうね。それは 〝ガンバレ、ガンバレ〟 の画一的大合唱になっている震災文学についても言えることだと思います。
■ 田山了一 TVドラマ批評 『No.025 仮面ティーチャー』 ■