鶴山裕司さんの 『続続・言葉と骨董 第011回 日本人が描かれたデフルト甲鉢』 をアップしましたぁ。2 日続けて美術関連のコンテンツアップです。鶴山さんは 『骨董のエセーなんて、読む人いるのかな』 とおっしゃっていますが、けっこうアクセス率高いです。多くの図版を使用した視覚的に楽しいコンテンツだからというのが理由の一つだと思います。またネット・紙媒体に限らず、鶴山さんくらいしっかりとした骨董についてのエセーをお書きになる著者が少ないからだと思います。
なにごとにも 〝好きこそものの上手なれ〟 といふ原則は当てはまりますねぇ。不肖・石川は骨董好きではありませんが、鶴山さんや露津まりいさんからせっせと耳学問的知識を仕入れています。ほかの世界と同様、旧態依然とした骨董の世界も変わりつつあります。図版や解説書が飛躍的に増加して、その気になれば誰でも的確な骨董の知識を得られるようになりました。またネット取引も活発になっています。珍しいと思っていた物が、ネットで頻繁に売買されているといふような現象が起こっているようです。
『この茶碗の 〝味〟 は素晴らしいといった骨董印象批評は、今では時代遅れだと思うんだな。骨董が一部マニアのモノだった時代ならそれでもよかったけど、情報化時代には批評も変わらざるを得ない。物書きは基本、所有している骨董自慢のために文章を書くわけじゃないから、骨董を通して何を認識把握しているのか示さないと、骨董エセーとはいえ時代の変化に取り残されると思うよ』といふ意味のことを鶴山さんはおっしゃっていました。確かにそうだと思います。石川は鶴山さんの骨董エセーを日本文化論として読んでいます。
■鶴山裕司 『続続・言葉と骨董 第011回 日本人が描かれたデフルト甲鉢』 ■