長岡しおりさんの文芸誌時評 『 No.003 小説現代 2012年10月号 』 をアップしましたぁ。今日からようやくフツ~の金魚モードに戻った感じです。で、通常運行再開一発目は、ちょい辛口批評おねぃさん、長岡しおり様の 『小説現代』 時評であります (笑)。
長岡さんの批評って、システマティックで気持ちいいですねぇ。『小説現代』 の特集は 『本当はどこにある?幸福論』 ですが、大衆小説誌ですから、本質的には男女間の幸福論という特集の枠組みです。小説の3大テーマは、『男と女』、『金』、『家族』 であります。この要素をきちんと踏まえないと大衆小説は成立しないわけであります。
で、長岡さんが論じておられるように、小説では女性が中心になりやすいです。女によって不幸になっていく男よりも、逆の方が遙かに書きやすいですね。多分、それって根源的な問題を含んでいます。この小説構造は今に始まったことぢゃないですから。鎌倉期の日記文学から、男に振り回される女性の内面文学は存在します。
男女の性差の問題ではありません。小原眞紀子さんではないですが、『女性性』といふベクトルが小説の根本を形作っているわけです。既存の制度を壊し、水のようにすべての領域に染みこんでくる女性的なもの。それは実は男性も持っている要素であるわけですが、小説はステレオタイプな人物設定の方が書きやすいですから、女性性を女性の登場人物に託すことが多いわけです。
身も蓋もない言い方ですが、金魚批評は脱構築的なわけです。ありきたりの小説作法は、どんどんそのベールを剥いでいきます。文学の原理を探究するとは、そういうことであります。
■ 長岡しおり 文芸誌時評 『 No.003 小説現代 2012年10月号 』 ■