釈照太さんの詩誌時評 『 No.006 角川 『俳句』 2012年09月号 』 をアップしましたぁ。『主宰に聞く!採る一句、採れない一句』 と題された 『実用特集』 を取り上げておられます。俳壇では当たり前のことなのですが、御存知ない方に説明しておくと、俳句の世界は結社が中心で、それぞれの結社に主催者がいらっしゃいます。主催者の方は、結社雑誌に集まって来た同人の俳句の中から秀句を選んだり、結社の句会で優秀句を選んだりされるのです。選評を添えるのはもちろん、時には添削もなさったりします。
インターネット時代になって、いろんな分野の情報が開示されるようになっています。いいことであり、また時には面倒なことでもあります。不肖・石川も、ここ半年ほどで、様々な文学ジャンルのルールといふか、掟のようなものに詳しくなりました。で、編集者としては、それをもっと明らかにしたい、はっきりさせたひといふ気持ちが湧くのであります。
もし若手の俳人、歌人さんたちが集まられることがあったら、『俳壇ってなに?』、『歌壇ってどういうところ?』といったテーマで、インタビューや座談会を開きたいなぁと思うのであります。内部にいると当たり前のことが、外部から見ると、とってもわかりにくいってことがしばしばあるのです。俳壇、歌壇はやっぱり外から見ていたのではわかりにくい。どうして師弟制度があるのか、複数の結社があるけどその決定的な違いはなにか、なぜ主催者の添削が必要なのか、それはいつまで必要なのか、なぜ俳人・歌人さんたちは、それを素直に受け入れるのかなど、お聞きしたいことが山ほどあります。
もちろんわかりにくいのは俳壇・歌壇に限ったことではありません。自由詩の詩壇も摩訶不思議であります。小説文壇もそうですね。ただ詩壇・文壇は原則個の集団で、世代間の上下のつながりや同世代間の横のつながりはありますが、とても緩いもののようです。集団で何かを守り維持しようという気風はないようです。俳壇・歌壇では何を守り、何を維持しようとしているのか、是非、その本質をといふか、本音をお聞きしたいと思ふのですぅ。
■釈照太 詩誌時評 『 No.006 角川 『俳句』 2012年09月号 』 ■