釈照太さんの詩誌時評 『No.003 角川 『俳句』 2012年06月号』 をアップしましたぁ。詩誌時評では自由詩の雑誌は超少ないのでほぼ網羅できましたが、短歌・俳句雑誌がまだまだです。詩人さんに調べてもらったのですが、短歌・俳句の商業誌はかなりの数があるんですねぇ。僕の手元にあるリストでは10誌くらいかな。ちょっと驚きです。とりあえず新たに 『角川短歌』 と 『月刊俳句界』 の時評者の方が決まりましたので、今月末か来月の頭には時評を始めたいと思います。
で、『角川俳句』 は 3 ヶ月連続で 『創刊60周年特集』 を組むんですね。すごいことであります。釈さんは 「角川 『俳句』 60周年とは、一総合誌の祝い事というよりも、俳壇マーケットの完成祝いにほかなりません」 と書いておられますが、そのとおりでしょうね。「××周年特集」 はおめでたいことですが、メディアによるお手盛り企画でもあります。祝意を寄せるにせよ、それは俳句文学の問題ではないことを作家は意識していなければならないと思います。
ミイラ取りがミイラになるという諺があります。無防備にあるカルチャーに取り込まれると、それが世界の全てだと錯覚する人間がたくさん生まれます。体制内反体制を気取る者も必ず出ますが、「じゃあ、外に出たら?」 と言われると、「いやいやそれは」 と尻込みしてしまうのが常です。会社人間が典型的な例ですが、文学の世界にもそういった人々は大勢います。当然、それは書きものにも影響を及ぼします。
釈さんによれば俳壇の若手世代は筑紫磐井氏からだそうですが、筑紫氏は 『角川俳句』 の 「自句自解に学ぶ―100俳人の代表句」 に 「もりソバのおつゆが足りぬ高濱家」 を挙げて 「ホトトギスの方々とつながりを持てたいい句」 だと書いておられるようです。でもちょっと内輪ノリのお遊びが過ぎるのではないでしょうか。もし「もりソバの」が代表句なら筑紫氏の俳句に大きな?が付きます。あてこすりなら中途半端です。外部の人間はこういった言辞を体制内反体制的と受け取ります。内向きの俳壇政治に興味が集中してしまうのはいいことではありません。
戦後、桑原武夫の俳句 『第二芸術』 論が話題になりましたが、現代の俳句は 『第二芸術』 どころではない惨状だと思います。これはメディアの責任ではありません。俳人が全責任を負わなければならない。現状はどうあれ金魚屋は俳句文学をとても重視しています。また俳壇ではなく、俳句文学について真摯に考えておられる作家さんたちを常に探し求めています。
■『No.003 角川 『俳句』 2012年06月号』URL■