金魚(齋藤都代表)さんの文芸誌時評総論 『ハヤカワ・ミステリマガジンマガジンとは』 をアップしましたぁ。あうっ、『ミステリマガジンマガジン』 があったのね、という感じです。早川書房の 『S-Fマガジン』 を取り上げている以上、『ミステリマガジンマガジン』 もいずれ取り上げることになるのは当然ですが、なぜか忘れておりました。早川さんごめんなさい。それにしても文芸誌は、すんごい量が刊行されているなぁ。奥さん、日本は文化国家でありますぅ。
「日本ではミステリは小説の一種」 であり、英米ではミステリはパズルと呼ばれ、「小説と異なる一つの独立したジャンルとして発生した」 という金魚さんの指摘は面白いですね。英米では 「演繹によって唯一の 「神」 に迫ろうとする神学のバックグラウンドによって、ほぼ例外なく 「人の死」 から始まる 「パズル」 は根本的な存在理由を持つ」ようです。
W・リンク、R・レビンソン原作の 『刑事コロンボ』 のテレビシリーズは、すばらしいミステリ・ドラマでした。コロンボ刑事は 「人の死」 のわずかな痕跡から、殺人の 「パズル」 を読み解いていきます。しかしコロンボ刑事は証拠を集め、そこから帰納的に犯罪を暴き出していくわけではありません。
コロンボ刑事は最初の一瞬で犯罪の本質を掴んで、演繹的にその構造を明らかにしていきます。彼には常に確信があるのです。その意味で、初期テレビドラマのコロンボ刑事は、ほとんど神でした。あれが欧米の本格ミステリだといえば、まったくその通りだと思います。日本ではあり得ないドラマでした。
またヴィム・ベンダース監督の映画 『ベルリン・天使の詩』 では、コロンボ役のピーター・フォークが、本人役で登場します。子供たちが 「コロンボ、コロンボ」 と彼を追いかけ回すシーンがあります。『ベルリン・天使の詩』 は、永遠の生を持つ天使が、それをなげうって、人間になるという筋書きの映画です。その媒介をするのがピーター・フォークです。
ピーター・フォークは普通は見えない天使の気配を感じることができ、天使に人間になれとすすめます。つまりピーター・フォークは、コロンボは普通の人間ではない。金魚さんのレビューを読むまで気づきませんでしたが、欧米でのコロンボ像は、きわめて神に近い存在であるのかもしれません。