山本俊則さんの美術展時評『No.013 ジャクソン・ポロック展』をアップしましたぁ。ポロックさんって最近の人ってイメージがありましたけど、今年で生誕100年なんですねぇ。1912年だから日本では大正元年生まれであります。西暦と和暦の併用って不便なようで、感覚的には有用ですねぇ。やっぱ1912年より大正元年生まれって方がイメージがわきやすいです。アメリカの1912年のイメージはないですが、和暦では大正元年生まれの人が、ワイルドで斬新な、超前衛的な絵を描くようになるなんて、ちょっと感慨深いものがあります。
そんでWikiで調べたら、ポロックさんってアメリカでは超大家なんですねぇ。ポロックさんと奥さんのリー・クラズナーさんが住んでいたニューヨークのイーストハンプトンの家は、アメリカ合衆国国定歴史建造物になってるんですって。僕は見てないけど、エド・ハリスとエイミー・マディガン主演で『ポロック2人だけのアトリエ』という映画も作られているようです。映画にまでなっちゃうなんてすごいな~。
で、山本さんの時評を読むと、ポロックさんってずいぶん繊細な方だったようです。豪快なアクションペインティングのイメージがあるから、アメリカのマッチョだとばかり思ってたんですが、ど~も違うようです。山本さんによると、ポロックがアクションペインティングの画家かどうかにも、議論の余地があるといふことです。アクションペインティングをどう定義するかによるわけですが、確かにポロックさんは、芸術作品よりも芸術行為を重要視した画家さんではなさそうですね。
アメリカっておもしろい国だな~と思います。ヘミングウェイとかフィッジェラルド、ヘンリー・ミラーなんかがアメリカ20世紀文学のイメージを作っているわけです。彼らのパブリックイメージは、ハチャメチャやったやんちゃ坊主のマッチョであります。でも作品を読むとぜんぜん違うんだなぁ。すごく繊細。女性的な面が強いところも感じます。あまり他の国の作家では見られない、外面的イメージと内面の違いですねぇ。
くだらない感想ですが、アメリカ20世紀文学って、パッとページを開くとぎっしり文字が詰まってる作品が多いです(笑)。日本文学の方が絶対的に改行が多いです。で、日本文学みたいに作家の独白的心象がえんえん書かれているかっていうと、そうでもない。かなり物質的で、物や人の描写が多くて、そこに時々作家の心象が混じり込んでくる。そういうの読むと、アメリカだな~と思います。アメリカ文学は、アメリカという国のパブリックイメージの影に隠れた、本当のアメリカの姿だと思います。もちろんポロックさんの作品もそういう種類の芸術なんでしょうねぇ。