山本俊則さんの美術展時評『N0.011 すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙』をアップしましたぁ。村山知義(ともよし)さん、なんか見たことあるお名前だなぁと思って調べたら、岩波文庫から『忍びの者』という長篇忍者小説が出ている方なんですね。時代小説、けっこう好きなので、だいぶ前に本屋で立ち読みした記憶があります。よくあるパターンの大衆小説だったので買いませんでしたが、なんでラインナップに入るのにすら敷居が高いと言われている岩波がこういう作品を文庫に入れたのか、ちょっと不思議に思ったので記憶の片隅に残っていました。いろんな意味で有名な方だったんですね。
そんでWikiでも調べてみたんですが、う~ん、正直とりとめのない経歴だなぁ(笑)。内村鑑三に師事してキリスト教者になるも棄教、その理由は村山さんがお書きになった『演劇的自叙伝』によると、昭和8年のプロレタリア運動からの転向体験と類似したものとして回想されているそうです。んんっ、こんだけじゃわからん。昭和8年、小林多喜二虐殺の年であります。そんで前衛画家・彫刻家、童話作家、挿絵作家、詩人、小説家、建築家、デザイナー、ダンサー、映画監督、劇作家、舞台装置家、演出家として活躍なさったとか。知る人ぞ知るマルチタレント作家なんでしょうが、どうも焦点を結ばない。自他共に認めるような代表作がない作家だからかもしれません。
いえね、別にマルチタレントを否定してるわけぢゃないんですよ。金魚屋は総合文学主義を基本理念に掲げていますから、ジャンル横断的な批評や創作活動をむしろ応援しています。でも一方で、それぞれのジャンルには原理があると考えます。それをふまえないとジャンル横断は上っ面をなでるだけで終わってしまう。優れた作家は自分の資質に合ったジャンルを的確に選択しているものです。あるジャンルの原理をおさえれば、それは別のジャンルにも応用が利くということではないでしょうか。もちろん人間存在は有限で時間的制約がありますから、全ジャンルを網羅することは物理的に不可能だとは思いますが。
山本さんは美術展をかなり手厳しく批判しておられるのでそのへんの理由をお聞きしたところ、「美術展には村山知義の芸術家としての定義が欠けています。最初にそれをやるべきなのです。大規模回顧展なのに、どういう仕事によってどんな影響を与えたのか、十分な検証と批判がなされていません。ただ彼が残した作品を並べただけに見えたので強い不満を覚えました。なんとなく何かありそうな作家だから取り上げた、よくわからないからとりあえず誉めておこうといった雰囲気がありました。そういういい加減な姿勢が美術館の信用を一番傷つけるのです」というお答えが戻ってきました。どうも僕が感じた、「村山さんって、結局のところ、どういう作家なの?」といふ素朴な疑問に、モノからその作家の本質に迫っていくはずの美術展も答えられていないところに、山本さんの怒りは向けられているようです。
山本さんは『生誕100年 藤牧義夫』展の直後に村山展をご覧になったので、よけい落胆されたといふか、ふつふつと怒りがこみ上げてきたようです。「村山評価は、現世を歌って踊って楽しく暮らしたい芸術家の卵さんたちにお任せする」という一文は厳しいですね。確かにイマドキの芸術家の卵さんたちの関心は、なにをするのか、すべきなのかではなく、どうやって手っ取り早くデビューするか、どこに作品を発表するかのといった点に集中しているように感じます。山本さんはそのような風潮の中で村山さんの仕事が安易に持ち上げられることに、強い怒りと危機感を抱かれたのかもしれません。