金魚さん(齋藤都代表)の『メフィスト』総評と、佐藤知恵子さんの『オール讀物 2012年2月号』時評の2本をアップしましたぁ。2日続けて金魚さんと佐藤さんのコンテンツアップであります。金魚さんは日本文学と文壇を相対化する視点から時評されており、佐藤さんはいわゆる純粋読者の視点から時評を書いておられます。時評のバリエーションが増えて石川は嬉しいでござる。ただ両者の考えは意外に近いのかもしれません。
佐藤さんとちょっとメールしたのですが、「大衆小説誌では風俗通俗小説を書けばいいとたかをくくっている作家さんは嫌いです。そういう作家さんの作品は時評では取り上げないつもりです」とのことでした。佐藤さんは、佐藤愛子さんについて「決して普通の小説をお書きになりません」と書いておられますが、なるほどそうかもしれません。愛子さんの作品には独特の読後感があります。昨日の時評で取り上げられた平岩弓枝さんといい佐藤愛子さんといい、ある信念をもって作品を書いておられる。そういった信念が大衆文学を根底で支えているのだと思います。
以前、ニクソン・フォード政権で国務長官を務めたキッシンジャー博士の講演を聴いたことがあるのですが、その中で彼は「日本の官僚天下りなどの利権構造を、アメリカは一種のタックスだと捉えている。このタックスは経済がうまく回っている時には一定の社会的認知を得られる。状況が変われば崩壊するだろう」という意味のことを言っていました。
金魚さんは「日本ではまず、あらゆるものにおいて手本となるものが一つできると、すべてが追随するのみならず、それを中心として上から下まで制度化される」と書いておられますが、まあそうですね。本の流通システムは、作家-出版社・編集者-書店・読者という構造です。しかしこのシステムは以前のようには有効に機能していません。出版不況の中で出版社・編集者の力が相対的に大きくなっていますが、それが作家と書店・読者を有効に結びつける力になっているわけでもありません。
僕自身編集者ですから、出版社・編集者の役割が重要であることを十分認識しています。しかしそれが結果に結びついていない以上、さらなるシステムの改変が必要だと思います。「本屋大賞」などは、出版社・編集者への不信感から生まれたのだと編集者は受け取った方がいいと思います。また一部の売れっ子漫画家たちは、出版社・編集者に反旗を翻して、読者と直接交流できる道を模索しつつあります。文学界の作家さんたちはおとなしいですが、彼らの中から新しい試みが生まれてくると、また少し状況を変える力の一つになるのではないかと思うのです。
僕は金魚屋の理念に賛同して管理人などやっていますが、もちろん金魚屋も作家-出版社・編集者-書店・読者というシステムを踏襲しています。しかしそれはとても単純化されています。また金魚屋は作家の個性を最も重視します。僕らが創作者って面白いなぁと思うのは、はっきりと従来とは異なる新しい試みを始めてくれるからです。文藝春秋社の創業者は作家の菊池寛で、岩波書店創業者の岩波茂雄は夏目漱石の弟子でしたが、それは偶然ではないと思います。今みたいな時代の変わり目には、創作者がその創造性を活かし、創作者主導でシステム自体を変えていく動きを見せてくれるのが一番スリリングで面白いと思うのであります。作家と出版・編集者の力をもっと有効に統合することが必要です。編集者としては、そういう面での作家の創造性もうまく引き出したいですね。