佐藤知恵子さんの『オール讀物 2011年12月号』の時評をアップしましたぁ。谷輪洋一さんから推薦していただいた方で、谷輪さん曰く「僕の秘蔵っ子だよ」ということです。ハイテンションでスピード感のある文章ですねぇ。でもポイントはズバリと批評されている。金魚屋好みの著者の方です。現在、文学金魚には18人の執筆者の方に寄稿していただいていますが、佐藤さんのような著者の方に寄稿していただけるのは嬉しいですぅ。
佐藤さんにはお会いしたことがないですが、谷輪さんに「普段も書き言葉のようなしゃべり方をされる方なんですか?」とメールでお聞きしたら、「佐藤は超キャリアウーマンです。彼女を知っている人は、ああいう文章を書く人だとは想像もしてないだろうな。職場ではそうとう恐れられてるようですよ」といふ返事が戻ってまいりました。ううっ、なんか目に浮かぶようだ(笑)。金魚屋の女性陣、コワモテの方が多いなぁ。ちなみに佐藤さんの年齢は「ひ・み・つ」ということでした。
金魚さん(齋藤都代表)が書いておられるように、『オール讀物』の版元は、芥川賞・直木賞を主催する文藝春秋社です。「純文学」をその名称の通り、仮に文学の中の最も「純」な部分、つまり文学の「本質」だと想定すると、文芸誌の中では文藝春秋社刊行の『文學界』がその頂点にあるということになります。いわゆる大衆小説では、同じく文藝春秋社刊の『オール讀物』を頂点とする文芸誌ヒエラルキーが想定されるでしょう。
こういう分析は、夏目漱石や森鷗外以下の名だたる作家たちの作品に魅了され、自分も文学の道を進もうという理想に燃えた作家さんたちには馬鹿馬鹿しく聞こえると思います。しかし以前、谷輪さんがおっしゃっていましたが、芥川賞・直木賞受賞への一番の近道は、『文學界』や『オール讀物』で新人賞を受賞することなのです。それを足がかりに地道に作品を発表し続ければ、芥川賞・直木賞はぐっと近づいてくるということです。学生の時に書いた処女作で文芸誌の新人賞と芥川賞を同時受賞して作家になるなど、宝くじに当たるようなものです。文学への理想とは別に、文学界の動かしがたい「現実」はあります。
ただこの「現実」が身に沁みると、作家は小粒になっていくように思います。いわゆる文壇政治とは、この「現実」の枠組みの中であくせくしている作家たちの活動を指します。直木賞はある程度の本の売れ行きが求められますが、純文学の世界にはそれがありません。はっきり言えば、純文学の世界でしか、「文學界」でしかその名を知られていない作家は大勢います。しかしそんなことは馬鹿馬鹿しいと作家たちは本気で言えるのでしょうか。雑誌の枠組みの中で試行錯誤を重ねるだけで、何かが大きく変わるとは思えません。文学の危機は誰もが認識しているでしょうが、足掻き方がぬるい、足りないと思います。
文学金魚もまた文学の中の最も「純」なる部分、その「本質」としての「純文学」を重視します。しかしそれは制度的なものではないと考えます。文学金魚は時に既存メディアを批判しますが、それは批判のための批判ではありません。また文学金魚は既存メディアとの対立を全く望んでいません。それは制度を補完することにしかならないからです。金魚屋が壊したいのは、いつの間にか多くの作家の心に巣くうようになった、心理的牢獄のような枠組みそのものです。制度(枠組み)を明らかにすれば、自ずとそれは変わるだろうと考えます。要はできるだけ文学そのものを見つめられるような環境を作りたいのです。