今日と明日は2日にわけて『詩とファンタジー』の時評をアップします。むかしむかし(のような気がしますが)、銀行とか病院の待合室に、『詩とメルヘン』という雑誌がよく置いてありましたが、『詩とファンタジー』はその後継誌で、アンパンマンの作者・やなせたかしさんが責任編集をされているようです。
釈照太さんの『角川俳句』に続きようやく2誌目の詩誌時評が始まったわけですが、詩誌時評は文芸誌時評に大きく水をあけられていますぞっ!。それというのも金魚屋に協力してくださっている詩人さんたちが、全然詩壇とか俳壇に興味のない方が多いからなんですけどねぇ。
会議の時に、彼らに「角川俳句とか短歌、現代詩手帖なんか読みますか?」と聞いたら、「立ち読みするくらいかな」「10年くらい手に取ってないなぁ」「現代詩手帖ってまだ出てるんだね」という答えが返ってきました。まぢでびっくらしました。そんでいーの?っておたずねしたら、「いいんじゃね?」「別に困らないけど」とまた真顔でお答えになったりして。ぬ~これでは詩誌時評がさくさく進むわけがないですなぁ、ってそんなのんきなっ!。
でも金魚屋ではフラットな視線で全文芸誌を時評して、現在の文学ジャーナリズムの特徴や問題点を捉えていこうという方針がありますので、今八方手を尽くして時評者の方を探しているところであります。特に俳句は作句人口が多いですから、主要な商業俳誌をなんとか網羅したいと画策中です。
でね、現代詩なんてジャンルはあまりに浮世離れしてて、プロパーな詩人さんというか、現代詩学者さんにまかせるしかないんですが、俳句って超びみょ~な世界ですよねぇ。不肖石川も、会議の時にテーブルに山積みになった俳誌をぱらぱらめくって読んでみたわけであります。で、んんんんん、これって文学雑誌?。うわわわ。俳人の皆様、怒らないでくださいね。でも小説と思想の世界の雑誌に慣れた門外漢から見ると、俳誌の世界ってかなり特殊に映ります。
金魚さん(齋藤都代表)は俳句が大好きで、古典を除くと富澤赤黄男・高柳重信から始まる前衛俳句がご贔屓です。金魚さんによれば、下手でも簡単に俳句を詠めるのが日本人の定義(の一つ)で、釈さんによれば、だから俳人はすぐダメになるんだといふことでした。あ、僕が言ったんじゃないですからね。近々俳句時評を始められる皆さん、そういうびみょ~な俳句の世界をわかりやすく時評してくださいっ。