金魚さん(齋藤都代表)の光文社刊ミステリー専門誌『ジャーロ』の総評をアップしました。時評コンテンツが続々アップされているのは嬉しい限りです。原稿が遅れている皆さんはとっとと書いてメールするようにっ!。催促はしませんぞ。そんで4月になりましたので、インタビューと小説の新コンテンツも近々アップする予定です。読んでねっ!。
4月1日はエイプリル・フールで、翻訳すると「四月馬鹿」になるそうです。すんげぇ直訳じゃん、なんか違うなぁと感じるのは僕だけ?。でもまあ文学金魚もスタートから20日ほどたち、月が変わって4月1日を迎えられたので、これはこれで目出度いかと。そんで今日は僕の馬鹿話ですぅ。
僕が金魚さんに文学金魚の管理人の話を持ちかけられたのは1年ほど前で、それからスカイプ会議や実際の会合で様々な執筆者の方々にお会いしました。「ど~しようかな~めんどうだな~」と思っていたのですが、引き受けることにした理由は単純で、「面白そうだから」。
文学は社会と密接に関係していますので、厳しい社会状況のときには文学も行き詰まります。なんとかこの閉塞状況を打開しようと作家も編集者も頑張っているのですが、なかなか光は見えてこない。むしろ状況は悪くなるばかりです。文芸誌は優れた作家や作品を年々生み出せなくなっています。文学以外の話題が売上を後押しし、たまに出るベストセラーは文壇とはあまり関係のない作家の作品が多くなっています。
そんな中、「既存システムとは異なる文学拠点を作ろう」「厳しい状況だからこそ文学を原理的に問い直そう」という金魚さんを中心とする文学金魚の方針に僕は共感しました。個々に孤立した雑誌文化を守る時代は終わっていると思います。文学ジャンルでも同じことです。作家だから詩はわからない、詩人だから小説は読まない、歌人・俳人だから結社のことだけ気にしていればいいというのは実に奇妙です。21世紀の知は間違いなくグローバル化すると思います。従来の百科全書的な知ではなく、インターネット的、リゾーム的な知が必要とされるでしょう。専門分野はあるにせよ、文学全体に関する知見を有していなければ、文学者は文学の専門家ではなくなると思います。
とまぁ、そ~いう具合に僕は洗脳されていったわけです(笑)。でも会議などを重ねるうちに、「文学金魚、もしかするとイケルかも」と思ったのも確かです。これは四月馬鹿ですかね~。でも面白そうなことにはとりあえず乗っかってみないとね。文学金魚執筆者の皆様、石川は先見の明があったな~と言われるように頑張ってくださいっ!。