美術文明史家。多摩美術大学芸術学科教授・芸術人類学研究所所長。早稲田大学大学院修了後、アイルランド、ダブリン大学トリニティ・カレッジに留学。処女作『ケルト/装飾的思考』で、わが国におけるケルト・ブームの火付け役を果たす。西はアイルランド、スコットランド、ブルターニュから、東は黒海、ウクライナまで「ケルト文明」の探査、そしてウズベキスタンや内モンゴルなど、ユーラシア文明の「装飾・デザイン」交流史を追跡。日本の文様を世界性の中に置き直す研究も進める。著書に『ケルト/装飾的思考』『ケルト美術』(ちくま学芸文庫)、『装飾する魂』『ジョイスとケルト世界』『京都異国遺産』(平凡社)、『装飾の神話学』『ケルトの歴史』(河出書房新社)、『「装飾」の美術文明史』(NHK出版)、『黄金と生命』(講談社)、『阿修羅のジュエリー』(イースト・プレス)など多数。ドキュメンタリー映画『地球交響曲第1番』(龍村仁監督)でアイルランドの歌姫エンヤと共演。
鶴岡真弓氏の講座には、大勢の聴衆が集まる。そこには必ずしもアカデミズムとは関係のない、一般の方々も多く含まれている。講義はまるで音楽コンサートのように心が浮き立ち、なかば夢のようでもある。聞く者は思考と言葉が奏でる旋律とともに、ケルト、日本、ユーラシアなど世界各地を旅することができる。それは単なる地図の旅ではない。はるか昔の文化の古層を訪れ、不思議な生命の響き合いから、現在に連なる驚異のお土産まで手渡される時間旅行だ。考え得るかぎりの最高に贅沢な旅に、人々が集まるのももっともである。
文学金魚編集部
―――シェークスピア劇を上演したグローブ座の「箱」や観客のあり方を考えると、舞台すなわち上演する場そのものも、同心円やスパイラルとして捉えられるように思えます。
鶴岡 劇場で観客が望むことは2つありますね。まず平和と興奮、それと同時に別世界に転がり出ること。シェークスピアのめくるめく言葉は、ほとんど秒速で反転します。それに見合う劇場としてグローブ座というのは世界性を映し出すと同時に、常に転がって反転し、満月が闇夜になる、というのを見せてくれていたと。そこのところが一番のポイントであって、ポピュラリティを獲得していったわけです。
―――シェークスピア人気の秘密は、ケルト文化という古層にあったんですね。
鶴岡 オッド・ナンバー。奇数。奇妙な、余計な数。1と2で安定していた世界、たとえば二人の世界が、三人め、3つめを入れると反転するわけです。第三の場所や、第三の存在を入れたとたん、バランスを崩して世界が回りはじめる。ケルトではそれがトリスケル、三つ巴文様で表されています。異質な第三者によって、世界の意味づけがより深くなる。
―――作劇、物語の基本は三角関係ですよね。
鶴岡 シェークスピアは、合理的なアングロ=サクソン的なものと、ミステリアスなケルト的なものとを実にうまく組み合わせています。ではアングロ=サクソンは合理性一本かと言えば、ブラック・ユーモアも好きですよね。合理をつくり出すために闇をこそ見つめる、恐れるのが、イギリス人は好きですね。フランス人などよりも。
『ダロウの書』三ツ巴構造の渦巻き(拡大図)
鶴岡真弓著『ケルト装飾的思考』(筑摩書房・1989年初版)より
―――劇の内容が内包する無意識と、受容する側の無意識との響き合いを見つめている、というのも感じます。
鶴岡 シェークスピアのいた1600年代はコロンブスの発見から始まった世界帝国構造へ向かう時代で、スペイン、ポルトガルをしのいでイギリスは世界を支配してゆく先鋒となりました。「テンペスト」の南方の島、嵐など、人間にコントロールできない不可抗力、精霊的なもの、つまりケルトが探究した霊的なものや異界的なものが示されている。ケルトの伝統、古代性や根源をシェークスピアは当然知っていたといわれ、創造力としての無意識の生産工場というのを持っており、「反転する力」が湧き出る豊かな源泉としていたと思えます。
―――シェークスピアはイギリスの民衆劇の演劇文化を受けて作劇していますが、ちょうど同じ時代、日本の能の舞台にも文化的共通項が見受けられます。交流があったか、むしろ同時発生的なものでしょうが。そして明治期、日本でシェークスピアが受容されたときには、歌舞伎として翻案されたという経緯がある。お話をうかがって、劇場の根本にある呪術性を感じました。
シェークスピアに関するインタビューは、劇評担当の星隆弘氏
鶴岡 ケルトにはオガム文字、北方にはルーン文字という、マッチ棒を組み合わせた文様のような呪術的な文字があって、生命としても精神としても、1・2の安定から3のカタストロフへ日々蛇のように脱皮してゆきたいという、共同体の願いを示しているものがあります。
―――もともとは無文字ですね。
鶴岡 そうです。ですから帝国のローマ人のように偉業を刻印して告知版で広告するというような文字の役割と違い、つまり一つの真実に収斂されてゆくのでなく、真実が生き物として変容してしまう、予言とか予兆のメッセージとしてしるされた。死すべき者も再生するかもしれない、という祈りと魔術ですね。
ルーン文字が刻まれた石碑。デンマーク、イェリング墳丘
―――話し言葉のような書き言葉なんですね。
鶴岡 ええ、再生のパワーを与えるものは、固定されて印刷、当時なら石に刻印された書き言葉でなく、話し言葉、むしろ歌に近いものだった。文学という書き言葉のジャンルで、それを20世紀にやったのは、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」やベケットの「ゴドーを待ちながら」です。
―――詩人イエィツの「めぐれる」も、ループですね。
鶴岡 意識の流れ、すなわち一時も留まらない、滞留しない世界の創造する文字であり文学ですね。20世紀にシェークスピアがいたら、その運動に参加したでしょう。
―――アイリッシュが多いですね。
鶴岡 力強いアイリッシュの想像力は、祖国を離れて自らを「追放する」、「エグザイルの精神」から生まれているかも知れません。ベケットはフランス、ジョイスはトリエステ、パリへと、積極的自己追放を繰り返しつつ、1000年以上前のケルトの修道士たちが世界を経めぐった伝統をいわば踏襲した。
私自身のアイルランドの経めぐりで教わったのは、小さな国であっても、部厚い周縁部である、ということです。周辺部を支配した中心部がそれを掌握するには、巨大な中心である必要があって、中華思想には中華思想の苦労があります。つまり中心は中心の運命や役割を引き受けるわけですが、小さな国は小さな国にしかできない、一つの中心ではなく、多様な気配を察知し、世界を何千通りにも変容できる可能性を語れるという才能を持てます。
弱い点だと思われていたことが強い点として出してゆけるとしたら、経済や軍事力の大小をものともしない、この地球上で役に立てる別の力を持てる。アイルランドもまた90年代からエンヤ、U2、リバーダンスカンパニーといった音楽やダンスで世界を席巻していますね。
アルフォンス・ミュシャの『ハムレット』ポスター アーチの装飾に『ケルズの書』の動物組紐文様が使われている 鶴岡真弓著『図説 ケルトの歴史』(河出書房新社・一九九九年初版)より
―――先生のお話も音楽的で、うっとりして聞いてしまいます。思想が血肉を持っておられて、内面からあふれ出る創作に近いようです。
鶴岡 利根川のほとりに生まれ育ちましたが、あるとき大水が出て、「川が海へと」変貌したんですね。川っていうのが、そもそも毛細血管のようなネットワークをつくるのですが、その両端が決まっていたものが無限の水界になった。目で見ていたものが突然、次の朝に変容する。世界は変容する、と。
―――まるで禅の悟りのようです。いや、密教的なものかな。
鶴岡 19歳のとき、ロシアを抜けてヨーロッパに向かったのは、そのある日の利根川の大水がきっかけです。日本はまだ高度成長のまっただ中にあって、アメリカの工場というか、明るいアメリカの方ばかり向いていた。私はむしろ影の方に惹かれていました。小学生のときから、そちらに宝があるように思えて。日本海を超えると、ウラジオストックとかナホトカとかに行けると。
―――19歳というのは、早熟ですね。当時の文化というと共産主義にご関心が。
鶴岡 いえ、それはまったく。ヒッピー、ロングヘア、反体制の時代ですよね。ビートルズ世代の最後ですから。インドなど民族的なものへのジョン・レノンの関心、ジョージ・ハリスンがシタールを持ち込んだりしてましたから。
―――インドに行くか、太平洋を渡るか、という時代に、北へ向かわれるというのは相当めずらしくないですか。
鶴岡 近代「ロシア」を作ってゆくとき、白人の人たちが極東まで来ていて、確かにソビエトの隣りには憧れのヨーロッパ世界、キリスト教の世界もある。でも「ロシア」「ユーラシア」には、そこには何万年も前からシベリアのシャーマニズムやモンゴロイドの文化が混交してきた。それら多くの民族と出会って、彼らの文化、自然観、美学を知りたいとせつに願っていました。その総体として表現するものとして、ものの表面にあらわされている文様、祭りやお弔いなどハレやケに身につけたり、各地の建築に入れ墨のように刻まれている装飾、造形言語、「見える言葉」に出会いたいと思いました。
―――先生のお祖母さまはロシアの方だとか。
鶴岡 ある日、母が言うには、ひいお祖母さんが最後に患って家で寝ていたとき、ロシア人の顔そのものだったと。銀次郎というお祖父さんはまさしくロシアの顔でした。母の兄弟は皆そういう顔をしています。一人は、占部房子、舞台女優をやってる者もいて。家にそういう伝承がある、ということで。ただ私が圧倒的にロシアにノスタルジーを抱いたのは、それを聞く前からなので、面白いなと。
―――無意識的な血と伝承、ですね。
鶴岡 満州のマンチューリを超えると、ロシアの国境ですね。そうした中国東北部には「鶴の岡」の地名の元もあるようです。モンゴルの草原やバイカル湖。ロシアの鹿の角の伝説。そういうシベリア的、ユーラシア的な風物に学生のときからやたらノスタルジーを感じてきました。
―――不思議なものですね。
鶴岡 それがきっかけで19歳のときにロシアを抜けてヨーロッパへ。旅のさなか、シベリアの森や草原の自然世界と人々が何万年もかけて交わっていると実感しました。ユーラシアの汎神論を見て、洋の東西は違うことはないんだと思えました。そして有機的な文様に出会って、19世紀末のアールヌーボーで始まる卒論を書いて、それからケルトへと、根源を辿っていきました。
―――偶然のようでありながら、根源へ向かう必然の旅だったんですね。
鶴岡 ウィリアム・ブレイクもウィリアム・モリスも、反転する力に関心を向けました。また、北方ヨーロッパでリヴァイヴァルしたゴシック建築も有機的なものの追及であり、ゲーテに言わせると、ゴシック建築はゲルマンの森のパラレルである。完成形でなく、森のように枝を伸ばしながら、見えないところで蠢いている。呪術的な文様になったり、現代で装飾的と呼ばれるものになったりしています。壊れたり再生したりという生命の循環を生き生きと描くことは、縄文時代の土器の表面から携帯ストラップに至るまで、連綿と続いています。
アルフォンス・ミュシャ『黄道十二宮(部分)』
このようなアール・ヌーボー様式の文様の起源のひとつにはケルトにあると考えられている。
鶴岡真弓著『阿修羅のジュエリー』(イースト・プレス2011年初版)より
―――変容しつつ、しかしその変容の有り様は変わらず、今日に続いているんですね。
鶴岡 人類は旅の途中であり、科学が発達しても、ガンで倒れる人をまだ完全には救えない。その意味で我々は大いなる旅の仲間であり、ケルトや縄文人といった、いにしえの人たちのみではなく、「私たち自身」がそれであるのだ、ということです。千年後の人々から見れば、私たちも「古代人」なのであり、洞窟の中で発掘される当事者である。そのように「時空を超える存在としての我々」を思った方が、人類の来し方と行く末をずっと深く理解できるわけです。
―――その視点の転換は、すごく斬新です。
鶴岡 主体であれば何でも解決できるはずだ、と若い人などは悩みます。けれども私たちは主体としての存在でなく、「いつか発見される存在としての人類」である、と考えたらずっと面白いでしょう。
―――生命の光と影において、影であることの大きさ、ですね。
鶴岡 2500年ぐらい前、ケルト人はイタリアのエトルリアと交流してきた。エトルリアの石棺に動物が彫られていて、強いライオンが弱い鹿をがぶりと食べている。現代人は自分たちが食べる方にばかりいるつもりでいますが、「食べられる」ということもある。赤ずきんちゃんの話にありますように、熊や狼に私たちが遭遇して「食べられちゃう」という感覚はつい最近まで、食べるという感覚よりずっと強かった。また大正時代までは、この世の光の中に新生児が出てきたと思ったら、またすぐ闇に消えてゆく、闇夜に「食べられちゃう」赤ん坊がたくさんいたのです。
―――それを忘れてしまっていますね。最初から強者であったがごとく。
鶴岡 スカイツリーのような構築物が「完成したら終わり」というのでなく、塔でも人間でも、ジャックと豆の木のようにS字曲線を描いてどこまでも成長、変容してゆく。この生命が食べられたり、食べたり、壊れたり、縮んだり、伸び上がったりする永遠の再生運動を表現したものが「装飾」の芸術です。
―――そのエネルギーを護符とするんですね。
鶴岡 「装飾」というのは何かの埋め草ではなくて、成長と交代、関係性の中であやなされるパワーの表現です。言葉も言霊を持っていて、発すれば返ってくるものがあり、そこからまた発信していくという往還の中に、また新しい言葉が生まれる。力強いオーナメント装飾文様と通じるものがある。
オスカー・ワイルドは、ケルトの祭司であるドルイドをヨーロッパで最初の詩人だと言いましたが、人間の五感を駆使した表現は「成りつつあるもの」を見つめるものでしょう。「成ったもの」で留まってしまうのでなく、「成りつつあるもの」を見つめる。
つまり「Being」でなく「Becoming」の中に、私たちが人類としてどれだけ参加し、寄与できるかということを、ケルトの文様が教えてくれます。
―――世界と語らう旅に出たくなりました。
鶴岡 皆さんも旅をされ、より素敵な発見がありましたら教えていただきたいと願っています。
(2012/11/16)
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