
佐倉ユミさんは集英社ノベル大賞を受賞なさった作家である。すでに『霜雪記 眠り姫の客人』や『ツギネ江戸奇譚』などの単行本を出しておられる。今のところストーリーテーリング中心の大衆小説をメインに活躍なさっているようだ。年齢はわからなかったがまだお若い作家だろう。
最近は少し落ち着いて来たが、純文学小説誌ではお笑い芸人やタレントに小説を書かせることがかなり流行った。別ジャンルで名を為した方たちだからそれなりの年齢である。新人作家と言っても年齢は基本関係ないということだ。
〝新人〟には若い作家と新たな才能を持った作家という二つの含みがある。佐倉さんが純文学小説誌に作品を発表なさるのは初めてではなかろうか。発表媒体が変われば当然作品の質も変わる。純文学作家としての新たな才能に期待できる。
あ、余計な話ですが芸能人の小説が少なくなってきたのは割に合わないからじゃないでしょうか。原稿料は、まあ安い。芸能人待遇だとしても稿料をすごく高く設定することはできないだろう。又吉直樹さんの『火花』のようにベストセラー小説になることも稀だ。小説は恐ろしく労力がかかる。肉体労働と言っていい書き物だ。それなら本業の芸能活動で努力した方がいいやというわけで、芸能人の小説作品が減っているのじゃあるまいか。
麗仁愛の診察は、昼休みの時間に行われる。ほかの多数の患者と鉢合わせすると、麗仁愛がパニックを起こすかもしれないからだ。十人以上の人間と、麗仁愛はまだ、同じ場所に居合わせたことがない。
いつものように夜間救急診療の入り口から入ると、顔馴染みの看護師が迎えてくれた。三十代後半くらいの女性で、名は三崎という。
「こんにちは、麗仁愛ちゃん、おばあちゃん、奈緒さん」
父は車から降りなかった。俺は行かない、とすら言わず、ただ無言で、降りていく三人を眺めていた。母も奈緒も、それを咎めるどころか、父のことを口に出すことさえしなかった。父はもう、受診についてくる気はないのだろう。
佐倉ユミ「ケラルの城」
「ケラルの城」の主人公は女子大生の奈緒。奈緒には七歲年上の姉・葵がいる。葵は両親と不仲で短大を卒業して就職すると家を出て、未婚のまま麗仁愛を産んだ。父親の名前は明かさなかった。退院すると両親の援助で娘とアパート暮らしを始めたが、初孫なのに両親にも奈緒にも会わせようとしない。
麗仁愛が五歳になったとき民生委員が実家に訪ねて来た。葵は麗仁愛とアパートに引きこもって暮らしていて、保育園にも幼稚園にも通わせず検診も受けさせていないのだという。食事はほぼ宅配でゴミだらけの部屋に住んでいた。精神に変調をきたしていたのだ。葵は入院し麗仁愛は実家で奈緒と両親と暮らすことになった。
ただ葵は娘を虐待していたわけではない。葵の心づもりはその逆だった。葵は出産直後に「麗仁愛には汚いものや恐ろしいものは一切見せないの。絶対に」と言った。民生委員がアパートを訪ねたとき、葵は髪も服も汚れ放題だったが麗仁愛にはお姫さまのような服を着せ髪も整え「輝くようだった」。
葵が病んだ理由は「自分たちに都合の悪いことはしないでくれ」という両親の事なかれ主義との対立が遠因になっているようだ。葵は狭いアパートの一室で麗仁愛にゴミは「ケラル」、「排泄物は、大きい方がパルパルで、小さい方はリーリ、吐瀉物はミョール」と独特の言葉を教え込んでいた。彼女なりに娘から「汚いものや恐ろしいもの」を遠ざけるための方法だった。しかしその代償に母親と二人きりでアパートの部屋に閉じこもり、テレビやネットも見ていない麗仁愛の言葉の発達は遅れていた。大勢の人や刺激の強い外界を怖れる子どもにもなっていた。そのため精神科に通院して治療を受けることになったのだった。
大前提的なことを言うと「ケラルの城」はいわゆる〝女性小説〟である。葵を妊娠させた男は登場せず麗仁愛の診察に付き添うのは母親と奈緒だ。父親は車で病院まで送ってくれるが「ただ無言で、降りていく三人を眺めていた」。以後、葵の男も父親もほぼ小説に登場しない。「ケラルの城」は女性たちの物語である。
女性小説は女性作家の小説では非常に多い。九〇パーセント近くがそうだと思う。男性作家は根がスケベで浮気者のせいか女性を主人公にした小説を書きたがる。女に興味津々なのだ。が、女性作家はほとんど女性にしか興味がないかのようだ。もちろん小説は現世の物語だから男も登場する。しかし男は女性にほんの少しの喜びとそれとは比較にならない苦しみを与える異和として活用されることが多い。メインは女性たちの世界である。江國香織さんの『神様のボート』ですな。
ケラルだ、と奈緒は呟く。
みんなケラルだ。
もう電池を換えても動かないおもちゃも、集めに集めたキャラクターのシールも、それほど気に入っていないメモ帳も、まぐれでもらった賞状も、十代の頃に流行った服も、使いにくいバッグも、三日で飽きた日記帳も、似合わなかったネックレスも、二度と読み返すことのない雑誌も、みんなケラルだ。(中略)
けれど、もしも誰かがそれらを捨てようと手を伸ばせば、奈緒はそれを拒否するだろう。捨てないで、私のケラルを、と。
私だけのケラルだ。誰にも触らせない。
奈緒は目を閉じる。瞼の裏が青くなる。海の中にいる。麗仁愛。
失ったものでさえ、あなたは手放さなくていい。
ケラルに囲まれている。だからこんなにも、心穏やかに眠れるのだ。
同
麗仁愛は大人しい子だが外界に対して心を閉ざしていた。まったく「これはなに?」「どうしてなの?」と質問しない子だったのだ。「ママはどこ?」とすら聞いたりしない。しかし少しずつ心を開いてゆく。それにつれ奈緒も麗仁愛を理解してゆくようになる。麗仁愛が執着したのは母と二人きりの部屋を埋め尽くしていたゴミ=ケラルだけだった。奈緒も自分の部屋を見回して「みんなケラルだ」と思う。ではケラルに象徴される最も大事なもの、「手放さなくていい」ものとはなにか。
「凉香さんの部屋って、何があるの?」
思いがけない問いに、電話の向こうの凉香は戸惑った様子だった。
「何って?」
「全部。飾ってあるものも、しまってあるものも、ほかにどんな服があるのかとかも。なんだろう、知りたくなった」
血がガーゼから溢れて染み出す。止まらない。奈緒はスマートフォンをテーブルに置き、スピーカーモードへと切り替える。暗がりで、つけたばかりのガーゼを交換する。震えるように、凉香が息を吸い込んだ。、
「あのね、レースのカーテンが、すごく気に入ってるの。柄がきれいなんだよ。下の方、結露でカビちゃってるけど、日が差すと、床に模様の影が映って」
迷いながら話し出す。
同
凉香は奈緒と同じ大学に通うロリータファッションが好きな女の子。汚部屋でお姫さまのように育てられた麗仁愛に通じる重要な登場人物である。
自宅二階で麗仁愛に初めて花火を見せていたとき、奈緒は誤って果物ナイフで手の平を傷つけてしまった。ほぼ同時にスマホが鳴る。凉香からだ。泣いていた。彼と花火を見に行ったのだが彼に浴衣で来てほしかった、実はロリータファッションは好きじゃない、いっしょにいるのが恥ずかしいと言われ別れてしまったのだった。
奈緒は凉香をなぐさめながら「凉香さんの部屋って、何があるの?」と聞く。あるのはケラル(ゴミ)ばかりのはずだ。しかし話しながら凉香は血を流している。凉香が流すのは心の傷からの血である。小説の本筋は花火を見られるようになるまでになった麗仁愛の回復を描くことにある。が、それと同時に他人にとっては無意味で無価値でも絶対に失ってはならない何かがあることを示唆し肯定している。葵も娘の麗仁愛、奈緒も凉香もそれを持っている。
「ケラルの城」は一三〇枚の中編小説である。ストーリーテーリングが得意な作家らしくサラリと印象深い小説に仕上がっている。ただテーマをじゅうぜんに表現するにはもっと枚数があった方がいいのかもしれない。女性読者を惹きつける小説だが欲を言えば純文学的残酷さが少し足りない。女性小説における理不尽は基本男だ。水の輪のように静かに広がってゆく女性たちの共感世界を激しく抑圧するのは男の社会性である。これはこれで厳しい。
なお「小説について考える文芸誌時評」は小説を大まかな構造から捉える。小説の構造を成すのはストーリーである。そのため時にはネタバレと呼ばれかねないレジュメをすることがある。しかしそれが目的であるわけではない。優れた小説には必ず堅牢なストーリー(構造)がありそれ逸脱する優れた核を秘めている。それを明らかにするためのレジュメである。作家の皆さまはどうぞお気を悪くなさらないでください。
鶴山裕司
*『鶴山裕司の小説について考える文芸誌時評』は不定期連載です。
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