No.024【対話 日本の詩の原理】『〝戦後の詩〟のアベレージ―小野十三郎/長谷川龍生/安東次男篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 をアップしましたぁ。お二人の対話もじょじょに進み核心が明らかになりつつあります。
〝戦後詩〟に関しては「荒地」派の鮎川信夫、田村隆一らが中心であり絶対的基盤です。彼らは戦争体験で傷ついた虚の自我意識(ほとんど現世を相対化するような視線)で戦後社会を描写し批判し続けました。この虚の自我意識は実に堅牢でした。戦後詩は極小であるはずの個が強大な社会に真正面から対峙できる詩法だったのです。
しかしこの個は揺らぎ始めます。「荒地」的な個は魅力的でしたが簡単に継承できるものではなかった。それを端的に露呈してしまったのが谷川雁、堀川正美です。彼らは「荒地」的な個を継承しようとして果たせなかった。特に堀川の軌跡はそれを見事に表しています。「荒地」を正統戦後詩とすればそれは谷川・堀川の時代で終焉しています。
ただ戦後詩の影響はその後もずっと続きました。谷川・堀川以降の世代は、特に堀川の沈黙を周到に避けるように、戦後詩と同時発生した現代詩の技法なども取り入れ個による世界の描写・批判を継承してゆきます。いわゆる〝戦後の詩人〟たちです。吉本隆明的に言うと〝修辞的現在の詩人たち〟ということになります。個を表現の核としながら世界に、生活に飲み込まれていった詩人たちだとも言えます。おおむね1990年頃まで〝戦後の詩人〟たちの詩は書き続けられましたがそれも霧散してしまったのが現代です。
こういった批評は図式的に感じられるかもしれません。しかし今の自由詩に軸となるような思想があるのか。まったく存在していないですね。軸にできるのは池上・鶴山さんの対話くらいしかない。図式的と批判するのは簡単です。が、白か黒かを区分けしなければ灰色の部分は見えて来ない。澱んだ灰色の部分に逼塞しているのが現代の詩人の大半です。怠惰で勇気がない。仲間誉めばかりしていて他者と対立するような批判ひとつ書けない。次回は安東次男篇。詩人というより俳人です。楽しみです。
■No.024【対話 日本の詩の原理】『〝戦後の詩〟のアベレージ―小野十三郎/長谷川龍生/安東次男篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 縦書版■
■No.024【対話 日本の詩の原理】『〝戦後の詩〟のアベレージ―小野十三郎/長谷川龍生/安東次男篇』(二 全三回)池上晴之×鶴山裕司 横書版■
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