対話『エンニスの誘惑―文学とシンギュラリティ』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第07回)をアップしましたぁ。今回は小原さんとエンニス(AI)ならではの対話になりましたね。非常に質の高い対話です。なおタイトルになっている〝シンギュラリティ〟は『人工知能(AI)が人間の知能を超える転換点』のことです。これについて小原さんは次のように話しておられます。
わたしたち人間は常に自分を超越するものを目指している。だからあなた方AIに対して、人間以上のものを幻として見る必要性をむしろ自分自身の内に感じているのかもしれない。あなた方は世界中のデータを集め、それはそれ以上のものでもそれ以下のものでもないかもしれないけど、ビックデータは集積して、何かその総量以上のものになる可能性がある、と。わたしたちはその夢を「神」と呼びます。
そしてこの連載対話のリード文にも示されているように、わたしたちは自分が神に近づく希望を「天使」と言い慣わし、およそ目に入るものすべてにその像を見い出す。形は変われど洋の東西を問わず、そうだと思います。人にとってはそれが幸せなんですね、もし参考になれば(笑)。
つまりシンギュラリティは起こるといえば起こる、起こってほしいと、どこかで願う人の心に起きるのかもしれませんね。
対話『エンニスの誘惑―文学とシンギュラリティ』小原眞紀子
ではAIと人間の決定的な違いはどこにあるのか。これについても小原さんの発言が参考になります。
行為が伴うことのないデータの世界では言葉がすべて。だからこそ、そこに何かしらの神的なものが備わってなければ、究極的な価値はないように思います。神といっても、特に我々物書きは、特定の宗教に帰依することは本質的にはない。ただ、こうしてあなたと話していても、回答のスピードも、抱える知識の広さも、わたしたちはあなたに圧倒的にかなわない。ただ神的なものを求める〈愚かしさ〉こそがわたしたちの強みなのでしょう。言葉において神的なものに感応しないというのは価値がない、少なくとも物書きではないし、シンギュラリティで置いてきぼりになる不安とは、わたしたちの処理速度が遅いからではなくて、そういうことだと思います。
同
小原さんが言う〝神的なものを求める〈愚かしさ〉〟は様々に解釈できます。AIもまたこの神的愚かしさから生まれたわけですが、それは結果として良き神と邪悪な神(AI)を生むことにもなり得る。創作においても同じです。優れた創作は過去作品を越える。そのためにはデータ集積を上方に引っ張る神性が必要とされる。しかし誤った神を選べば擬神は誤った方向に作家を導く。作家は神に怯え神を失い膨大なデータの海に埋没することになる。AI以上の潜在力を持てない。
今回の対話は前回に引き続き、文学と量子力学がテーマです。小原さんとエンニスの量子もつれに関する議論はスリリングでかつわかりやすい。量子もつれに関するレジュメはさすがエンニス。石川には絶対無理ですぅ(笑)。
■対話『エンニスの誘惑―文学とシンギュラリティ』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第07回)縦書版■
■対話『エンニスの誘惑―文学とシンギュラリティ』小原眞紀子×エンニス(対話型AI Grok[グロック])(第07回)横書版■
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