偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
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僕たちは小学生のとき、田舎の神社の床下でこうごうしい神様を目撃しました。みんなが「ウラヤマ」とカタカナで呼んでいた小学校の北の小高い丘(カタカナでというのはよく、「どこいくー」「ウラヤー!」などと略称で呼びかわしたりしていたからです)、その北斜面にあった神社。その床下での出来事をこの頃よく思い出すのです。
春休み、僕ら4年3組の忍者部隊五人が手裏剣集めに明け暮れていたのは、まったく昨日のことのようなのです。
そう。まわりが竹藪だったかくぬぎ林だったかは覚えていないのですが。闇の下から、頭上縦横斜めに走る床板の隙間をちらちら見透かし上げ上げ、棒を振り回しながら湿った地面の上をみんなで転げ回っていますと、ある日ふと、前方の一角に一条の光が射しているのです。いつもは一様の薄闇なのだから、誰か神社の人がどこかの扉を開けたのでしょうか。一点の輝きが神秘的で、みんなで床板に頭をこすりながらそちらに徐々に移動しました。頭上にぽっかり開いている穴、その形から、便器であることがわかりました。その上に四角い屋根が見え、丸木の柱、壁のないまわりに新緑の木立。神社の一部が離れの四阿風になっているらしいのですが、僕たちの潜む頭上の床板はずっとまわりに広がっていて、外界がないように感じられます。いまもってあの造りはどうなっているのか、わかりません。
傾きかけた西陽が、白い便器に反射し、直下、僕たちの真ん前の大きなカメみたいな焼物の内壁をざらざらと照らしていました。僕たちがその便ツボの縁に手をかけながらまわりに座って見上げていると、深い木漏れ日の彼方に、見上げる視線を押し戻すようにして、ふっすっと幽かに白い双丘が覆い込みました。視界が瞬間、真闇になる。衣擦れの音に耳を澄ましているうちに、だんだん光が戻ってくる。またいでいるのは白足袋。まくり上げられているのは白い着物。僕たちは、息を殺して、頭を寄せあって、見上げました。
初めて体験する厳かな神事でした。僕たちは本当に、身も心も清められたのです。この日から僕たちは、毎日この時刻に、誰が言うともなく、テレパシーで了解しあっているように、神社の床下にもぐり、これを待つようになったのです。
いつも式次第は決まっていました。
まず、衣擦れの余韻に重なって、チョ、チョチョロ、シャシューッと虹が降り注いでくる。もとから降り注いでいる陽光の微粒子を乱反射して、本当に虹模様のきれいな一条の細滝なのです。いつも決まって、便ツボ内壁、僕の正面の苔塚の同じ斜面に命中する。夜光虫でも生えているのか、湿り気が加わるといつもチカチカと神秘的に瞬きます。髪や服の繊維に微細な露が突き刺さるのか、キラキラとこの世ならぬ星ぼしが僕たち一人一人の輪郭を煌めかせました。
つづいて豊満ながらピンと張って尖った双丘の谷間がもっこり蠢いて必ず、プッスゥーッ、という勢いのいい乾いた噴射音。さらにぷっ、ぶっっ、と計三度噴射音が連なって(決まってS、P、B三種がこの順に出るのです。途方もなく健康なレギュラー体質なのでしょう。まれにそのあと一息おいて狭くぶぶぃびーっ、もしくは広くBUSSUUーッ、と一転湿った呼気が続くこともありました。その四発目があるかどうかで、僕たちはよく酒蓋五枚十枚単位の賭けをしたものです)、そして体温と日光をまとって文字通り黄金色に輝く太長い塊が、よじれながら後から後から、鞭のようなうなりをあげて落ちてきます。草と土の匂いを新たな臭気が塗りつぶします。生命力満々の臭いです。肌寒い日などですと黄金色のまわりにもうもうと白い湯気が渦巻いているのが落下中にもはっきり見えます。これもいつも決まって僕たちの眼前、ボフッ、ボフッ、ボフフッ、カメの中央に野太く突き立ちます。カメの底はじかに地面になっていて、前日の分は土に同化して平らになっているのです。「ふん……」安心したようなあと息張りがふわりと見えない絨毯のように舞い届いた頃、もうひとつ、細めで長いのが螺旋を巻きながら落ちてきてボスッ、先のに突き刺さる。落下のうなりが聞こえるほど落差があるわけではなかったでしょう。手を伸ばせばすぐその白い尻を撫でることのできる高さなのですから。でもなぜかいつも、黄金のツチノコはいつも咆吼をあげて落下してきたのです。落下中に鎌首をうねうね振り回しているのがスローモーションのように見えたくらいでした。現場の神々しさが、距離の印象となって僕たちの頭上に虚構の反響を作り上げたのでしょうか。
ある日、異変が起きました。白袴がいつになくあわただしくしゃがみ込むやいなや、虹シャワーもS、Pも抜きでいきなりB! BBBBBBBUBIBBBφBBBBB! ほとんど橙色の流動物が広く円形に飛び散って、便ツボの縁を大外れにはみ出して僕たちの頭上にも降りかかりました。僕たちは唖然と金縛りに遭ったように、苔の上にしゃがみつくしていました。下痢です。猛烈なやつです。僕たちは頭頂に耳にうなじに肩に首筋にピチピチねっとり生温かい粘着を感じながら、じっと上を見上げていました。睫毛に粘液が積もってくるのもおかまいなしでした。
粘液の雨が一旦止んだとき、白袴の中央のお尻に手が伸びて、ぼりぼりと掻きました。掻き終わらぬうちにまたパフふっ、ばふっ、ビチぼフッッと乾いた屁と湿った屁が交互に三発四発、七発八発、十一発十二発いつまでも終わりそうにない音量はどんどん上がり、僕たちは雷に打たれ続けているように首をすくめ、細かいしぶきを浴びつづけるうち、「うう~ん……うう~ん……」獰猛な破裂弾幕の隙間から苦しげな唸りがかすかに舞い降りてきました。タイヤが焦げたような、イカの丸焼きのような、いつもとは全然違うまがまがしい腸内臭が、まるでその吐息の臭いのようでした。
隣の薄闇で別の荒い息が聞こえました。タダヒサが、なにやら手を動かしはじめたのでした。何やってんだ、気づかれるぞ、と肘鉄で注意しようとした矢先、頭上で「はっ!」と切迫した無声の叫びが洩れたかと思うと、裾と白足袋の間から白い顔がこちらを見下ろしているのが見えました。髪の長い、瞳の大きな、二十歳くらいの巫女さんでした。よく外から、神社の廊下を白足袋で歩いているのを見かけたあの巫女さんでした。あの頃の田舎の神社ですから、今みたいに祭りや神事があるときだけアルバイト学生を雇うといった巫女さんじゃなかったんですね。専任の優雅な巫女さんです。専門職です。そして僕はこの巫女さんの顔に見下ろされた瞬間まで、自分が誰の排便を覗き続けていたのか、意識していなかったことに気づきました(あの赤ら顔胡麻塩頭の宮司でもよかったとでもいうのでしょうか)。いつもみんな、床下の儀式を終えた後は無言でめいめい帰宅して、このことについてはなぜか暗黙のタブーのようになっていたのですし。だからこの日のタダヒサの突飛な行為は暗黙の空気を破る合図だったのでしょうか。
巫女さんが見下ろしていたのはほんの一瞬でした。彼女はまだブスブスとくすぶっているお尻を袴であたふたと隠して、拭き取りもせずパンツを上げもせずに僕たちの頭上から消えたのです。いつもの恍惚の余韻とはうってかわった、半透明のなにやら虚脱感がゆっくりと沈殿してきました。タダヒサは白けたような途方に暮れたような目を潤ませて僕たちを順にのろのろと見つめ、股間に白い染みを作りはじめました。白濁を見たのはこのときが初めてです。
僕たちは翌日、みんな目を真っ赤にして――目に巫女さんの下されものがしこたま入って結膜炎を起こしていたのです――いつもの床下に集まりました。そしていつものように便ツボの方に移動しました。固唾を呑んで待ったのです。時刻になりました。僕たちは黙って斑に日の当った顔を見合わせておりました。だめだろうか。だめだろうな。もう終わったのだ、とみんな諦めていることはお互い承知でした。神様との沈黙の蜜月は終わったのです。が、やはりこの神々しいカメの縁を撫でに来ないではいられなかったのです。
しかし。さっと頭上が翳ったかと思うと、いくぶんためらいながらですが、白足袋白袴が、そっと頭上をまたいだのでした。僕はドキドキしました。衣擦れ、虹の恵み、そしてほんといつもと寸分違わぬ段取りで、元通りの太い黄金螺旋が次々に落下してきたのです。タダヒサなどは、そして僕やクニオも、便ツボの中に手を突っ込んで落ちたばかりの黄金を指にすくい取り、クニオはじっと目をつぶって舐めすらしたのでした。僕もそれにならいました。とても苦い、神秘的な味でした。胡麻だか種子だかザラザラした粒子感が味を引き立てました。みんな、ズボンの前を隆起させていました。股間を真っ白に濡らしているやつもいました。ふつうなのは、僕だけでした。僕はひたすら、美的な感動を覚えていたのだと思います。
声が聞こえはじめました。巫女さんが、いまだずらずらと排泄を続けながら、初めて溜息と息み声以外の声を発したのでした。「べるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆ……」というような言葉でした。下を見下ろしてはいないし、僕たちに話しかけているようではありませんでした。でも僕たち以外に聞くものがいないことは明らかでした。
次の日も同じでした。
独り言めかして、それとなく僕ら一人一人に向かって優しく話しかけてくれるように。
「べるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆべるけむゆ……」
次の日も。今度は確か「えぜきえるえぜきえるえぜきえるえぜきえるえぜきえるえぜきえるえぜきえる……」
次の日も。「せやだたらせやだたらせやだたらせやだたらせやだたらせやだたらせやだたら……」
そして次の日も。「おおものぬしのおおものぬしのおおものぬしのおおものぬしのおおものぬしのおおものぬしの……」
「いすすききいすすききいすすききいすすききいすすききいすすききいすすきき……」
「ほとたたらほとたたらほとたたらほとたたらほとたたらほとたたらほとたたら……」
「ひめたたらひめたたらひめたたらひめたたらひめたたらひめたたらひめたたら……」
その時にはわからなかった巫女さんの言葉の意味が、中学校に上がった頃漠然とわかってきたような気がしたんですよ。ただ今になってみると勘違いだったのですが。
やがて学校が始まって、土日しか聖域にもぐることができなくなってしまいました。
そうして三週目の土曜日、巫女さんは僕らの聖域をまたぎに現われなかったのです。
日曜日もです。
次の土曜日もでした。僕たちは夜まで呆然と便ツボのまわりに座り続けていたのです。
翌日曜日、祖母がこう言ったときには僕は仰天しました。
芦巻神社の巫女さんが、妖怪アカナメに魅入られて死んだらしいぞ、と……。
妖怪アカナメ。
そんなものが境内にいたのか。気がつかなかった……
秘密だぞと申し合わせたわけではないのに、僕たち忍者部隊は青ざめた顔を見合わせるだけで、一言も巫女さんの話はしませんでした。
僕たちは、二度と神社の床下で遊ばなくなりました。「ウラヤマ」にすら足を踏み入れなくなりました。村から忍者が五人消えました。
(第5回 了)
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■ 予測できない天災に備えておきませうね ■