偏った態度なのか、はたまた単なる変態か(笑)。男と女の性別も、恋愛も、セックスも、人間が排出するアノ匂いと音と光景で語られ、ひしめき合い、混じり合うアレに人間の存在は分解され、混沌の中からパズルのように何かが生み出されるまったく新しいタイプの物語。
論理学者にして気鋭の小説家、三浦俊彦による待望の新連載小説!。
by 三浦俊彦
■ 袖村茂明の輝かしいおろち体質的キャリアは幼児期に遡るが、理由不詳の鮮明特筆経験は小学校三年のときだ。夏休み宿題の日記帳から引用しよう(ひらがなを適度に漢字化してある)。
「きょう、横断歩道のところで吉岡君を待っていると、信号を待っている知らない女の人が、ぼくの近くで「あ、」と言って、ぼくを振り返るとズボンのお尻をこっちに向けたまま「ブーッ、ブッ、ブッ」とおならを三回しました。ぼくのことをちょっと見ながら、「また出る。」と言って「ブッブー、ブヘ」とまたまたかましました。髪が長くて白いズボンでした。信号は青になっているのにずっと立ったまま、「あ。また出る。」と言ってまたぼくの顔の近くで「ブウーッ」と一番大きな長いオナラをしました。「また出る。」と五回も教えてくれたのでぼくは笑ってしまいました。吉岡君がやってくると、女の人はあわててもう赤なのにおならをしながら横断歩道を走って渡っていきました。ぼくにおならを全部見せるために立ち止まっていたみたいでした。ちょっと葉山先生に似ていました。」
己が体質をテレパシー的に感知した「仲間」に出会ったかのような、発達心理学上の自我体験のネガを思わせる、袖村黎明期の貴重な歴史記録である。
オーディオビジュアル体験のみならず、嗅覚体験も豊富だった。学生時代のスペシャル版として、狭山の自衛隊機墜落に伴う停電時の出来事はこれまた特筆に値する。偶然ビジュアルオーディオ体験にうんざりしていた袖村も、このときばかりは「感動」したと日記に記している。マンションのエレベーターが5階直前でドア開かぬまま止まってしまった事件の記録だ。
「あ!! うんこだ! うんこがはねてる!」…小すずめをみて一人の園児がさけびました。」〈文京学園女子○高3年梅組★寿司命のまんちゃん〉
古本屋で何気なく買った『ぴあ』1983年8/12号の「はみだしYouとPia」を鞄から出してクスリクスリ斜め読みしはじめたときだった。ファッションビルで、袖村茂明の乗ったエレベーターが止まったのは。
エレベーターの停止が事故のたぐいであることに気づくとともに袖村は、エレベーター内には自分と小柄な制服女子高生の二人だけであることを認識した。止まったまま動きそうにないとわかると、女子高生が「ああ。困る、困る」とさかんにため息をつき始めたのである。そんなに困ることないよ、と言いかけたが、彼女が軽く地団太踏んでいたので、そういうことかと袖村も多少焦り、連絡通話ボタンを押して連絡を試みても応答はなかった。それからしばらく静かに階数ボタン列に向かって立っていた女子高生は、やがて再び「動かないかなあ、動かないかなあ」とそわそわしはじめ、十分ほど経過した時点で「こまる、こまるうう」と本格的に脚を交差させたり地団太を踏み始めたりしていたが、そのうち「ぷぅぅ」とか「ぷすぅぅぅ」とか「ぶ、ぶ、ぶうーっ」とかどうしようもない弛み屁をこきはじめた。ぶうう、ぶうう、ぶううと二十秒おきに止まらなくなって、袖村の鼻孔にまで猛烈な内臓臭が届くようになった。彼女は壁に手をついてしゃがみそうになったり背を伸ばしたりを繰り返し、そのつど「す、ぷ、す、す、ぷ、しゅ、ブ、す」と一塊ずつスカートの奥からガスが洩れるのが聞こえる。女子高生は「あ」とか「は」とか切ない吐息を漏らして袖村を振り返り、腰と膝をくねらせて必死で堪える体制を続ける。一回の「ぷす」のたびにいちいち必ず袖村を振り返るのが、マンガチックな挙動でありながら袖村の情感をシリアスに刺激した。ぷ、す、ぴ、のたびに、臭気は七変化どころか十変化いや二十四変化まで袖村は数えることができ、我慢の限界の無期延長という稀少現象の崇高さにほとんど痛覚的な感動を覚えていたのである。
約三十分後にエレベーターは動き出したが、注目すべきことはそれまでに袖村はこの少女の体内から、(後に発見されたメモから再構成するならば)マクドナルドの「グリルビーフバーガー」、バーガーキングの「直火焼きビーフバティ」、ファミマの「あったか肉ワンタンスープ」「北海道ジャンボエクレア」、ロッテリアの「チキングラタンバーガー」「えびバーガー」「ざくろシェーキ」、藩の「五目釜めし」などの臭いが混合していることを瞬時認識できていたと同時に、「激めん ワンタンメン」(東洋水産)「麺づくり 鶏ガラ醤油」(マルちゃん)「カップヌードル カレー」(日清)「チリトマトヌードル」(日清)「スーパーカップ1.5倍 みそラーメン」(エースコック)「スーパーカップ 大盛りいか焼そば」(エースコック)という六種類のカップめんの香りを個別明確に嗅ぎ分けることができていたことである。確かにそれらが少女の常食対象であったには違いなかろうが、問題は、袖村自身がファーストフードやカップめんというものを適度に食するとはいえ商品名を意識的にチェックしたことなどなく、興味もなく、それら諸商品を自分が知っているということすら知らなかったにもかかわらずとっさに鮮明な商品名込みの嗅ぎ分けができてしまっていたという準不可解な事実である。エレベーター内顛末がいかに袖村の感覚を研ぎ澄ましたか、いや顛末というよりその腸内環境の持ち主との波長いや波動の共鳴ぶりが袖村にとって異例の相性覚醒と言うべきだったのか、その女子高生はドアが開くとともにす、ぷ、ぶ、ぴ、すすと断続的なガス洩れ音を引きずりながら前屈みの小走りに廊下を去っていったのだった(最後の残り香は明らかにローソンの「揚げたこ焼き」と「アメリカンドッグ」の混合臭だった)。
このような純嗅覚体験だったのだが、これには即日、視覚経験の上乗せが続いた。三時間後に、一駅隣の駅前雑居ビルで起こった出来事である。
「あ!! うんこだ! うんこがはねてる!」…小すずめをみて一人の園児がさけびました。」〈文京学園女子○高3年梅組★寿司命のまんちゃん〉
その投稿が気にかかっていたのか、ちょうど『ぴあ』の先ほどと同一ページにたまたま目を落としていたときだった。エレベーターの閉まりかけたドアに手を差し込むようにして女子高生が飛び乗ってきたのは。顔を見合わせたとたんに先ほどの放屁少女であることがわかった。少女も「あ」と小さく叫んだところから袖村の顔を覚えていたらしく、前のように壁に向かってうつむいていたが、なんと再びエレベーターが止まったのである。「えっ。うそ!」と少女はのけぞり、またふたりだけの閉鎖空間が始まったことを確認して少女と袖村は顔を見合わせた。
袖村の顔を見ているうちに先ほどのトラウマが内臓を刺激したらしく、少女は腹を押さえて「うそでしょ、うそでしょ」と魘されたように呟き始めた。エレベーターが十数分停止している間の少女の振り返り振り返りの悶絶忍耐はつい先ほどと全く同じだったが、今回は先ほどと違って少女の体内はしっかり調整されているようで、異質な音や臭いは漏れ出てこなかった。
核心は、エレベーターが動き出した直後である。ほっとした笑みもつかの間、すぐにまたエレベーターは止まり、シーンと静寂が戻った。と同時に、「あ」安堵が阻止されて緊張の弛緩が逆向きにこじ開けられたような吐息とともに、ぶっすうう~~ッ、長い長い湿潤生風がエレベーター床に跳ね返って真下から袖村の鼻孔を蒸気たっぷりに直撃した。(こ、この臭いはヤバすぎるだろ!)袖村が次に起こるリキッドタイプの光景について劇画的覚悟をとっさに固めた瞬間、……ぱらぱらばらばらぱらぱらばらばらぱらぱらっ、予想とは異なる乾式音響が響き渡った。
袖村ははじめ、少女が大量のパチンコ球をこぼしたのか、こんなにたくさんどこに隠し持ってと思ったのだった。しかしどれも茶色だったので、どうしてこんなに多くのお多福堂の「鬼あられ」が、と頭をかすめた。P音B音綯い交ぜの振動擦過音がスカートの内側に炸裂しつづけ、ずどどどどどとどとどとどとどの質量感でさらなる鬼あられがぼろぼろおびただしく、そう、茶色い鬼あられの群れというのは見た目湿度ゼロの大小無数ただし最大でも直径2センチに満たぬであろう便秘便の大群に他ならなかったのだが、その勢いが白いパンツをはじき落とし埋め尽くしながら少女の足もとにピラミッド上に堆積し、周りにころころ転げ広がっていったのである。鬼あられ破片はここかしこでゴルフボール大に密着し、竈馬の大群が跳ね集まったような壮観を呈した。
あれだけの大我慢+湿式大量放屁の後には当然粘液系洪水スペクタクルを予期し覚悟していた袖村にとっては、この乾ききったコロコロ秘結弾丸攻勢はさしもの体質をもってしても初光景であり、意表を衝かれ、不覚にも感動してしまったのだった。不覚にもというのは、オーディオビジュアル体質の因業にほとほと疲弊していたはずの自分が今さら感動してしまっては、十数年来の疲弊感が無駄になってしまうという、己れの人生意義の能率的根本に関わるジレンマを帯びていたからだった。そのことを袖村は今回こそ自覚したのだが、少女の方は袖村から顔をそむけながら壁を叩き、
「だからやなのよー!」
とかすれ声で叫んでいた。地団太を踏むその赤い靴の底では、硬く乾いて見えた団子便がカプセル剤を割ったごとくぐじゃぐじゃに潰れて血のごとき本来の粘土状下痢状態と化し、表面積拡大に伴ってテリヤキバーガー風の強烈臭で空間を満たしまくった。まわりでまだ形を保っている団子たちは半粘液のゆっくりした波動の広がりに徐々に押しのけられるようにして、袖村の靴のまわりに褐色が密着し始める。
袖村にとって真に驚くべき瞬間は、その後にやってきた。エレベーターが動きだし、停止してドアが開いたとき、乗り込もうとした若い女が床を見て――停止の衝撃余韻ゆえに床上をぴょこぴょこ跳ねている半潰れ茶色球の小乱舞を見て叫んだのである。「なに、なんでスズメの子がこんなに?」
袖村はこのときしみじみ、自分の人生に作者がいるのではないかと実感したという。
スズメの符合にしろ数時間前のカップ麺にしろ、無理ならぬ妄想というべきだろう。
乗り込もうとしていた女は半笑いのような表情をひらひらさせたまま階段の方へ去ってしまったという。
「だからやなのよー!」……! 袖村が降りた後も、少女はエレベーターの中でうめき続けていたという。
「だからやなのよー」の「だから」には、エレベーターまたは類似の環境においてこの種のカタルシス経験が自分の身にたびたび起きてきた、という事実を反映していたのだろうか。そうだとすれば、この無名の女子高生は、袖村茂明のネガ的存在、すなわち「見られ体質」であるという一抹の証拠となる。まれに発現するあの体質。新幹線のトイレでは排泄中にドアを開けられ、遠足では必ず野糞をクラスメートに覗かれ、駅のホームで近くに誰もいないと思って派手に放屁したとたん後ろでぷっと吹き出され等々、等々、等々。袖村の凸体質にテレパシーというよりシンパシー的に誘発された凹体質効果(凸凹の適用は逆の方が適切とするおろち語法説もある)。彼女がおろち史上再登場してこない、もしくは仮に登場しているとしても個体同定された形では出てこないのはまことに惜しまれる。繰り返すと、袖村のビジュアル体質と彼女の受身形ビジュアル体質とがぴったりと、相乗作用的に重なった結果の恐るべき効果が、この稀有な〈速射雀便〉であったと結論してよかろう。
(第4回 了)
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