宋(ソン)美雨(メイユー)は民主派雑誌を刊行する両親に育てられた。祖国の民主化に貢献するため民主派のサラブレッドとして日本に留学するはずだった。しかし母親は美雨を空港ではなく高い壁に囲まれた学校に連れていった。そこには美雨と同じ顔をしたクローン少女たちがいた。両親は当局のスパイだったのか、クローンスクールを運営する当局の目的は何か。人間の個性と自由を問いかける問題作!
by 金魚屋編集部
15
運転士が手振りを交えて言った。眼下に異状があるという。
学校の城壁が見えてきたと王から告げられたばかりだった。曾は手で庇をつくった。学校から二キロほど離れた場所だろうか。黒い隊列が見える。車だ。内陸部へ全速力で移動していた。
王がマイクに叫んだ。「生徒だ」
曾も確認した。同じ顔をした少女たちが、ハンドルを握り、助手席とリアシートに揃っている。農園から派遣要請を受け、王はヘリを飛ばしてきた。謀反が起こり、校内が大混乱に陥っているという。鎮圧し、サンプルを採取する算段だった。が、生徒たちは「革命」を諦め、逃亡を選択したようだ。
「曾君、何名要る」
サンプルの数を問われ、曾は対照実験用の人材を含めて数名と答えた。王から合図された運転士は隊列の前方へとヘリを移動させ、迎え撃つ構えを取った。刹那、先頭の車両が暴れ馬にでも乗ったように跳ね上がった。そのまま空中で爆発すると、後続車がつぎつぎにブレーキを踏みこんだ。急ハンドルを切り、横転する車が続発した。そこに突っこむ車も多かった。壮大な玉突き事故になった。衝突を免れたのは、最後尾を含めて三台だけだ。
「放て」
動けなくなった車両にも誘導弾が撃ちこまれた。垂直の炎を追いかけるように黒煙が渦を巻く。火だるまになって出てくる生徒が見えた。
「最後の車両だけ残せばいい」
燃えた破片が花火のように飛び散り、落下した先には生徒だった塊がある。
指令どおり、最後尾の車だけが生き残った。生徒は申し合わせたようにバラバラの方角へ走り去ろうとした。が、正確無比の掃射に足止めされている。
ヘリは、彼らを直立させたまま着陸した。なかにはゴム弾を撃ってくる者もいたが、実弾の敵ではなかった。威力の差を見せつけられ、萎んだように大人しくなった。
間もなく装甲車も到着した。扉が開き、投降した五名を待ち受けている。曾は、彼女たちに声をかけた。言うとおりにすれば手荒に扱わない。研究所へ送り、簡単な試験や訓練を受けてもらうことになると告げた。その先に待っている現実は伏せて。
彼女たちを解析したあと、曾も処分される。データが揃うまで、どれだけの時間が残っているのか。やがて第四世代が招集される。培養組の教化プログラムに変更を加え、外組による謀反に備えたシステムの再構築を急がなければならない。
長くて一年、か。
油断すると溜息に埋もれてしまいそうだ。曾をモデルにした第三世代は、完成度の高さに拘った世代として注目されたというのに。
連れてきた助手も同じ思いだろう。手足となって尽力してきた女性である。曾という柱を失えば、彼女の未来も暗転する。師事した者の失墜は弟子の運命も歪めてしまうのだ。彼女を第三世代の研究チームに抜擢したときの喜びようは、いまも瞼に焼きついている。王に見出されたときの曾そのものだった。
何より悲しいのは、失敗作としてさえ残らないことだ。第三世代の研究チームそのものが史実から消されてしまう。
曾は彼女に告げた。最後の頼みがあると。研究者として犬死にするわけにはいかない。そのための方法がある。協力してほしいと。彼女は分厚い眼鏡の奥で目を潤ませていた。
「わたしたちは、こちらに」
曾は装甲車に乗りこもうとした。助手は助手席に乗ることを許されていた。データの収集は、この非常時にこそ得られる。彼らと真向かいで接してこそ、今後のトラブルに対処できるだけの資料を収集できる。王は曾の訴えを認めた。しかし。
先頭の生徒が装甲車に乗りこもうとしたときだ。王がその手を掴み、訊いた。
「南へ向かった生徒は」
首都に紛れれば、捜索はより難しくなる。
問われた生徒は一度だけ首を振った。その態度に訝しさを感じたのだろう。王がこめかみを撃った。遺体を跨ぐと、つぎの生徒にも同じ質問をした。培養組だ。
「南には、行っていません」
気になる言い方だった。王は、撃ったばかりの銃をこめかみにあてた。その熱の生々しさが恐怖を膨らませる。悲鳴に混じったのは「……ただ」という泣き声だった。
「ただ、なんだね」
噛み締めた白い跡が唇に残っていた。
「校内に残っています」
「何人いる」
吐き出してしまった言葉を恥じるように、生徒が再び唇を噛み締めた。
「何人だ」
唇から血が流れ出た。噛み切っても答えるつもりはないという眼差しがある。王は撃ち殺した。
三人目の生徒がしゃくり上げながら答えた。
どうして脱出しなかったのか。なんのために残ったのか。
王は、残りの生徒を集め、続けざまに撃った。
「カリスマが校内にいるようだ。サンプルとして最適だな」
曾は再びヘリに乗せられた。志士の存在を耳にしたいま、一刻の猶予も許されなかった。
美雨と87が職員室に入ったとき、教師たちのほとんどが悲鳴を上げた。つぎこそ自分の番だと怯え切っていたのだ。しかし、口を割るかどうかは別問題だ。周りの目と耳がある。集った状態では口が重いだろう。
ふたりは一計を案じた。ひとりずつ校庭に連れていき、射殺する。そう告げたのだ。1―30がひとりで監視していたとき、彼らは必死に命乞いしたという。彼女だけが相手ならなんとかなると思ったのだ。反対に、彼らがひとりになればどうするだろうか。自分だけでも生き残りたい、とチャンスを探るに違いない。駆け引きしようとする。交渉できると感じれば話を持ちかけてくるはずだ。
指名し、立たせ、廊下を進ませ、校庭に連れていく。話を切り出せるタイミングはいくらでもあるのだ。
ひとり、またひとり、と教師を連れ、校庭へ向かわせた。職員のなかには腰が抜けた者もいて、思った以上に時間がかかった。それなりに肝が据わった教師のなかには、胡が乗り移ったような口調で罵る者もいた。しかし、中央に通じていると漏らす者はいなかった。校長である胡にしか伝えられていないのか。
最後の職員を校庭に連れていき、87がもどってきた。ダメだった、と首を振っている。彼らはそれぞれに繋がれ、校庭の中央で待機させられた。1―30の作業が終われば彼らの運命も決まる。何も出てこなければ彼女の主張に従うほかない。
校長室の構造に詳しいと豪語した割には手こずっている。すべての情報は胡の頭のなかに仕舞われていたのかもしれない。結果的に、かなりの時間をロスしたことになる。
ふたりは校長室の入り口で足を止めた。
「脱出できたら、どこへ行くつもりだ」87が訊いた。
「両親に会うわ」
「オレもそうするね。親父を撃ち殺してやる」
「理由を訊きたいだけよ。どうしてわたしを育てたのか」
「わざわざ絶望しに行くのか」
「行かなきゃ気が済まないでしょう」
「で、絶望したあとはどうする」
「ずっと父から日本のことを教わってきたの。礼儀やら、言葉遣いやら、なんでもね。だから」
「日本へ? 考えたこともないな」
「両親が言ってたわ。日本には、この国がなくしたものが残ってる。この国が手に入れられなかったものもあるって」
「おまえは日本かぶれだから、そんなに」
「変わってる」
「というより、違ってる」
87が「しかしな」と眉根を寄せた。
「本当にそんないい国があるのかね。オレはクソ田舎しか知らないから偉そうには言えないが、とても信じられない」
両親は美雨を欺いてきた。父から聞いた言葉には、悉く疑問符がついている状態だ。十八歳で入校させるという契約を守るには、美雨に希望を持たせ続ける必要があった。絶望し、自殺してしまうような事態だけは避けなければならないからだ。日本への絶賛が方便だったとしても不思議ではない。幻想というフレーズがしっくりくるのかもしれない。
「もしかしたら信じたいだけなのかも」
両親を疑い切れない思いに苦しみながら、それを唯一の拠り所にしてきた自分が確かにいる。疑い切れないからこそ信じることを諦め切れない。
「でも、憧れってそういうものでしょう」
「オレの性には合わないね」
「あなたは何をするつもり」
「親父に復讐できればいい。その意味では1―30と変わらないな」
「そのあとよ」
「考えたこともない」
「そのあとの人生のほうがずっと長いのに?」
自分たちのほうが手間取ると思っていた。実際は違った。汗だくの1―30が校長室から出てきた。焦りが満面に出ている。
「ダメ。見つからない」
これ以上は、と彼女が肩を落としたときだった。爆音が轟いた。
87が窓の外を睨みつけた。黒煙が見える。
「北だな」
地響きが伝わってきた。机の上にあるパソコンが倒れ、ファイルケースは転げ回った。棚に収まっていた書籍も踊り出し、集団自殺を思わせる勢いで落下しはじめた。地中に閉じこめた魔人が目覚め、ここから出せと体をぶつけているかのようだ。
聞こえるか、と87が耳に手を当てた。辺りは騒々しかったが、一度聞き分けると内耳から離れなくなった。ヘリだ。こっちへ来る。
あの衝撃と揺れが意味しているところはひとつしかなかった。脱出を試みた生徒が襲われたのだ。絶望的な破壊兵器で。
作業を中止すべきだ。トラックは小門の手前に停めてある。
「行こう」美雨は廊下を走った。87の足音が真後ろから追ってきた。しかし。
振り返ると、1―30が突っ伏していた。苦痛に顔を歪めている。震動のせいで転倒し、どこか傷めたのかもしれない。
87が駆け寄り、肩を貸した。足首を捻ったらしい。額には吹きつけたように脂汗が滲んでいた。
美雨も肩を貸した。ヘリは逃げた生徒たちを爆撃し、ここにも向かってくる。残されているはずの教師たちを救いにきたのだろう。ならば、彼らの口から「生存者」のことが伝わる。追われるのは目に見えたことだった。
「あなたたちは行きなさい。行って、やりたいことを叶えるのよ」
1―30は右足だけで踏ん張っている。
「わたしは死んだの。裏切られたとわかったときにね。思い残すことはない」
「バカか。これからの人生のほうが長いんだ」
87は「だろ」と美雨を見やった。
「そうよ。知恵を絞るんだったら、頭はひとつでも多いほうがいいし」
1―30が白旗を揚げた。足手まといになることを詫びながら。
「そのぶん、アイディアを出してくれればいいさ。培養組は優秀だからな」
87が言い終わらないうちに質問が割りこんだ。
「トラックで逃げたところで、追撃されるのはわかってる。どうするの」
「奪うしかないだろ、ヘリを」
「それができたとして、どうやって動かすのよ」
「運転士を脅して飛ばせる」
楽観的過ぎる。が、ほかに手は浮かばない。
「オレが囮になって、兵士を校内に向かわせる。おまえたちはトラックで待機してろ」
87が逃げ回っている隙に、トラックをヘリに近づける。
「運転士も降りてきたら」
「決まってる。ヘリを壊して、トラックで逃げるんだよ」
砂煙が舞い上がった。校庭に集められていた教師たちが、濁流のなかに取り残された水草のように体を傾けている。ヘリが真上にいた。肥えた深海魚を思わせる風体だ。着陸態勢に入っていながら、なかなか降りようとしない。教師たちの様子を確認しているのだろうか。それにしても長いホバリングだった。
美雨は地階の入り口で待機し、タイミングを計った。農園関係者が食材を運び入れる連絡通路はすぐそこだが、1―30の足首は紫色に腫れ上がっている。爪先で歩くことさえ難しく、背負って移動しなければならなかった。ただでさえ目につきやすい。
ヘリから降りてきた兵士は二名。運転士が残っている。プランAだ。
美雨は1―30を背負った。しがみつく指が激痛を訴えている。通路へ向かおうとしたときだった。兵士のあとから降りてくる姿に見覚えがあった。曾だ。白衣のままで校庭に降り立った。助手らしき女性を伴っている。あのド近眼だった。
さらに、ひとり降りてきた。軍服姿の男だ。最後尾についた。尖った顎に髭を蓄えている。強風をものともしない様子で歩み寄ってくる。兵士よりも屈強に見えたのは、その体つきからではない。眼光の強さだ。この国を動かし得る何かを手にしている。そう確信させる迫力があった。
教師の口から伝われば、すぐにハンティングがはじまる。
一歩、二歩と美雨は歩き出した。が、不可解だった。教師たちが、全知全能の神に仕える信者のように両手を差し出し、救いを求めはじめたのだ。膝をつき、ひれ伏す者さえいた。兵士は彼らを救いに来たのだ。卑屈な態度を取る必要はないはずだった。それでも教師たちは縋り続ける。説得しているようにも見える。行き違いでもあったのか。
眼光の男は相手にしようとしなかった。兵士にもそう合図し、校舎を指している。
胡を探しているのか。殺されたと言われても、遺体を確認するのが先だということか。中央から指示を受けているのだとすればあり得る話だった。それにしても対応がそっけない。眼光の男が、邪魔だと言わんばかりに教師の手を振り払った。悶着に気づいた兵士が近寄ろうとした。彼らは銃を手にしている。教師は鞭を打たれたように大人しくなった。
眼光の男が制した。先に行けと合図を繰り返し、腰から銃を引き抜いた。教師たちに向けて連射した。弾を使い切るために撃っているかのようだった。
兵士たちは無表情のままだ。大股で校舎へ近づいてきたかと思うと、急に方向を変えた。美雨たちが潜んでいるほうへ足を速めてくる。ふたりは歩きながら撃った。狙いは通路に潜んでいる影ではなかった。その七メートルほど先だった。トラックが炎を上げた。
「わたしたちを探しに来たんだわ」1―30が声を抑えて言った。
車を破壊したのは逃亡を防ぐためだろう。生徒が残っていることを知っていたのだ。
「どうしてそんな面倒なことを。いっきにカタをつけることもできたのに」
「誘導弾は撃てない。校舎を破壊してしまうことになるわ」
次世代に残しておくためか。
「クソが」
87が項垂れた。トラックは命綱だった。破壊されたことで、プランBも同時に失った。
爆発で連絡通路の半分が焼け落ちた。火の勢いは強く、小門まで達している。煙も充満しはじめた。美雨たちは足元の酸素を求めて腹這いになった。
「投降しなさい!」
曾が叫んだ。双眼鏡で西口周辺を検めている。
「あなたたちをサンプルとして回収します」
ここに潜む生徒はあの爆撃を耳にした。皆殺しという最悪の結果に気づいている。逃亡手段であるトラックを失い、絶望の淵にいるのだ。ならば、生かす、と含意したフレーズに吸い寄せられるはずだった。サンプル、とは絶好の誘い文句だ。狙いどおりに生徒が現れれば、手を煩わせることなく止めを刺せる。
87が顔を上げた。トラックを破壊されたショックは大きかったはずだ。それでも口元に自信が見え隠れする。腹案が?
「オレは、あんな連中が一番嫌いでね。追い詰めて、苦しめて、ほかに道はないと諦めさせる。親父のやり方と同じなのさ」
87がゴム弾を放った。兵士の喉元に命中していた。咽頭が潰れたか。前のめりに倒れたまま動かない。
「みんな親父に見えてくる」
相手はふたりいる。相棒が一撃で倒されたと気づき身を屈めた。砂煙の恩恵を受けて姿をくらます。眼光の男も同じ体勢をとった。ゴーグルを着用し、87が潜んでいる方角を見定めている。
「あなた、ひとり?」曾が声を張り上げた。
「そうなるね。ここから逃げた連中は、おまえらが殺しちまったようだからな」
87が叫んだ。プランCを告げていた。ほかに生存者がいなければ連中は引き上げる。夜を待って南へ逃げろということだ。
87は砂に隠れている兵士に向けて撃った。反撃を食らわないよう姿勢を変えながら、一箇所を狙い撃っていた。弾を使い切ったとき、砂煙が微かに晴れた。兵士のゴーグルは粉砕され、一見して絶命しているのがわかった。
眼光の男が拳銃を向けた。
「撃たないで!」
金切り声に近かった。サンプルとして回収するという、曾の話は嘘ではなかったのだろう。いつまで生かされるのかは、先方の匙加減ひとつだろうが。
ハチの巣にされる人間を間近で見るのは初めてだった。軍人ならば、一発で急所を撃ち抜けたはずだ。それでも眼光の男はトリガーを引き続けた。
87は意思とは無関係に踊らされているように見えた。絶叫することさえ許されないまま、最後の一撃を眉間に受けた。
曾が駆け寄ってきた。87を胸に抱き、絶命の重さを手に感じている。サンプルは尽きた。そんな悲壮な面持ちで眼光の男を見据えていた。
「カリスマが自己犠牲を払う目的はひとつ。歴史が証明してきた」
眼光の男の指示で、運転士が降りてきた。
「まだ残っている」
白煙が弧を描いて着弾した。すべての階に催涙弾が放たれ、呆気なく勝負はついてしまった。咳きこむ声を辿り、眼光の男が美雨の頭上に現れた。
(第15回 了)
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