性にまつわる全てのイズムを粉砕せよ。真の身体概念と思想の自由な容れものとして我らのセクシュアリティを今、ここに解き放つ!
by 金魚屋編集部
小原眞紀子
詩人、小説家、批評家。慶應義塾大学数理工学科・哲学科卒業。東海大学文芸創作学科非常勤講師。一九六一年生まれ。2001年より「文学とセクシュアリティ」の講義を続ける。著書に詩集『湿気に関する私信』、『水の領分』、『メアリアンとマックイン』、評論集『文学とセクシュアリティ――現代に読む『源氏物語』』、小説に金魚屋ロマンチック・ミステリー第一弾『香獣』がある。
三浦俊彦
美学者、哲学者、小説家。東京大学教授(文学部・人文社会系研究科)。一九五九年長野県生まれ。東京大学美学芸術学専修課程卒。同大学院博士課程(比較文学比較文化専門課程)単位取得満期退学。和洋女子大学教授を経て、現職。著書に『M色のS景』(河出書房新社)『虚構世界の存在論』(勁草書房)『論理パラドクス』(二見書房)『バートランド・ラッセル 反核の論理学者』(学芸みらい社)等多数。文学金魚連載の『偏態パズル』が貴(奇)著として話題になる。
三浦 松本人志の件で週刊女性が、告発女性が証言を撤回したという記事を出してますね。そもそも女性がたくさん出てきては消えているんですよ。で、証言の変わり方など見ていると、ちょっと偏見が入ってるかもしれないけど、女性って身内贔屓による不公正とか、そういうのが非常に多い気がする。
小原 うん、イメージできる。
三浦 研究不正の絶対数は男性研究者の方が圧倒的に多いんだけど、女性の不正には特徴があって。国の仕事でチームを組んだ機会も何回もあったんだけど、一緒に入っている女性研究者が持ってくる資料だけ偏っていたり。自分の親しい研究グループの中からしか持ってこなかったりとか。女性だからというより個人的な資質の問題なんだけど、傾向としてはどうもあるんだよね。
小原 それは確かに、そうなんだろうという気がする。新人賞の選考でゴリ押ししたり、とかね。
ただ一方で、はっきりした規範があるものについては、むしろ潔癖で杓子定規だから、例えば女医さんの方が患者の生存率が高いって、最近のデータでも出ている。
三浦 あ、そうですか。
小原 その調査結果は何度も目にしますね。繰り返し調べられているのかな。
すっごく甘ったれた、いい加減な女医さんもいっぱいいるんだけど、そもそもそういう人は責任逃れしたいから、わかんなければ別の医師に投げちゃう。
一方で男の先生ってすごく思い上がっている人がいる。自分の都合で、あーこんなのはいいんだよ、いいんだよ、みたいな。それでいて権威を守ろうとするから。海老蔵の亡くなった奥さんが病気を早期発見できなかったのも、そういう勘違いした医者のせい、という噂を聞きました。
三浦 適不適があってね。私の家を作ってくれた大手メーカーなんだけど、家周りの修繕に関してずっと入れ替わり立ち替わりで男の営業がついてね。郵便受けの蓋が壊れたんですよ。ここだけ直してほしいって言ったら、全部取り替えなきゃいけないので、塀から何から相当お金かかりますって、ずっと取り合わない。で、女性に変わったんですよ。そしたらもうあっけらかんと壊れたところだけ取り替えてくれましたよ、数千円で。数千円の仕事なんてやりたくないんだよ、男は。
小原 たぶんね、性別の問題じゃないんですよ。強いていえばジェンダーかもしれないけど、でもまあ、わたしんとこリフォームした昔からある小さめの業者さんだと、絶対そこだけやる。それも男の取締役がやってきて、手ずからやる。大工代浮くから(笑)。
大手ハウスメーカーだと何重もの下請けを前提としたパターンができていて、それに当てはめるのが仕事だと思っている。ただ必ず抜け道はある。例えば新築後の手直しだったら、さっさと低コストでやってしまわないといけないから、そのルートを使えばいいよね。だけど一般社員は給与のために働いているだけだし、顧客のためにそこまで気働きする理由がない。結局、それぞれの立場と自身の仕事の捉え方、組織のしがらみの問題だと思うんです。
三浦 そうかな。
小原 ノルマもあるかもしれないし、そうなると対象物に対して関心なんか持ちようがない。これはこうしなきゃ、そういうもんなんです、って決めつけようとする男って、特に不動産とか建築とかではフツーだよ。そういう営業をどやしつけたこと、何度もある。「女だと思ってナメやがって」と、わたしにはめずらしいキレ方をしたけど(笑)、よく考えたら彼らは自分の知ってること、できることを言ってるだけ。無知なだけよ。
三浦 しかしまぁ女性に代わった途端にさ、劇的にすぐ解決したんだよね。
小原 女性を営業に採用したってだけでもまだ風通しがいい会社かもしれない。そのぐらい旧い体質の業界よ。
三浦 マニュアルがあるのかわかんないけど、男の営業、何人かに尋ねても同じ答えでさ。とにかく塀から壊さなきゃいけなくなるとか、あり得ないでしょうと。
小原 建築って達観主義といって、ようするに上から、まるっといくらと金額から先に決まる。その金額はほぼ会社の規模による。客にはもっともらしく内訳を知らせるけど、後から切り分けて見せてるだけ。今の時代にそんなやり方でいいのか、とか考える頭すらないの。男の会社員って自分が上司から刷り込まれた知識がすべてで、客が自分以上に知っているわけないと思い込んでる。あー思い出すと腹が立つから、この話はやめようよ(笑)。
三浦 それで大きなところしか押さえてないのか。女性の場合には、細々したところまで興味を持って調べるのかもしれないね。
小原 女の人はそもそも、そういったことに関心があるからその職についていることが多い。特にキッチンのリフォームなんか、流し台の高さを一センチ単位でいいとか悪いとかっていうのに付き合わなきゃいけない。宮部みゆきの小説に「どんなにおとなしい女でも家のリフォームで口を出さないなんてことは絶対ない」って書かれていて。いつもは旦那の言いなりでも、自分が毎日使う台所の仕様について口を出さない女なんて、この世に一人もいない。確かにそうですよ。だから女性は、そういう細かいところをやっていくのが当然だと思っているし、新築メインのハウスメーカーにも形ばかりのリフォーム部があって、その担当なのかも。
三浦 まあそうだよね。逆に言うと、そういう細かいところを気にするから、いろいろ証言を翻したりとか、自己暗示にかかったりとか。
小原 それはあると思う。女性は、社会的な一般原則よりも、目の前にある人間関係を重視する傾向はあるでしょう。ただそれが漠然とした原則でなく、自分に課せられた細かくて現実的な規則なら従う。
男性は目の前の規則や出来事より、一般原則を重視する傾向がありますね。でも結局、一般原則と思い込みたいだけで、単に自分や組織の都合ってことも多い。
三浦 女性の証言撤回ということで言えば、二十二日に『正義の行方』を見に行きましたよ。渋谷ユーロスペースで、二時間半ぐらいの結構、長い映画で。
飯塚事件というのは、二人の女子小学生が通学途中で、遅刻していたものだから周りに人気がないところで行方不明になって、遺体になって見つかったというものです。
最後に二人を目撃した女性の証言があったがゆえに、さらわれたのはその場所だと、つまりその場所から先、数分経ったときに他の人はもう女児らを見ていないということで、さらわれた場所と時刻がほぼ特定された。その目撃証言が今、目撃女性本人によって翻されているっていうので、再審請求がどうなるかって注目されていた。
小原 棄却されましたよね。犯人の死刑はすでに執行されていますね。
三浦 元の証言は信用できるけれども、証言を翻したことは信用できないということになった。それはやっぱりそう判断せざるを得ないですね。
行方不明の段階、つまり死体がまだ発見されてない段階での証言でしたから。近隣の女性が、たまたま通学路を通りかかりました、片方が黄色いジャンパーを着ていて、いつもとは違う時刻に女の子二人小学生がいました、って捜査に協力した。行方不明の女子たちを探している、その協力をしたわけです。翌日という、記憶が鮮明なときに証言をしていて、しかも服装も合っている。他の子たちがいないそんな時刻にいたのでおかしいと思った、ということも、すれ違った車とか、当日の他の人の証言と合っている。だから女児二人を見たっていうのはまず間違いないんだけど、何年も経ってから、「あれは捜査員に誘導されて言わされたんだ」と言い始めたんですね。
これはいろんな人が推測しているけれど、まず最初は行方不明になった女の子たちを見つけてほしいという思いから本当のことを証言したけど、殺人事件の証人として呼ばれることになっちゃった。法廷でも元の証言と同じことを言っているんだけど、それで死刑が執行されてしまい、冤罪だって騒ぐ人たちが出始めた。自分の証言のせいで死刑執行されちゃったのか、真犯人は他にいるかもしれないのにって、マスコミの騒ぎに負けてきちゃう。罪悪感とか後悔とかが押し寄せてきて、記憶が改ざんされて。弁護団もたぶん、かなりプレッシャーかけているんだよね。
小原 それは取調官たちが「おまえがやった」って容疑者を追い詰めるやつの逆バージョンですね。
三浦 まさにそう。それで自己暗示もあって、今は、自分は見てないっていうふうになっていると思うんだけど、ただあの内容を見ると、「見たのは他の日」っていうのはおかしな話なんだよね。
だって他の日は女児二人は遅刻をしてないわけだし。服装も合っているわけだし。しかも翌日に証言しているわけだから、そのときに、別の日のことをわざわざ自分から言わないでしょ。まだ殺人だともわかっていないんだから警察からの誘導もあり得ない。だって見つかってないんだから、遺体も。
小原 通常の通学時間には遅刻していたから、たまたま見たってことなんでしょ。
三浦 他の小学生がいないところに、もう何十分も遅刻して、授業も始まっているのに、女児二人がいたから目立ったわけで。
小原 大勢がぞろぞろ通っているときに、その二人だけ覚えているわけないから。八丁峠での車も一緒ですよね。何でそんなによく覚えているのかって責められているけど、他に車がいないようなところにその車がいたから覚えてんでしょうよ。
三浦 そういう記憶に残る理由があっての証言だし、全部辻褄が合っているわけだから、どっちの証言が信用できるかっていうとやっぱり最初の方なんですよ。
ただ、目撃した女性にしたら、もう文脈が違っちゃったからね。単に行方不明の捜査ではなくなって殺人事件になって、しかも冤罪かもしれないと言われると、いろいろ考えちゃうよね。
小原 でも自分は絶対、見たんだって言い張った方が負担は軽くならないかな。なんで嘘の証言をしてしまったなんて言い出したのか、わからない。
三浦 あえて偏見めいた言い方をすると、男の場合はあくまで自己正当化で押し通すと思うんだよね。だけど心理学でインポスター症候群っていうのがあって、自分は人を騙してるんじゃないかっていう罪悪感に駆られる、それが女性には非常に多いらしいのね。
例えば、ある偉い地位についた場合、この場合には証言者っていうのが権威を持った地位なんだけど、ある地位に抜擢されると、自分はそんな実力ないのにって、辞退してしまう率が非常に高いらしいんだよね、女性は。
男性は逆で、自分は偉いと思い込んでしまって、自己をむしろ過大に評価する。女性の場合には、自分は過大評価されて結果的に人々を騙している、と。それで退きたくなってしまう思いに駆られることが多い。もちろん個人差はあるだろうけど。
小原 「京都先斗町に降る雪も、富士の高嶺に降る雪も、雪に変わりがあるじゃなし」ってやつですよ。「溶けて流れりゃ皆同じ」ってね。中高で、そう女子校だったんだけど、修学旅行の間中のテーマソングでさ。先生にやめろーって言われたけど、オヤジギャルのはしりだったのかな。大人になると「わたしは別に、富士の高嶺に降る雪じゃないし、実は先斗町に降る雪だったんじゃないか」って突然、思うってことってあるかも。
三浦 そうそう、そうらしいんだよね。だから証言者っていう地位はやっぱり重いんだよね、責任が。会社なんかで抜擢されてもすぐに辞退してしまう。
小原 うん。どうしてかっていうとね、「富士の高嶺」っていう権威をさ、実はあんまり信じてないんですよ。「富士」ってのはいわば組織のメタファーでね。
三浦 それもあるんだよ。男はそういう権威っていうものをね、支えにする。
小原 だってそんなの幻想じゃん。そんな幻想を信じるのが男にとってはアイデンティティになっていて、それはそれでいいんだけど、また悲劇も起きる。女の人はそういう悲劇から前もって自分のメンタルを守っているってところはあると思うんですよね。
三浦 女性のそれはね、正しい姿勢なんだけど。ただ、それが公共の犯罪捜査であるとか、そういったものに関わる場合、その態度はちょっと困るんですよね、自分だけの問題だったら、謙虚な人だ、で済むんだけど。自分はあくまで見たんだって、やっぱり言い張ってくれないと。
小原 うーん、謙虚さなのかなあ。むしろ損得勘定で「合わない」って感じるんじゃないかな。
確かにジェンダーは幻なんだけれども、でも現実の我々の生活はいまだにジェンダーによって振り回されている。で、ジェンダーの幻想にしっかりとらわれているのは、女性よりむしろ男の側かもしれない。
昔、うちのマンションで騒ぎがありましてね。マンションだから何億ものお金が動く結果になるので、わりと大きなトラブルになった。そのとき保身のために自分の立場をコロッと変えたのは、むしろ男性たちだった。女性たちはそうではなかった。理由は二つあって、一つは多くのお金が動くことで、組織での自分の立場が追い詰められるのは主に男の人たちだった。あと一つは、そのときの理事長がわたしだったし、理事は全員女性だった。そうすると、わたしのことが嫌いで、積極的にわたしを陥れようとした女はいるんだけど、保身のためにコロコロ言うことを変える女性は出てこなかった。
まあ一年限りの交代の理事であれ、トップが女性で、自分たちが主体で、っていうときは、女性も責任を負うわけよ。保身のために言葉をコロコロ変えるってのは、顔色を見るべき主体者が他にいて、自分が頑張る理由がない、頑張っても損するだけ、って思うときなんだよね。
三浦 そういう社会的な繋がりは男が強いので、その意味でもいったん証言をしたら変えられないっていう方に行く場合もあれば、逆にどんどん変えなきゃいけなくなるっていう場面もあれば、っていうことで、男と女で分かれるっていうのは事実でしょうね。
小原 うん。女性にかかりやすいプレッシャーと、男性にかかりやすいプレッシャーの種類が違うってこともある。
三浦 だから、女はこういうときこうだよねっていう統計に基づいた経験則はあって。女性はこういうとき、保身を考えて責任放棄したくてすぐ変えるよなって。ところが男性がもし証言を変えたとしたら、もうちょっと真面目に取り合ったんじゃないかなっていう気はしますね。
小原 裁判所がまさかそんな偏見を持ってたら大変だと思うよ。やっぱりその女性が証言を翻した理由内容が、およそ真面目に取り合うべきものではないからでしょう。
三浦 証言を変えた本当の動機みたいなものを推察して、おそらくこういうプレッシャーがかかったんだろうってことだろうね。
小原 推察しなくたって、ようするに人間なんてそんなもん。男は仕事上の保身のためなら、卑劣な掌返しをびっくりするぐらい簡単にする。
三浦 その女性の証言が翻されても、結局、その直前に他の人が二人を見てるんだよね。そうすると単にその女児たちが最後に目撃された地点がちょっと前にずれる、さらわれた時間間隔が伸びるだけの話で、たいしたことではないんです。
小原 いずれにしても物証が固いので。弁護団が今、こんなこと言い出したのは、要するに死刑を廃止するきっかけにしようってことでしょう。飯塚事件そのものがひっくり返ることはないと思うけど。
三浦 マスコミ的に、あの足利事件の菅家さんが記者会見で、飯塚事件に言及してるんですよ。「私と同じDNA鑑定で、同じ手法で同じ人物が鑑定をして、そしてもう死刑執行されてしまった久間さんがいる」と冤罪の当事者が喋ったので。それで弁護団も黙ってられなくなっちゃった。
小原 まあ、それは菅家さん本人にしてみたら、共通点があるってだけでも怖いでしょうね、だけど飯塚事件にはDNA鑑定なんか関係ないぐらい、固い物証があるわけだから。
三浦 再審棄却のときにDNA鑑定が撤回されたって、誤解している人がいるんだよね。「仮に物証から除いたとしても、他の証拠によって十分合理的な疑いを超えた確信を持てる」と書いてあるだけで、別に除くとは書いてないんだけど。
小原 繊維については、東レもウチのだって言ってんだからさ。
三浦 血痕、尿痕もあるし。それに久間自らアリバイをちゃんと供述していない。パチンコ店にいたって言っているんだけど、店が混んでいたとか、どの場所に車を停めたかとか、どういう客がいたとか、詳細に語れば誰かが確認してくれる可能性もあるでしょ。逆に嘘だとバレてしまうことを恐れて語らないとしか思えない。
小原 とにかく物証ですよ。あの繊維を使った数少ない車の持ち主について、警察は全員のアリバイを調べたんでしょう。
三浦 世間的にはね、なかなかそれが伝わってない。ネットは自分が普段見ている系統しか上がってこないから、エコーチェンバーというかさ、どんどん偏っていくって仕組みがある。だから本当はテレビが公平に、あらゆる角度から報道してくれればいいんだけど。
小原 やっぱお上の言う通りでした、じゃ番組が三十分もたないか。
三浦 ともあれ、あの女性が証言を翻したってことが一役買っていることは確かなので。女性特有の保身で責任放棄をしているんだ、責任回避しているんだという先入観、それが証言そのものの価値を損なっている面もある。
小原 本当のところは、男の人が証言を翻す動機の方がわかりやすいな。社会の中で、上司にこう言われたんだろうとか、家族を養わなきゃいけないときに会社が潰れそうになってて、とか。必死にもなるだろう、と。で、若い女、時間が経ってオバサンかもしれないけど、女だからってのは、逆にちょっとよくわからんところがある。
三浦 組織が関わると男の方が揺らぎやすいかもしれないけど、個人レベルでは、やはりさっきのインポスター症候群による責任回避の欲求と、罪悪感みたいなものは、女性の方がやっぱり強いと思うね。
小原 罪悪感、ねぇ。女性ってそんなに善良かねえ。責任回避はあると思うけど、それは一種の狡さだから、罪悪感とは両立しないよね。罪悪感を感じたくないから責任回避するってことなら、まあ、あるかもね。
三浦 最近ではなくなってきたけど、いろんなプロジェクトでも、女性が一生懸命仕事して、実質は女性が担っているのにさ、責任者のクレジットは男性に押し付けるっていうのはありますよね。功績も責任も。
小原 生真面目な人ほどプレッシャーを感じやすい傾向はある。以前、やっぱりうちのマンションで、顔見知りの女性が理事になったときに、常駐の管理人を追い出したんですよね。その管理人は非常に問題が多かったから、追い出してよかったんだけど。で、しばらくしたらその女性がわたしに電話してきてさ。「小原さんが昔、ナンとか言ったことが原因で、あの管理人は辞めたんじゃないか」とか意味不明なことを言う。
「あなた、自分で辞めさせたことが今になって重くなっちゃったんでしょ」って言ったら黙っちゃって。「あなたがやったことは正しいんだから、威張ってたらいいのよ」って言ったんですけどね。それはちょっと面白かったな。
三浦 自分のせいで他人がネガティブな目に遭ってしまうことに対する否定的な思いっていうのは、女性は異様に強くて、デモデモダッテちゃんになる。盛んに知人とか友人に相談しまくって、自分がAさんからいかに迷惑を被ってるか言いふらして、でもそのAさんが報いを受けたら、自分のせいでそうなったって認めたくない。
小原 諦めが悪いとこあるんですよね。常に自分が無謬でありたい。物事には表と裏があるから、引き受けるべき副作用は必ずあるんだけど、どんなところからもケチがつけられないようにしたい。
三浦 世評、評判に対する恐れはやっぱり女性が非常に強いですよね。
小原 その評判ってのがさ、そんなつまんないこと、っていうような、親とか親戚とかからちょっと言われたとか。弁護団がその人を捕まえてずっと責め続けられるとも思えないので、その動きを察知した周りの人が嫌な顔したとか、そんなことだと思うんですよね。
三浦 それそれ。家族からのね。それは当然あるでしょう。
小原 社会のヒエラルキーでの軽重から言えば、問題にもならないこと、自身の半径五メートルぐらいでキャンキャン言われたことと、社会的にすごく重要なことの区別がついてないんじゃないかって、言いたくなるのはわかる。
三浦 だから女性はやっぱり直近の周りの方が重要なんですよ。男性だったら一回証言しちゃったのを翻したら、そっちの悪評の方が大きいって思う。
小原 ただそれは、生物学的な性別の問題ではない気がする。男性の世間がちょっと広いったって、結局は会社という組織を意識しているだけ。一貫性がない男と見られることが会社での立場に影響するかも、と考えるのも所詮は半径五十メートルほどの損得勘定に過ぎないわけだし。「妹の縁談に触るかもって親が心配している、もう無関係でありたい」という女性の半径五メートルほどの損得勘定より、上司の顔色を窺う方が社会性が高いとも言えない。だから守備範囲がちょっと広くなれば、女の人でもそこらへんの男と同じ感覚になっていくことはあるのかなと思うんですけどね。
三浦 会社勤めといえば、犯人は専業主夫だから。子供の登下校時間に大人の男が自由にしているっていうことがダメだってことですよ。やっぱり男はさ、働いてなきゃ。
小原 うーん。働いていても時間が自由になることはあるでしょうし。作家とか夏休みの大学の先生とか(笑)。
三浦 それで映画には犯人の奥さんが出演しているんですよね。奥さんは無実を迷いなく信じている。久間三千年っていうのは父として、あるいは夫としてはすごくいい人で、完璧に役割を果たしていたらしい。だから近所でもそんなに評判悪くなかったんじゃないか。
小原 ザリガニおじさんとか呼ばれていて、女児たちとも顔見知りだから、すぐ車に乗っちゃったんだろうと。
三浦 顔見知りであることは間違いない。四年ぐらい前の別の女児行方不明事件にも関わっているのではないか、と。ポリグラフでも出ているし。
小原 それがわかってから死刑執行して欲しかった。
三浦 うん。自白を待って欲しかった。ただ、あのとき処刑しなかったら足利事件の再審が始まっちゃう。マスコミ的にも騒がれるから、ずっとできなくなっちゃう。
小原 まったく違う事件だって言っても、皆聞いてくれないもんね。
三浦 映画を観てあらためて感じたのは、家族としての信頼は得ていて、だから奥さんも理屈からすれば夫が犯人とわかっているはずなんだけど、そうと認めない。
小原 奥さんにしてみたら犯罪者の家族として生きる、犯罪者の子供として育てていくより、自分たちは冤罪の被害者だっていう立場を貫いた方がいいですよね。
三浦 久間も良き家庭人として自白できなかったんですよ。自白さえしなければ冤罪かもしれないって思われるのが世の中で、後ろ指さされずに妻子も生きていける。
小原 理詰めで納得する人って、意外と少ないですもんね。
先の証言を翻すって話も、女性は、自分が被害者って立場に立つのが一番楽っちゃ楽なんです。何かあったときには、とりあえず自分が被害者っていう立場に立とうとする。そういうストラテジーはもちろんあるんだと思いますね。
三浦 久間の奥さんはまさにそれに適合したわけで。証言者の女性も、自分が証言して死刑執行されたら、冤罪の加害者みたいになっちゃった。そうじゃなくて自分は捜査官の誘導の犠牲者なんだ、という心地の良い立場へと今、トランスしてるのね。
小原 仕方ないよ。確かに絶対間違いない、見たということが事実であったとしても、あなたが証言したから死刑になったって、特に田舎の人は、そこはもう絶対に覆さないから。
三浦 で、やっぱりうまい具合に、本心から自分は被害者だって信じる、そういう心理構造になるんですよ。久間の奥さんもね、犯人だってわかっていると思うんだけど。
小原 物証がさ。たとえ警察は信じられなくても、東レは第三者だもん。
三浦 広い意味の自己暗示というか、夫を信じる状態にやっぱりあるようですね。
しかも家計を支えていたのが奥さんで、奥さんの仕事のために送りに行った帰りにおそらく犯行が行われた。それが非常に象徴的なんだけど、その奥さんからの信頼が自白を阻んでいた、という気配は感じましたね。
小原 下手すりゃ奥さんも加害者っていうか、そんなことは全然ないんだけど、でも旦那を専業主夫的なところに追いやったのは自分だって思っちゃう。なにせ田舎の人たちは口さがなくて、そう言うでしょうし。
三浦 そういう生活パターンを選んだ責任を感じるでしょう。横浜かどこかに奥さんの親戚が住んでいて、そこに妻子を移住させてくれって、久間が取調官に頼んだことがあるらしい。そのときに取調官は、これは自白するな、と。
小原 なるほど。
三浦 ところが、離婚するなんて私は言ってない、という奥さんの剣幕に押されて、久間はまた貝のように黙り込み始めた。かなり奥さんの存在感を感じた映画でしたよ。
小原 映画は他者の手による作品なので、そのまま事実ではないかもしれないけど。それを言ったら報道も何も信じられなくなるから、ドキュメンタリーだということで。
一般的に、女性は視野が狭いと言われますけど、その生活の範囲が半径五メートルであろうと、半径五キロメートルであろうと、要するにその人がその中でバランスを取って生きられればいいわけじゃないですか。だから狭いから悪いとか、狭いからバカだとか、狭いから民度が低いってことも言えない。結局はその生活圏における緻密な損得勘定がある。
自分が「真実」を言い募ったり、社会正義やらを引き受けたりすることで、何の得があるのか、ってことですよ。それで見合うのか。自分自身の生活を壊し、家族に迷惑をかけてまで、全うすべき正義なんてものがあるのか。どんな正義も結局、誰かの都合ではないか、と考えたら、撤退しないと馬鹿を見る、って計算が働く。それは男だって同じで、ただその半径がちょっと広く見えるだけのことであって。
三浦 久間の場合には、奥さんより狭かった。彼はもう、奥さんの顔色だけ見ているって世間の狭さがあるんじゃないですかね。久間は十九歳から三十九歳まで働いて、当時は公務員として二十年働くと年金がもらえた。それで辞めて、再就職せずにいた。そういう生活スタイルを選んだっていうことが、当時としてはちょっと独特だったのかなってところはありますね。
小原 先の、やっぱり男が専業主夫になって働きもせずというのはろくなもんじゃない、とおっしゃるのは、外観としてはその通りだけど、じゃあ、なんでそうなっちゃうんだろうっていうのがわからないですね。
三浦 いや、だから男が忙しくしてないと、ろくなことしないっていうことなんだよ。
小原 小人閑居して不善を為す、のだけれど、じゃあなぜ男に限ってそうなのか。
三浦 だからやっぱり男はさ、それは今回の事件そのもので、やっぱり性的なことに無駄な努力をするわけですよ。だから時間とエネルギーが余ってると、ろくでもないこと仕出かしかねないんだよね。それは女性が思ってる以上のものだと思うよ。
小原 まあ、性欲を見くびってると言われればそうかもしれないけど、前々から思っていたことで、性暴力っていうのは性の面よりももしかして暴力の面の方が強くないかって。
三浦 それはねフェミニストがよく言うことで、これは嘘です。
小原 フェミニズム的文脈に乗ることなのかな? フェミニストはなんだって、そう言うんですか?
三浦 レイプとかね。レイプは男性が女性を隷属させるための政治的装置だ、なんて言うフェミニストはいますけれども。
小原 それは一般的なレイプ事件の解釈の問題ね。その解釈そのものが政治的だと思う。ただインドで暴動が起きたときに九十代の老婆を大勢で襲ったり、小さい子とか、場合によっては男の子を狙ったりすることもある。その場合の性欲は、暴力そのものへの欲望と見分けがつかない気がする。
三浦 一番多いのは、なんて言ったって二十代の女性だよ。
小原 性犯罪というものが実は存在しない、なんて言っているわけではないですよ。ただ暴力への欲望というものもあるだろう、リビドーの強さが暴力と性欲と、どちらに分岐するのか不明確だ、と言っているんです。イレギュラーな性暴力は変態性欲の現われであり、すべては男の爆発的な性欲に収斂する、という仮説も成り立つけれども、それなら女性の暴力事件はどう解釈すればいいんだろう。
で、久間には幼児に対する性欲はもちろんあったんだろうと思うけど、あの事件はそもそも殺してから性的なことをしているのか、性的なことをしてから殺しているのか、どっちなんでしょうね。
三浦 それはわかんないですね。やってから殺してるでしょう、おそらくね。
小原 そうかなぁ? 一人を待たせておいて、ですか。かなり大変だと思うけど。
三浦 暴力を発散したい欲求ってことで言うならば、男性同士のトラブルが一番多いんです。殺人事件・傷害事件の被害者は、女性に比べて男性の方が圧倒的に多いんですよ。
小原 自身の力の確認、という意味での純粋な暴力事件だと、そうなるでしょうね。だけど性犯罪と言われているものの中には、暴力そのものへの欲望が爆発した部分も結構あるんじゃないのかなって。
三浦 いや、男の観点から言わせてもらうならば、まあほぼ九十何%以上は性欲ですので。
小原 その数字はどっから出てきたんですか(笑)。それもまともな男の感覚から言うと、でしょ。まともな男はそもそもイレギュラーに暴力を爆発させる動機がない。ちゃんと働いている、とかさ。
三浦 そうよ。それは時間的・物理的にできない環境に置かれているから。
小原 そうじゃなくて(笑)。勤めがあるから犯罪できない、ってことはないでしょ。それってどんだけ忙しいんだ。
ちゃんとした勤めがあるから、暴力的に爆発する理由がない、なぜなら精神的なガス抜きができているから、というならわかるけど。
そもそも時間的制約がない、なおいっそう上位の仕事をしている人もたくさんいて、その人たちは高い自尊心を持っている。犯罪のブレーキになるのは時間的制約ではなくて、役割を果たしているという自尊心でしょう、どう考えても。
で、久間容疑者は専業主夫的な立場にいることに対して、我々が思っている以上のジェンダー的抑圧があったのかどうか、ということですよね。
三浦 普通の男としての抑圧から自由であることの抑圧だね。あえて言えば。
小原 久間が専業主夫であったことについて、今のわたしたちなら何とも思わないけど。ちゃんと役割を果たしていたなら、別にいいんじゃない、って。この場であえて「勤めをしてない男は、やっぱり」と、それを俎上に載せるなら、内面の抑圧があったと措定するしかない。パワーを示したい、と発作的に思うような抑圧ですね。
三浦 だって、それなら幼女に向かわないですよ。幼女に対して暴力を発揮したって何の発散にもならないし。
小原 そう思える男は、もともと犯罪者にならないんじゃないですか? 暴力への欲求なら格闘技とか、少なくとも男に喧嘩を売るとかしてもらいたいものだと思いますが。ただ通常の男でも、自分より体格のいい相手からは逃げますよね。いろんな意味で弱い男は、幼女、動物、モノに当たるってことはある。街でよくいる、ぶつかりオジサンは女性を狙うけど、あれが性欲の発露とは思えない。マスクして眼鏡してキャップ被っているオバサンも狙われるから。
で、久間は複数の幼女を殺している。性欲だったら一人でいいんじゃないか、っていうか、まず風俗にでも行ったらいいんじゃないか。
三浦 だって二人いたんだからさ。二人とも黙らせないと足がついちゃうじゃない。一人だけってわけにいかないですよ。
小原 だから、そうじゃなくて(笑)。別の機会にしたらいいんじゃないか。
三浦 だってあれは計画犯罪じゃないんですよ。偶然見つけて、偶然歩いてたから声かけて。
小原 そりゃ遅刻して歩いてるなんて、予想はできないですもん。だけど前もって車のリアガラスにスモーク貼ったり、目立つラインを消したりしてますよね。その四年前の女児一人の行方不明は、久間の犯行かどうかは証明されてないけど。
今回は、二人いっぺんにやるということで、自身の「力の自覚」が強くあり得たんじゃないか。性的満足のためだけに、わざわざ難しいときにやることはない。
三浦 いやー、小さい子どもをね、二人レイプして殺して暴力的なフラストレーションが満足させられるとは思えないですよ。
小原 そうですか? だってDV男なんて、さもないことしてるじゃないですか。家にある人形とか食器棚なんかを壊すとか。逆らわないとわかっている自分の妻に手を上げるとかで発散して、やっとこ暮らしてるんですよね。弱い男になればなるほど、弱い相手を見つけて発散する。学校のイジメに至るまで、人間ってそういうものではないですか?
三浦 ただね、暴力の面を強調すると、性犯罪の防止に役立たないんですよ。性犯罪の防止っていうのは、それなりのやり方があってね。だからこれは女性が怒る言い方をすると、夜道をミニスカートで歩くな、って話なんですよ。性欲を刺激することを防止することが一番のことであって。
小原 別に誰も怒らないけど、今、これって性犯罪を防止するために話してるんですか? それは聞いてないな、打合せ不足(笑)。
いずれにしても、我々がここで善意のスローガンめいたことを言ったところで、犯罪が減るとは思えないですね。
三浦 いや、暴力の欲求っていうことに還元しない方がいいですね。やっぱり性犯罪は性犯罪に特有の側面にアプローチしないと。
小原 いいとか悪いとかは「政治的に」という意味ですかね。それはわたしには関係ありません。活動家ではないので。物書きとしての我々ができることは、何が真実に近いのか、せいぜい真面目に追及しようとすることだけでしょう。少なくとも飯塚事件には、二十歳のミニスカートの女の子に注意喚起すべき、という要素はないですよね。
三浦 だからそこはね、ペドフィリアの傾向とか、そういうものがかかっている。これやっぱりペドフィリアの傾向があったんですよ。
小原 そのペドフィリアの傾向っていうのは、どうして生まれるのかってことですよ。本源的な弱さが、より弱いものへ向かわせるんじゃないか。
三浦 これは性欲が、いろんな多型的な発散の仕方、発現の仕方をするので、個人によって違う。
小原 だけど、それは例えば「DVを受ける女性がマゾヒズム的要素を持つ」って仮説について、ではそのマゾヒズム的傾向がどういうところから生まれてくるのかを考えたとき、「いろんな趣味があるから」って言ったらおしまいじゃないですか。
三浦 いやいや、別にメカニズムの理解は必要ないんですよ。そういうものだっていう前提から出発しないと性犯罪も自傷行為も防げない。
小原 お巡りさんと話しているつもりはないんです。理解は必要ない、とか思考停止を命令される筋合いもないし。
三浦 性犯罪は防止することが先決なので。どうやったら防止できるか?
小原 急にそんな大義名分を振りかざされても(笑)。我々はここで何もできません。まずその事実に直面しないと。我々ができることは、本当はどうなのか、少しでも理解を進めることしかないでしょう。
三浦 「何はどうなのか」は「どうすれば効果があるか」と表裏一体です。経験則から言ってね。性犯罪の防止っていうのはやっぱり性的な側面のファクターを重視するのが有効だってことはもうすでにわかってるんですよ。だから性衝動が性犯罪の原動力だっていうのが本当のところだ、と言ってるんですよ。
小原 誰の経験則かわかりませんが、別のアプローチは試みられていないのだから、効果の程度は比較されていませんよね。少なくともわたしは「女は性犯罪の対象になりやすい」と言われるより、「女は暴力を向ける対象になりやすい」と言われた方がずっと怖いです。
言葉の問題なら「根源的なリビドー」=「原動力たる性衝動」と定義し直せばいいんじゃないですか。そしたら百%近く同意できる。何を見ても性衝動に見えるってのは、フロイト以来、別に頭のおかしなことではない。ロールシャッハ検査で、わたしには別の絵が見える、というだけのことです。
三浦 たぶんね、これやっぱり男性と女性の違いかもしれないですね。
小原 中高生の男の子とかだと文字通り、何を見ても性衝動に見えるんでしょうね。
「女にはわからない」ってのも飲み屋でのオヤジの決めセリフですけど、男同士ではわかり合っているんでしょうか? あれはペドフィリアだとか、性衝動の発現の仕方はそれぞれ違う、とか言うのはすなわち、男同士でも違いがある、ってことですよね。
だとすると、女にはわからない、男にはわからない、というのは結局「人間は理解し合えない」というのと同じではないですか? 普通の男は、ペドフィリアの男のことより、自分の奥さんが考えていることの方がずっと理解できると思いますがね。
三浦 いや、男性の性欲の発露の仕方というのは、すごく多型的で、個々の男は具体的な倒錯の一つ一つに具体的に共感はできなくても、多型性そのもののリアリティは自分のうちに感じ取ることができるんです。共感できなさの実感が逆にリアリティありみたいな。たぶん女性の想像を超えてるんですよ。
小原 自分とはまったく違っていても、すごく多型的な性欲の発露を、男なら理解できる? ペドフィリアは理解しがたいとしても、女は男よりいっそうそれを理解しがたいはず? それは三浦さんの仮説としては成り立つと思います。証明されれば、そこから興味深いことが出てくるかもしれない。
わたしの仮説としては、性衝動がすごく多型的になり得るとすれば、もとより「性衝動」という概念を必ずしも前提とすることはない。根源的なリビドーとして想定した方が無矛盾的に説明できる、というものです。多型的な衝動は女性にもあるし、暴力衝動とも相まってより有機的な心理メカニズムが見えてくるのではないか。これは性問題クラスターを部分的に、また政治的に矮小化するかもしれませんが、それによって犯罪心理学がより精緻に進む可能性があります。
三浦 メカニズムは置いておいて、飯塚事件の具体的な経緯としては、まず後ろから車で来たわけですよね。で、女児二人が歩いているので、あれ、なんでいるんだろうと久間も思ったわけですよ。八時半ごろで、遅刻だぞ。もう嫌々ながら歩いていたみたいなんで、送ってあげるよと言った。女児二人はもう歩くのも面倒だし、すんなり乗るわけですよ。たまたま誰にも見られていない。そしてそのときは、殺意も何もない。ただ、誰も周りにいなかったし、何回か車ともすれ違ったけれど、フィルムが貼ってあって見えない後部座席に乗ったし。それでだんだん邪悪な気持ちが湧いてくるわけです。
小原 乗せた瞬間には、殺意はなかったっていう。
三浦 ないない。遅刻した二人の女児がいるなんて予期してないから。
小原 車の目立つラインを消したり、リアガラスにフィルム貼ったりしてるのは、未必の故意としてチャンスを狙ってたんじゃないですか。
三浦 それはあるでしょう。フィルムを貼っていたっていうのは、そういうことでしょうしね。あわよくば、でザリガニなんかで普段、子供の歓心を買って仲良くしてたわけですよ。良き家庭人だし、そのあたりは押さえてる。
小原 四年前の女児の行方不明は、久間が犯人かどうかわからないけど、その可能性を含めるとなお、乗せたとき殺意はなかった、というのもどうかな。明確には決めてなかった、というぐらいかもしれない。
前々から一つ、引っかかっていた事件があって。月ヶ瀬村の女子中学生殺人事件、発覚時には性犯罪ということだったけど、当初から、本当にそうなのかな、って思っていた。どうしてそう思ったかはここでは言えないです。飯塚事件と似た状況だったけれど、この事件は善意から車で送ってあげようとしたら無視されて、頭にきただけじゃないかって。
犯人の丘崎は無期懲役中に自死してしまったので、もう藪の中だと諦めていたのですが、最近になって詳細がわかった。やはりまったく性犯罪ではなくて、だからといって犯人に同情すべきではないのですが、でもやっぱりちょっとかわいそうになる。
まあ男も女も、いつもいつも性のことで頭をいっぱいにしていられる人って能天気というか恵まれているというか、確かにヒマなのかもしれませんね。
三浦 暴力的な発散の仕方っていうのは女性もあるわけです。男児を虐待していた女性保育士が逮捕されたでしょ、ついこの間。だから女性も弱い者相手にはそういうことするんです。女性も男性も、自分より弱いものへの暴力っていうのは同じように出てくる。
小原 ありますね。
三浦 じゃあ男性の傾向として、どこが違うかっていうと、圧倒的に性欲ですよ。ただ女性は子供に対して、性的な殺人事件を起こしません。
小原 そうですね。
三浦 男性だけです。それ、どう理解したらいいんですか。これは暴力では理解できません。
小原 女性の暴力事件では「性的に相手をどうかすることで支配をさらに強める」という文脈がないからです。女性で起きないことが男性では起きるわけですが、それがどこまで本質的なことかは不明確です。むしろ両性に共通する部分こそが根源的であるとする方が、論理的にすっきりします。
各事件において、性欲と暴力への欲望との割合は違っていると思います。それは犯罪者のプロファイリングに寄与する科学であって、政治的配慮でその割合を見積もるべき、とかいう議論は、わたしにはできません。
で、もしジェンダーを問題にするんだったら、久間が社会の中で抑圧を受けていた部分を説明しなきゃいけない。
三浦 まあ抑圧といってもね。おそらく標準的な同年齢の男性に比べたら、抑圧ははるかに少なかったですよ。だって家庭生活で完結してたわけだからね。
小原 彼の生活が普通の男性に比べてプレッシャーがなかったっていうなら、専業主夫はろくなもんじゃない、そこから犯罪が生まれる、っていうのはどっから出てくるんですか?
三浦 久間の場合には、そのプレッシャーは考える限り、同世代の男性に比べると非常に小さいわけ。じゃあ相対的に何が突出しますか、っていうと、暴力衝動よりは性衝動なんですよ。亀頭包皮炎を患ってて性行為できなかったんですよ。
小原 本人もそれは言ってますね。それでなんで幼児は襲えるのか、わかんないんだけど。
三浦 小さい子は性的プライドの範囲外にあるしね。亀頭包皮炎だから射精は痛くてできないけど出血はある。
小原 だいぶ辛そうですね。
三浦 パンツが真っ赤になって歩けないとか言ってたんだ。そのぐらい大出血することがある。事件では微量しか検出されていないけど。性欲はあるんだけれども、痛くてセックスできないと。そのフラストレーションがすごくあったと。
小原 それは性犯罪の割合が高そうですね。動機としてはっきりした病気がある。とはいえ、それで人を殺すぐらいなら風俗嬢にでも相談したらいいのに。
三浦 まあ、久間の場合は、百%性的なものです。
小原 二人も殺している点で、百%かどうかはちょっと。久間のように主夫の役割を担っている人が皆、問題を起こすわけではないし。あるいは、もともと変わった気質の人だから、当時その場所でめずらしかった専業主夫という形態をあえて選んだのか。
三浦 両面なんじゃないかな。九州で、今から五十年以上前にその生活形態を選ぶのは、ジェンダーフリー的観点からすると非常にいいと思うんだけどね。男女の役割分担に拘束されない生き方というのは。
小原 だから専業主夫であったことが原因でなく結果なら、ジェンダーは何も関係ないですけどね。
三浦 まあ、時間だという、そういう話ですよ。奥さんの目の行き届かないところで男が自由にしているってのは、代わりに会社かなんかに管理されていないと危ないってことですよ。
小原 そんな人は日本中にいくらでもいますけどね。自由な時間を得たのも結果だから、そもそもこの人、何がしたくて仕事を辞めたのかな。そこが見えない。ヒマだから悪いことをするとか、その程度の男でファイアーした人なんて、見たことないからさ。むしろ皆、勤めを辞めてからの方がアクティブだよね。楽しそうだし。
三浦 そういう人は、だから愛人たくさん作るし、だから、まあ満足しているわけですよ。
小原 誰も愛人なんか作ってない、とは言わないけど、たくさんいる人はあまり見ないな。かえってストレスになるじゃない(笑)。その辺は適当にやってる。もっと重要なこと、面白いことに夢中だし、ってか、そのために退職するんでしょ。いずれにしても性的な不満なんぞ、人を殺したりするようなことかいな。
三浦 だけど松本人志もそうだけど、犯罪寸前のことはあちこちでやらかしたりは、おそらくしているとは思いますよ。
小原 仕事そのものにスリルを感じていたら、そんなバカバカしいことはしないよ。無能で退屈しきった、煮崩れたような男たちはどこにでもいる。橋本龍太郎元総理が言ってたよね。「政治そのものがギャンブルなのに、よくゴルフなんかでニギれるなあ」って。大宰相だったかは別として、まともな人だったと思う。
三浦 いや、まあこれも男女の溝なんだろうな。男性同士でしか話さない話ってあるけどさ。男が裏で何やってるか。奥さんも知らないような話を共有するわけ。奥さんが聞いたら、どうなるかなっていう話もあるよ。
小原 それは、そういう男なんですよ。奥さんに伝えて、早く別れるように言った方がいい。友人であっても犯罪者を隠匿すれば罪になります。
三浦 いやもちろん、犯罪ではないんだけど。
小原 罪のないバチェラーパーティなら楽しいですよね。日本風に言えば、源氏物語の第二巻「雨夜の品定め」。ただ女をよく知らないオボコな男は、先輩たちのパーティトークを真に受けると、酷い目に遭うよ(笑)。光源氏ならいいんだけどねぇ、どんな勘違いしたアプローチをしても、女にひっぱたかれることはないからさ(笑)。
三浦 久間は糖尿病だったらしいから、やっぱり身体が弱かったのかもしれないね。亀頭包皮炎だって糖尿病由来のものらしいので。私もわからないけど、ただ周りを見ていても、真正包茎なんかも本当に辛いらしい。
小原 病気となると、なかなか他の人にはわからないから。糖尿病のコントロールは確かに、勤めてない方がよりよくできるかもしれない。
三浦 病気で働くのは辛いと、年金でなんとかやっていこうと。再婚で、理解がある奥さんと出会って、家庭としてはうまくいっている雰囲気でしたよ。
小原 うーん。それでも死刑になるほどの犯罪者になるっていうのはね。たまたまの病気で抑圧があって、だけでは説明できない。
三浦 だからね、これは社会の仕組みは変わらない限り、男はやっぱりバリバリ働いてないとダメなんで。
小原 生産性のない勤め人でも、毎日どっかに出かけていきさえすれば、働いている気分にはなるんでしょうね。バリバリかなんか知らないけど。
三浦 女性はさ、地域のコミュニティとか、周辺的なネットワークで繋がって暮らしていける。男は社会の中で孤立しがちで、かなりの確率で犯罪まがいの、つまり立件されたらやばいということを、ある機会に乗じてやってしまってるんですよ。
小原 そうなの? 三浦さんがそうだっていうのはわかってんだけど(笑)。
三浦 あー、我が身を振り返ればね。それは、そのときは悪意はないのよ。相手も別に嫌がってないとかさ、その流れ、当然でしょうとかさ。よく考えたらこれまずいよなとか、あるいはこれはねえ、あの人がさ、とかたくさんあるよ。
小原 まあ、悪意はないよね(笑)。ただ、あらゆる男に、そんなに高い確率で起こってるかなぁ。(アンタだけ要領わるいんじゃね? と思ったが言えず。)
三浦 具体的な話をすると教訓的でいいと思うけれども、まあ、やばいのでしません。だからこそ男女混在の猥談って、絶対必要ですよ。
小原 そういう話ができるような、ってこと? 録画して週刊誌に売るのは禁止ね(笑)。
三浦 男女混成で。女性側のことも我々、知らなかったりするわけじゃない。女性側で考えているようなこと。
小原 うーん、わざわざ聞かせて面白い話は、何もないですけどね。
三浦 でも女性同士で盛り上がっているような話を、男性は聞く機会ってあんまりないんですよ。
小原 面白くないよ、全然。ガールズトークとか、わたしはしないもん。つまんないし。
あのね、さっきのバチェラーパーティは意義があると思う。意義があるから源氏物語「雨夜の品定め」の巻があるのであってさ。いいなぁと思うのはね、その品定めのメンバーには源氏と頭中将の他に、家来の男たちが二人いるのよ。男たちは女の話をすることで、社会的身分を越えて親しくなるでしょ。バチェラートークはそういう人脈作りの意義がある。だから当然、身内の内緒話のかたちをとった、聞き手へのサービスの面があって、話を盛っている可能性もあります。実際、源氏はただ寝たふりをして聞いているだけだし。彼がサービスなんかする必要はないから。
で、実は社会的な場であるバチェラートークでは、男たちはもちろん互いに観察し合っている。これは一種の虎の穴だ、と理解できる賢い男なら人脈づくりに生かせるけど、そこを理解できないお花畑クンは、新人クンならずとも厳しいことになる。酒の席の「無礼講」を信じて左遷させられるのと同じですよね。
わたしの亡くなった伯父はサラリーマンとして頂点近くを極めた人でしたが、威張り屋なのにすごく繊細で、大好きだったんですけどね、その伯父が「女に気を取られているような奴は絶対に出世はしない」と言っていた。実際のプライベートがどうあれ、上司にそう見切られたら終わり、ってことですよ。無礼講だの身内の内緒話だの、その場のノリを信じてぺらぺらしゃべったり、話を本気にして盛り上がったりする危機感のなさが問われる。男は、いや女も、七人の敵を常に警戒しないと。
それに対してガールズトークには社会的側面はありません。ガールズたちは単に自分のことをしゃべりたいだけで、聞いてくれるならヤギでも壁でもいいんです。だから「男の人もウェルカムです~」とか言う。もちろんそんな話なんか聞いたところで、何もわかったことにならない。時間のムダです。
バチェラートークの方は、女が混ざったら成り立たないけど、それは内緒話だからではなくて、男の社会的な試しの場だからです。それを知っていれば、あえて混ざりたいとは思わないなあ。お勤め、ご苦労である(笑)。
三浦 でもさ、そういう本音を言うって、女性から叩かれるタイプだと思うよ。
小原 そう? でもさ、わたしが言ってるのは「本音」なんかじゃない。「本当のこと」だよ。どっからでもかかってこい(笑)。
三浦 生理も別に、たいしたことない、って言ってたでしょ。
小原 すごく大変なことがあるのは知ってるよ。中学生のとき、教室の後ろのロッカーのところで同級生が真っ青な顔で倒れて苦しんで、騒ぎになった。ひどい生理痛なんだって聞いて、そんな人もいるんだ、ってショックだった。だけどそれきり、その本人も他の誰もそんなことはなくて、生理の話なんか出たこともない。体質的に重いとしても薬もあるだろうし、なんとか飼いならしていくしかないじゃない? 花粉症とかのアレルギーとか中耳炎とか乱視とか顎関節症とか低血圧とか、それぞれ持病って、そんなもんじゃないの?
三浦 だって私の周りは、生理の重い人ばっかりだよ。小原さんの周囲と環境が違うせいかな?
小原 そんなわけない(笑)。そんな身体的なことがさ。
三浦 だいたい生理が重い人は少ない、なんてそんな言葉自体、ヘイトなわけだよ。
小原 知るかよ、そんなの(笑)。
前も言ったかもしれないけど、三浦さんが騙されてるの。もちろん騙してるつもりはないと思うけど、それこそガールズトークとかでさ、ゲストの男性に「生理って痛いの? 辛いの?」っておそるおそる聞かれたら、「マジ辛い~」って言うでしょ。それも一種のサービス精神だよ。
三浦 女性特有の困難について女性が小原さんみたいに割り切れるなら、痴漢認定も減っちゃう。まあ私の知ってる人にもいたけどさ、痴漢冤罪もあるじゃない。本人の責任じゃないのに、たまたまそういう状況に陥ってしまって。話を聞いてみると、おそらく冤罪だろうと。だけれども、それで現に職を失っている人もいる。そういう機会をなるべく少なくすると。だから男性専用車両を増やすとかね。
小原 それ、いいよね。女性専用車両に乗らないから被害に遭う、なんてどうせ言えないんだろうからさ。男性を冤罪から守る車両を作る。
実際さ、ちょっと触られたぐらい何なの、って思うときがある。
三浦 だからそれ言うと、また一般女性は発狂するよ。
小原 でもわたし、触られたときもそう思ってたもん。自分で痴漢に遭ったって、こんなことで大騒ぎするってどゆこと?って思ってた。減るもんじゃなし。
そりゃひどい、襲われるのに近い痴漢ってあるじゃない。そういうのもこういうのも痴漢とか性被害とか、性的いたずらとかってひとからげに呼ぶのはやめた方がいい。それこそ性暴力を軽くとらえようとする傾向だっての。被害者に対する配慮もあるつもりかもしれないけどさ、それイジメじゃなくて暴行でしょ、みたいな。
それはそれとして満員電車でちょっと触れるとかさ、どうしろっての。百合子、満員電車なくすって言ってたのに、そっちどうなってんだ。ようするに満員電車ってのは、いろいろ酷いことが起きる場なのよ。総武線の殺人的なラッシュで将棋倒しにあってさ、水道橋駅の駅員がぶっ飛んできて「踏まないでください、踏まないで!」って革靴のサラリーマンを押しのけてくれた。命の恩人だよ。日本の男たちはね、ホームに倒れた中学一年生の女の子を上から踏みつけて会社にいくんだ。痴漢なんか可愛いもんだよ。
三浦 だからそれはね、男の身としては頭では私も同意するんだけど。ただ私の周りの女性の話を聞くと、やっぱり痴漢は本能的に耐え難いのよ、ほんと。
小原 耐え難いですよ。決まってるじゃないですか。意図的に触ったのと、そうでないのは、一瞬でもはっきりわかるからね。実害がないのに耐え難いのは、侮辱されたと感じるからです。他人に舐められるのは我慢ならない。それなら戦ったらいいじゃないですか。
人気のない夜道で襲われたり、空いた車内で複数に取り囲まれたりしているわけじゃない。周りに大勢がいるんです。腕をつかむなり、手をつねるなり、声を上げるなり、とにかく精一杯、痛い目に合わせる。すると、さっと逃げていくのは、これはターゲットとして難しい、と思う以上に、そもそも萎えてしまうから。相手の女性が自分の下にいて、逆らえない、怖がっている、だから侮辱できる、という幻想を壊されると、触る意味そのものがなくなるんです。たいしたことないですよ。わたしは中学一年から満員電車で戦ってきたんだから、誰にも文句は言わせない。
三浦 ただ戦ってもキリがないからな、ああいうのは。次から次へ現れるわけだからさ。痴漢というのは。
小原 そんなことないよ。だって電車に揺られている一時間の間、どうすればいいか、というぐらいのことだもの。痴漢を根絶やしにすることはできないとか、話がマスにすり替わると、よくあるフェミニズム的な「すでに問題なんか存在しないのにそれを認めない」みたいになる。
三浦 そうよ。男の大半はそう思ってるんだけれども、社会はそういうものではなくて、女性の多くはそれでかなりの精神的な傷を負うということになっている。
小原 本当のところはね、戦えなかった自分に傷ついてんのよ。その辺の意識が混乱しているから、人のせいにするしかない。いや、痴漢男が一番悪いんだけどね(笑)。別に同性をないがしろにして男の肩を持つつもりはなくてさ。ただガールズたちにはつまらない不快なことをさっさと相対化して、先に進んでいってほしいのよ。永遠の被害者でいたら、そこで永遠に足踏みするだけだよ。戦えばかやろー。
そんなことより自分の身内の男性が、万が一にも痴漢冤罪で挙げられることを想像する方が、よっぽど恐怖なんだよね。お父さんが、弟が、あるいは彼氏がそうなってみなさいよ。自分がちょっと触られた、なんて絶対、どーでもよくなる。そんなの、その手をひねり上げればいいだけじゃないの。
三浦 そう、今は痴漢がレイプと同じくらい、下手するとレイプ以上の社会的制裁を受けるという傾向があって。ただ、いろいろ防止法は伝授されていて、容疑をかけられたらすぐ繊維鑑定してください、と。
小原 スカートの中に手を突っ込んで下着に触ったとかだと繊維鑑定も有効かもしれないけど、セーターの上から胸を触ったとかだと、何もしてなくてもセーターの繊維が手についている可能性はあるんじゃないですか。
三浦 触られたと称するところに、じゃあ皮脂がついているか。私のDNAがついてますか、と。ちゃんと双方を検査してもらって、その場で結論を出してもらう。そういうことですよ。記録を調べてもらって、同じ女が何回も訴えてるぞ、とか。
小原 鑑定では有罪が確定することがあっても無罪は証明できないし、証拠不十分で不起訴にはなってもシロにはならないですよね。時間もかかるし、そんなことに家族が巻き込まれるくらいなら、自分の胸とか尻ぐらい触られる方がよっぽどいいよ。千枚通しでもブッ刺してやったら、こっちもストレス解消するしさ、極真の技とかかけても文句言われないし。
三浦 女性が皆、そういう考えだったら男性も楽なんだよ。
小原 そういえばこの間、中高のクラス会があったけど、全然変わってなかった。ガールズトークはしない連中ね。現実的で我関せず、って女子校事典とかのお墨付き。
三浦 フェミニストの最先端はやっぱり知的レベルの高い人々で、ラディカルフェミニストはそういうものは絶対許さんと。だからそれは今でも言えない風潮になってるよね。
小原 へー。まきちゃんバカだから意味わっかんなーい。
三浦 結局、飯塚事件でも松本人志の件でも、証言の撤回なんかで、やっぱり女性は特に性的なものへの立ち位置が揺らぎやすいということですね。
小原 女性研究者の不正内容からすると、女性はようするに身近な人たちの期待に応えようとする傾向が強い。それはその身近な人たちとの空間が本拠地だから、ってことなんでしょう。で、性的なものは特に家族が嫌がる、ということなんじゃないの。
まあ、わたしたちは単なる野次馬として、松本さんなり誰なりが裁判にかかって公正な裁きを受けるっていうことを期待しているに過ぎない。なーんだ撤回しちゃったのか、と思うかもしれないけど、女性の証言者にしてみたら、社会とやらの期待に応えて、自分に見合うものがあるのかって、やっぱり微妙な計算をすると思う。
三浦 だから、その程度で撤回せざるを得なくなるようなものだったって、社会に広まるじゃない。そうすると男の無意識にも、そっか性犯罪ってその程度のものなんだ、女性はその程度のことで引っ込めるような被害なんだ、と刷り込まれることに一役買ってるよね。
小原 実際、そうなんじゃないの。松ちゃんと遊んで、被害がなかったって言ってるんなら、それは被害じゃなかったんでしょ。性犯罪がいたずらと呼ばれ、それと紙一重って、そういうことですよ。
一方で伊藤詩織さんは海外に移住してでも、被害の主張を引っ込めなかったじゃない。彼女が受けたのはまさしく性的な暴力で、もし引っ込めたら自身の心が崩壊したんでしょうよ。
飯塚事件の証言者は単なる第三者なんだから、冤罪の加害者みたいに周りに言われたら、これ以上は協力できないって考えるのは当たり前だよ。それぞれ生活があるんだから誰も責められないし、そこに男も女もない。以前の証言が正しいと裁判所が勝手に判断して、よきに計らってんだから、もうそれでいいんじゃない。
三浦 だけど週刊文春では一回、告発した女性だという話なので。何ヶ月も経ってから、あれは実は被害ではなかったと撤回したわけだよ。だから被害だといったん思ったものを軽々しく撤回できる程度のものなんだと、性被害というのはそうなんだって、性犯罪者を勇気づけることになってしまうよね。
小原 わたしは性犯罪者じゃないけど、その通りだと思うよ。性暴力ならともかく、性被害とかいう、ふわっとしたものはね。そもそも松ちゃんが性犯罪者かどうかもわからない、ということでしょう。文春さんが悔しがるのは当然だけど、わたしたち野次馬が予断をもって文春に肩入れする理由はない。わたしは別に松ちゃんのファンでもないけど、疑いが晴れるなら喜ばしいじゃないですか。
三浦 マッサージ店での出来事の報道が正しければ、完全な性犯罪じゃないですか。
小原 それは別の人ですか? その明らかな被害者が撤回しないなら、問題ないでしょう。そうでもない人が訴えたり撤回したりしているだけなら。
三浦 松本側の弁護団も巧みで、性犯罪かどうか異論が生じうるA子さんB子さんにターゲットを絞って週刊文春を訴えているわけです。その二人を特定しろって執拗に言っているわけ。そうすると他の人々に対する見せしめになるじゃない。
小原 なるほどね。
三浦 そうか、性犯罪ってその程度の脅しに屈して訴えを取り下げる程度のものなんだと、性犯罪予備軍に対してはアピールになるよね。女性があれだけ騒ぐのにさ、にもかかわらず、ちょっとした身元確認を提示されただけで、なんですぐ引っ込めるかな、と。
小原 ようするに見合わないから。その程度のものだった、という判断でいいと思いますよ。性犯罪だか性的いたずらの被害者になるっていうことも社会的リスクがある、それに見合わない、と。
三浦 社会的リスク? 今はそういう時代じゃないし。性被害に遭ったからって誰が後ろ指を指すんですか? クリシェでそういう言い方をするけどさ。そんなこと本気で皆、思ってますか?
小原 思いますね。田舎の方では昔と変わりませんよ。本人が都会に住んでいても、係累は田舎にいる、ということもある。いずれにしても損得の計算をするのは本人だから。他人が見たらちょっとしたデメリットに過ぎなくても、見合わないと思えば人はわざわざしない。
そもそも芸能人との飲み会に誘われて、出かけたんですよね。だからといって性行為を強要されていいとは思いませんけど、夜道で襲われたり、禿げオヤジに薬を盛られたりする文字通りの暴力とは違う。だからそれらすべてを性被害と一括りにするのはよせと言ってるんです。被害があったかどうか、本人の認識にかかるものについては、見合わないからやーめた、と思った時点で被害はないんでしょうよ。結果的にある種の男たちを勇気づけるとか、そういう良し悪しの判断よりも、事実の認定の方が優先されるべきじゃないですか。司法制度に対する信頼の方が大切だから。
三浦 だからそこはね、男女の判断の違いかもしれないけど、そこが浅知恵だと思うのは、何ヶ月も経ってから撤回する、その傷の方が大きいと思うんだけど。
小原 どういう傷があるの?
三浦 だってなんで今まで黙ってたの? ってことになるでしょ。告発までしといて、週刊誌であんだけ喋っておきながら今更撤回するって。
小原 頑張ったところでバカを見る。むしろそれが悔しくなる。文春さんを喜ばせたり、わたしたち野次馬を納得させたりするためにエネルギーを使って、自分に何のメリットがありますか? そこがわからないのは、当事者でない者の浅知恵。そもそも芸能人と遊ぶような港区女子とかさ、社会人としての信用が大事という人種じゃないでしょ。一方で、よくある男が会社のために脱兎のごとく逃げ出す姿だって、みっともないことこの上ない。社会的信用もへったくれもないよ。彼女が証言撤回に時間がかかったのは、まだしも自分の頭で判断したからとも言えるんじゃないの。
三浦 いや、あのね、私が言いたいのはね、週刊女性のその報道がガセじゃないかってこと。女性が証言を撤回したっていう、それ自体が。
小原 なにそれ聞いてない(笑)。
三浦 だって週刊女性の記事は、又聞きなんだよ。告発撤回した女性の知人の話だけ。
小原 あー、はいはい。
三浦 これ、ろくでもない噂を針小棒大に独占記事と称して出しただけじゃないか、って気もしてるわけですよ。たぶん大したこと言ってないんだよ、当の女性は。「え? そんなに本気で告発するつもりじゃなかったんだけど」って程度なことを、受け取り方で友人が「あの人、実は被害受けてないんですって」とか。それに記者が飛びついたとか。
小原 友達に話を向けられたら、「いや、そんなつもりじゃなかったんだけどね」ぐらいのことは言いそう。いや絶対に言うね。
三浦 それを売らんかな精神でさ。そういうことじゃないかなと思うんだよね。
小原 じゃ、正式に誰かがもう裁判には出廷しないとか、訴えを取り下げるって話じゃないのね。
三浦 ただ面白いのは、たぶん週刊女性は松本側なんだよね。LINEのスクショ、女性からの「今日はありがとうございました」ってのを出した週刊誌だから、やっぱり松本側。で、この記事を本人に突きつけて、あなたどうすんの、こういうことになってるよ、と。もう撤回せざるを得ないでしょ、って持っていくつもりじゃないかな。
小原 既成事実を積み重ねて撤回させようってこと?
三浦 記事をまず出しちゃって、さ。それで告発してよかったのかな、と。本人も言ったか言わないか、記憶ないじゃない。それを友人が言ってたよ、って嘘じゃない程度の記事をああいうふうに。それで証言台から引きずり下ろそうとしてるんだよ。
小原 別の週刊誌の思惑に沿ってやめるって、それこそメリットないなあ。そういう搦め手からのやり方で折れるだろうということなら、いかにも舐めてる感じ。女性もむしろ意地になりそうだけど、ただまあ、もしすでに本人に嫌気がさしていたなら、渡りに舟ということね。魑魅魍魎だね。
三浦 私が弁護士だったら、それやると思うよ。
小原 証言の揺れを印象付けるわけね。
三浦 言葉の不確かさを膨らませて、週刊誌に持っていく。出版社は儲けるし、こっちは松本を守れるし。それはやるでしょう。そのくらいでほんとに証言撤回したら、小原さんが言う通りその程度のものだったってことで松本は潔白。
小原 なるほど。弁護士が嚙んでるって、ありそう。
三浦 今度はたぶんB子さんがね、板挟みになってどう行動するかだよね。あえて突っぱねるか、それとも面倒を避けて、離脱した方が楽だなって。もう記事出ちゃったし、じゃあやっぱりやめとくわ、ってなるかもね。
小原 女性たちの覚悟の程を推し量って、やめるだろうと見積もった上で仕掛けているなら、それでうまくいってしまうかもしれないね。
三浦 どうやらマスコミがね、これまでも、そうやって証言者を作ったり離脱させたりしてきてるんだよ。それに乗せられやすいのは、これも言っちゃなんだけど女性だと思うんだよね。
小原 言っちゃなんだけど、って遠慮することないよ。まさにそうだよ。さっき言ったように、女性がそうなのはバカだからじゃなくて、ちゃんと理由があってのことなんだからさ、それでいいんだよ。
三浦 結局、女性が切り崩しやすいターゲットだと思う。
小原 『ミーハー この立場なき人々』って、野田秀樹の名著があるよね(笑)。芸能人の周りにいるような女性たちだもん、テレビのノリ的な、いい加減さはあるかも。「あっそう、じゃあそうしようかな」みたいな「立場なき人々」に皆が振り回されてさ、それはそれで面白いよね(笑)。
三浦 結局男が女に振り回される構図でさ(笑)。これからどう泥仕合が続くか、見ものですよ。
小原 右往左往(笑)。よく言えばフットワークの軽さ、つまりいい加減さが女性力っていうか、戦力なのよ。それはちょっと可笑しい。
三浦 逆に言うとさ、男の側の何かを切り崩すには女を狙えってことだよね。
小原 そうですね。「立場なき人々」を装って、女性がしっぺ返しするってのもあるよ。これまで利用されてきただけって、気がついているから。そのときは「立場なき人々」っていうのが一番強力なんだよ。
三浦 女性は日和見的というか、そうやって常に揺れ動くので、深刻な対立とか起こらないんじゃないかな。だから女性が社会を動かしてた方が平和とも言える。みんなが保身優先で、全員の身が守られる的な。
小原 「立場なき人々」戦略は、男たちの中でちゃんとした立場を与えられなかったことへの皮肉な逆襲でもあるからさ。日和見ってのもあくまで関係性の中で生まれるもので、女性の政権で閣僚が女だらけになったら平和かどうかかわかんないけどね。
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