「津久井やまゆり園」事件はなぜ起こったのか。それは偏執狂的人間の常軌を逸した犯行なのか。そうではあるまい。そこには「全人類が心の隅に隠した想い」、決して表立って語られることのない〝思想〟が隠されている。
金魚屋新人賞選考委員辻原登が、「その真の価値は作家の〝肉体的思想〟が表現されていることにある」と絶賛した現実の事件を超えた思想的事件を巡る衝撃的評論!
by 金魚屋編集部
四.「ひとを殺める」ということ
植松の事件から感じた「いつかどこかで見た風景」は、麻原彰晃の教説とそれを信奉する教団が引き起こした事件の光景に重なり、さらに連鎖する事件の記憶を次々にオーバーラップせずにはいない。それらの事件は、ひとを殺めるというおこないを「救済」という名の下に正当化する論理において共通している。「普遍的」と言ったのは、そういう意味合いである。だが植松の事件の特異性は、殺傷された被害者に、ことさら実のわが子を重ね合わせずにいられないという点にある。どういうことか? ここで、仮にEと呼ぶ教団の例をみてみよう。キリスト教の一派とされるこの団体が世間に広く知られるようになったのは、訪問勧誘のしつこさもさることながら、何よりも他人からの輸血を拒むという、奇矯とも思わせるその教義によってだろう。旧約聖書には、血は神聖なものであって摂ってはならないという記述が複数ある。これに則り、かれらは血管から血を体内に入れることも同様の行為とみなし禁じている。
これは社会問題となった。事例は枚挙に暇がないが、一九八五年、ダンプカーにはねられ出血多量に陥った一〇歳のわが子を、その両親が輸血を拒絶したことで死に至らしめた事件はマスコミにも大きく取り上げられた。*1
*1 川崎事件として知られる事例。一九八九年浜松で起きた別の事例では、交通事故により失血した高校生の両親が(信者である本人も意識があれば拒むだろうと判断して)輸血を拒否、本人は死亡した。その後、宗教的輸血拒否に関する合同委員会(日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会の五学会、および法学、医学、マスコミの各代表で構成)で、たとえ親が信仰上の理由で輸血を拒否しても治療上必要があれば輸血を行える、とのガイドラインが示された(二〇〇八年)。
しかしわたしたちは、あなたがたは過ちを犯しているとかれらを説得できるだろうか? この場合「非科学的だ。」とか「迷信にすぎない。」などと説いて翻意させようとしてもムダである。第一かれらは、必ずしも科学を否定してはいない。科学に優る真理があると信じているかれらを説得するには、わたしたちもその水準に至った上で説き伏せなくてはならない。他方「信教の自由」への不介入は、生死を分ける判断と行動に一刻を争う医療現場にとって足かせになりうる。その者が成人で、輸血拒否に同意していたのであればまだしも、子どもとなれば、その自己決定権をどこまで認めうるのか。信仰を棄てるくらいなら死をよしとする判断をその子のものと認めていいのか。両親の意思に盲従しただけではないのか。本当は死にたくなかったのではないか(この事例では、子どもの「生きたい」という意思を医師が確認している)。その子が神の掟を破ることを死よりもおそれたとしよう。けれどもかれは、生まれてこのかたその世界しか知らずに育ったに相違ない。その世界の外へ出、相異なる価値の海原を泳ぐ機を与えることもなく、親の思いを一方的に押し付けるばかりか、わが子のいのちより信仰を選ぶ。それは実質的な殺人にひとしいのではないか。とは言いながら「信教の自由」は容認しつつ、その教義からかれらの行為だけを引き剥がすことは、まず不可能だろう。わたしたちはどこまでかれらと同じ土俵に立ちうるのか。
この種の問いは、多文化主義・相対主義のはらむジレンマとして、とりわけリベラリストとコミュニタリアンという対立項の中でしばしば議論が重ねられてきた。普遍的な公正さをどこまでも求める者は、かれらの行為を認めないだろう。思想信条がどうあれ、それは万人に公平に与えられるべき自由(この場合なら自己決定権)を子から奪うからである。かたや、ひとりひとりの価値観や自己決定権に加え、そのひとが帰属する文化や伝統を尊重する者にとっては、介入することに躊躇せずにはおれないだろう。多文化主義かつ相対主義の屋台骨であるべき他者への寛容が、この場合でもつらぬかれなくてはならないはずだから。
一方の側にとって両親のおこないは、人食やら人柱やら、そんな野蛮な時代の風習のひとつに数えるべき迷妄、理性によって啓蒙されるべき迷妄でしかないが、他方の側からは、わたしたちにとって理解不能な信念の持ち主であるがゆえに、むしろ尊重されるべき他者にほかならない。どちらに軍配があがるかという話をしているのではない。一口にリベラリストとかコミュニタリアンなどと言ってもそれぞれに濃淡があり、異見もさまざま、論じればきりがない。とどのつまり、唯一の正しい見解などそうそう得られはしないだろう。なぜなら、唯一の正しさという土俵そのものが、唯一で共通のものではないからである。
そのような前提で、私の考えを述べよう。
両親のおこないは、社会的影響という観点からみれば厳しく糾弾され、行動を制限すべきものだろう。がこれを、昨今大きく取り上げられた某教会の二世信者問題などと一くくりにしてはなるまい。この家族の中で起きていることの是非をわたしたちは、どこまでも問えるほどに理解しているだろうか。輸血拒否という判断が、かれらにとっても大いなる苦しみの末にたどり着いた、極限の選択であったとすれば、だ。自分たちの信仰は、ひょっとしたら間違っているのかもしれない。教団に、いや神に騙されているのかもしれない。いくら懐疑したところで解は得られはしない。誰にも得られないだろう。信仰とは、懐疑によってではなく、ただ自らのおこないによってしか証しできないのだから。当のおこないとは、おのれの全存在を挙げての試練であり、賭けでなくてはなるまい。なぜなら、それこそがわが子への愛の証しにほかならないから。したがってそれは、最愛のわが子に対してなしうる最上の選択でなければならない。これに対し「輸血」という選択は、わが子を見棄てること、すなわち愛の放棄であり挫折でしかありえない。それは完全なる死をしか意味しない……そう両親は考えたのだとしたら。子はと言えば、これも盲従したのではない。子もまた、比べるものなき愛によってその親に精一杯応えたのだとしたら。断っておくが、私はかれらを弁護しているのではない。かれらを端から否定し去るのは思うほどたやすくはないと言っているだけだ。愛から発したおこないならば、何をしても許されるわけではない。別の教団が二〇一一年に起こした事件では、ひきこもりの娘を、その父と自称僧侶とが除霊と称して家から強制的に連れ出し、泣き叫んで抵抗する娘の手足を縛り、水を浴びせ窒息死させたことがあった。この者たちにも同様の論理があてはまるだろうか? 否。親の愛と呼びうるようなものが仮にあるとしても、それは明確に娘から拒絶されているからだ。応答されることなく、ひびきも浸透もしない愛は、愛たる要件を満たしておらず、たんなる自己満足か、偽装にすぎない。かたや教団Eの親子は、良くも悪くもその意思と運命とをひとつにしているとしたらどうか。信仰と愛とは一致する、あるいは一致するよう望まれながら、そのじつ乖離するという、本質的なジレンマにかれらは直面していることになる。以上はもちろん仮想にすぎない。だが、そう考えなくてはわたしたちは、問題の土俵にすら乗ることができない。仮想とはそのためのものである。
さてしかし、子にはもうひとつ可能性が残されている。輸血によってあえて「完全なる死」を迎える、という選択肢である。かれらの信奉する教えによれば、この行為によってその者は神から切断され、神の国から永久追放されることになる。ところが、子はまさにそれゆえに教団と両親との生前の縁ときっぱり訣別し、それまでとまったく異なる、あらたな生を送り直す可能性に開かれる。ひとは生まれ落ちるとき、親や国や宗教や性や肌の色や時を選べない。しかし、何ぴとであろうともそれらを選び直し、生き直す権利がある。この権利こそが、たとえ虚妄と言われようと人間に自由意志が与えられた意味なのである。生き直し――これが生まれ変わりということの真の意味でもある。ただ、そのためには親たちがこれまで培ってきた信仰に匹敵するか、それ以上の愛が、その子には必要かもしれない。愛は結ばれるためだけではない。分断をうながすためにも、そしてあらたに立ち上がるためにも欠かせない力の源泉だから。だが、その愛はいかにして与えられようか。それを保証するどのような視点も指標も存在しないのだから。キルケゴールは、神と人間とを隔てる埋めようのない断崖を超えてゆく信仰の賭けを、「命がけの飛躍」と呼んだ。おそらくその子も断崖のへりに立っている。愛と呼ばれる「命がけの飛躍」のために。
くり返すが、私はかれらが正しいと言っているのではない。これは「正しさ」の問題ではない。まして人道上の問題でもなければ、信仰と倫理の背理の問題でさえない。背理と言うなら、それは愛と呼ばれる背理である。愛はいつでも、わたしたちのあらゆる思惑を遠く越え出て行ってしまう。言いかえれば、愛の本質はそもそも背理にあり、飛躍にある。それを描いたのがシェークスピアや近松の文学である。ところが、わたしたちのつむぐ物語は愛とはとても相性がいい。愛がはらむ背理、残酷さ、不可能性、飛躍――それらはたいてい、柔らかなヴェールに包まれ美譚と化してしまう。やっかいなことに、とりわけ宗教というものはその正誤、真偽、善悪を内部から判別することができない構造をしている。その内部にある者にとっては、ものごとの黒白を分け隔てるのはたやすいが、信仰自体は対象とならないのが宗教である。なぜなら、それ自身が価値判断の尺度だからである。宗教がひとの心を支配し続ける理由のひとつがこの点にある。それを反社会的と断罪しても、かれらには一向にこたえないだろう。かれらの信仰の中核となるもの、もっとも価値を置くものを、それとまったく異なる価値の文脈の中に解し入れ、布置をそっくり換えてしまわない限り、そして最終的にはそのひとをその信仰に見合うもの、すなわち愛と呼ばれるものによって満たしえない限り、その解体はおろか相対化も、したがって離脱することも困難だろう。そのわけは、もっぱらその信仰がそのひとそのものであるような、ついにかなわなかった愛の代償だからである。愛はそのように手を変え品を変え――この意味では宗教もその一媚態にすぎない――ひとを支配して止まない。このため教団Eの親子の場合で言えば、カルトによる反社会的ふるまいというグロテスクな相貌に隠れ、その下からもっとグロテスクなある含意が、刃となってわたしたちの喉元へ突き付けられていることに気付かない。すなわち、愛によるのならばたとえわが子を殺めることになろうと止むかたない、いや、殺めずにはいられないという含意である。くどいようだが、私はそれを肯定しているのではない。ただ、真正面からその意を受け止めることが、そして、これに対する応答こそがおのずと「やまゆり園事件」への、つまり私の内なる植松への、最終的な応答となるに違いない、そう予感するのだ。
その前に、補助線を一本、引いておきたい。それは、ひとつの疑念である。「やまゆり園事件」の犯人・植松という男は、そもそもひとを殺したのだろうか? と。もちろん、殺人という厳然たる事実を否定するのではない。また、「私が殺したのは人ではない」と本人が言うのを鵜呑みにするのでもない。だがじっさい、男は誰を殺めたというのか? 何をほろぼしたというのか? いずれは朽ち果てる、はかない肉体をか? 「肉体さえ消しちゃえばいいだろ?」とかれは言うだろうか。たしかにかれは、現実にそのひとであるところの唯一無二のものを根こそぎ奪ったのだから、これほどまでに取り返しのつかない、許しがたい犯罪はあるまい。しかし他方、かれはそのひとという当のものには指一本たりとも触れていない、とは言えないだろうか。なぜなら当のものである場所には、創造の神にも在しえず、ほかでもない、そのひと自身しか立ちえない(からこそそのひとである)のだから。それゆえ、ひとをなきものにするというおこないは、ある根源的な水準では不可能だとは言えないか。わたしたちもまた、その男をいくら憎んでも抹消できないように。他者へのこの到達不能性ゆえに、そのひとが絶えゆく時の叫びや苦しみ悶え、無念の思い、そして愛は、愛する者と殺める者それぞれに憑き、いつまでも沁みとおらずにいない。二〇二〇年四月、五歳の男の子をその母と自称「ママ友」が虐待の末餓死させるという事件が起きた。衰弱して身動きすらできなくなったその子が、呼吸が止まる数時間前、痩せ衰えた身体から絞り出すように発した最期のことばは「ママ、ごめんね……。」だったという。Sくんという子の存在の、魂の全重量を、このことばは背負っている。ひるがえって、植松という男は何を背負っているだろうか。十九名もの人間を殺めておきながら、かれは自らの目的を何ひとつ遂げてはいないのではないか。そして何も遂げておらず、それゆえ何も背負っていない(が背負ったつもりでいる)というそのことに、この男の最大の罪責があるのではないか。男に残された生の可能性は「はたして自分は何をしたのか? 誰が誰を殺したのか?」とひたすら問い続けることの中にしかないだろう。だが答えは、おそらくかれ自身の中からは見つかるまい。
いま、これを書いていてふいに思い起こしたことばがある。そのひとはこう言った。
父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているか知らないからです。
(「ルカ書」二三-三四、『聖書』、フェデリコ・バルバロ訳)
何とおそろしいことばだろうか。かの死刑囚ひとりに負わせていいことばではない。わたしたちすべてが負わなくてはならないことばである。すべてのおこないと、信仰と愛と、祈りと、それらのかなたがこのひと言に凝縮されている。
ひとがひとを殺めるというおこないは、それぞれが同じ土俵に乗っていない限りなしえない。ところが不思議なことに、えてして同じ土俵に乗ったと思ったそのとき、おこないは停止する。悪とは、同じ土俵にないものを無理やり乗せる、あるいは乗せたことにしてしまう、暴力と偽りの総称である。逆に、ともに同じ土俵に上がろうという努力を放棄しないおこないが善と言われる。善と悪とは、対立物とみえてじつは薬と毒のようなもので、同じものの表裏にすぎない。善をなそうとして悪に陥る者もいる。逆もまたしかりである。人殺しや盗みや偽りをなす者がいつの世も絶えないのは、もっぱらそれらが、愛に躓いたひとが上げる声だからである。本当は愛したくて愛したくてたまらなかったのに、とうとう愛しえなかったひとが、自らの存在を挙げて発する声なき声である。けれども往々にしてその声に当人は気付いていない。それを悪と呼ぶならば、愛は諸悪の源泉である。では植松もまた、そのような声のひとつであろうか? 結論は次章の最後に述べよう。
しかし誰であれ、自らに悪事をはたらく悪人はおらず、自らを欺き通すことは神にも悪魔にもなしえない。すなわち、何が善でなにが悪であろうとも、またどんな悪人であろうとも、それをなそうと意を定めた当のおのれ自身にだけは誠実であらざるをえない(そうでなければ、かれは何をなそうというのか?)。この点においても、善悪に本質的な差などありはしない。これは、魂の平等性の原則なのである。
もっとも、おのれ自身にだけは誠実でない場合が二つだけありうる。ひとつは(おそらくはこれが真の意味での)狂気であり、もうひとつは自死である。わけても後者は、おのが魂の乗る土俵それ自体を壊すという原則そのものの自壊であって、他殺と同様の罪責を負わねばなるまい。
もしもそのひとの死を願い、実行におよびうる者がそれでもいるとしたら。おそらくはこの世にただひとりしかありえまい――誰よりもそのひとを愛し、誰よりもそのひとに愛された者、そしてそうであるがゆえの重荷をともに負いたいと切に希う者、であろう。それならば許されると言っているのではない。かれこそは裁かれる者、裁きの土俵に上がる資格をもつ唯一の者である、と言いたいだけだ。このとき、かれは単独者となる。そして、そのひとと二にして一である。
単独者とは何か? それはキルケゴールのden Enkelteに由来する用語で、「個別者」とも訳されるが、むしろ直訳的に「ただひとつの当のもの」と言った方が表現として適切だろう。いや、そもそも適切に伝わる体のものではなく、適切という概念自体、適切とは言えないのだが、それでもあえて説明すると次のようになる。
死について考えてみよう。
それも死んだらそれきり、無としての死についてである。万人に知られ、誰もが直面せずにおれない人生最後のイベントが死である。しかし、その直面とは伝聞によるか、目撃者である以上のものではありえない。それを現実に直接的に経験するのは他の誰でもない、当のこの私ただひとりなのだから。ところが、いざ経験するというそのとき、私はいない。言うまでもなく、私は死んでいるからだ。そこにはまったき無しかない。有史以来このかた、死を経験した者は誰ひとりいないのである。無を経験することは誰にもできないのだ。古代ギリシャの哲学者・エピクロスの言うとおり、この意味で死は存在しない。それでも死を否定できない理由は、いよいよというそのときまで私は「ある」からだ。にもかかわらず、そのときはついに到来することはない。ひとたび私という当のものが「ある」以上、それはつねにいま、ここにあるようにあるのみ、さもなくば端的に無でしかない。「ある」と「ない」の中間もなければ、「ある」というこのありかたが「ない」へと、あるいは「ない」から「ある」へと移り行く、一方から他方への漸次的推移もありえないのだ。百歩譲って、それがあるものと仮定しよう。だがその移り行きを当事者として(内側から)経験しつつ観察できるような超越論的視点はありえない。そこに目撃者はいない(無)のだ。それゆえ「そのときはついに到来することはない」というさいの「そのとき」は矛盾の一表現というより、ある跳び越えを意味している。ここに私は、私との絶対的な関係に入る。死というイベントに向き合うとき、私は世界でただひとりの当事者であり、現実に、かつ必然的に単独者であらざるをえない。
ここで反論があるかもしれない。
だとしたら、もとより誰もが単独者なのではないか? 少なくともわたしたちは、そのような存在であるとまでは、理解し共有することができる。だがそれが可能な時点ですでにわたしたちは「単独」とは言えないのではないか?
半分は正しく、半分はそうではない。誰もが単独者でありうるということと、じっさいに単独者であることの間には、ことばに乗せることのできない差異がある。私が死に直面し、現実に、かつ必然的に単独者であって、私との絶対的な関係に入るとき、私が世界でただひとりしか存在しないのは明らかではないか。事実、死ぬのは他の誰でもない、ただ私のみではないか? 誰が死のうと、それは私の死ではない。私と呼ばれるこの奇態なありかたにしか起きないからこそ、それを死と呼びうるのだ。というのも、私の単独性をその内側において証言しうる者は、当の私を除いて誰ひとりいないからだ。このことは、たとえこのようにことばで表現し万人に理解されようとも、共有することはけっしてできない。いや共有されようとされまいと、またハイデガーのように「決意」しようとしまいと、そのときかれは単独者として死に臨むだけである。自らの死を実況し証言しうる者は誰ひとりいない。死んで生き返ったと主張する者は、たんに死ななかったにすぎない。有史以来生み出され伝えられてきた、おびただしい「死後」の物語は、そのことの証左だろう。
単独者とは、以上述べたような当のこのもの性の表現である。「当のこのもの性」とは唯一無二であること、他ではありえないことを意味する。「当の」とは、当事者そのものであることをいう。「このもの性」とはそれを指し示すことができない、そして指し示すことによってそれとの差異が生じることをいう。何をわけのわからないことを、と思われるだろうか。身近な例として、時間でいう「いま」を取り上げて説明しよう。「いま」は、㋑それ以外のありかたを事実であれ想像であれ、考えることすらできない。過去や未来も、げんにそれが出来事として経験されるのは「いま」でしかありえない。いつでも、どこまで行っても「いま」しかないのだ。だが、㋺それを指し示すことはできない。指そうにも指すものがないのだから。「いま何時?」と訊かれたら、時計を見て「ちょうど朝の六時を回ったところだよ。」と答える。ここで、時計とそれが示す文字が「いま」でないことは明らかだろう。それは「いま」という世界の内包のひとつでしかない。しかも㋩「朝の六時を回ったところだよ。」というさっきの発言はすでに過去であって「いま」ではない。ここに矛盾と差異がある。指し示すことによってそれとの差異が生じるとは、この意味である(この差異を最初にかつその最深部において問題化した人物が、二〇世紀初頭の英国の哲学者、ジョン・エリス・マクタガートであり、おそらく二人目はマイケル・ダメットではなく日本の哲学者、永井均である)。じゃあ「いま」はどこにあるの? どこへ行ったの? と子どもに問われて、ここだよ、ずうっとここにあるこれだよ、と答えても、じゃ「これ」って何? と問い返されるだけだろう。「いま」は概念のスキームとしても実運用にしても、誰しもが把握可能であり、じっさい理解と共有がなされている(と思われている)にもかかわらず、それを何らかの実体として指し示すことができない、まことに異様な存在(存在?)なのである。ちなみに、このことは「この私」についても言える。つまり「私」を指し示すことはじつは不可能なのだが、ここでは本筋でない話なので割愛する。このように「いま」も「私」も「死」も、誰にとっても自明でありうるが、一方では誰に対しても証しされることはない。そしてそれは、「いま」や「私」や「死」に限った話ではない。しばしば愛のなせるわざでもある。望もうと望むまいと、愛の自己運動に突き動かされ、愛する者との絶対的な関係に入るとき、かれは必然的に単独者とならざるをえないのだ。
――ここまできて、私はようやくアブラハム=キルケゴールの試練に対峙することができる。
(第05回 了)
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