世界は変わった! 紙に印刷された文字の小説を読む時代から、VRでリアルに小説世界を体験できるようになったのだ。恋愛も冒険も、純文学的苦悩も目の前にリアルな動画として再現され、読者(視聴者)はそれを我がことのように体験できる! しかしいつの世の中でも悪いヤツが、秩序を乱す輩がいるもので・・・。
希代のストーリーテラーであり〝物語思想家〟でもある遠藤徹による、極めてリアルな近未来小説!
by 遠藤徹
三、『走れメロス』
けれども、ゆっくり冷や汗を流している暇すらなかった。
「じゃあ、次の現場行きましょうか」
俺たちはまだVR空間の中にいた。そして、高満寺ときたら、なにげに次の作品の呼び出しにかかっているではないか。
「まだ何かあるのか?」
ちょっとうんざりだ。今日はずいぶん立て続けに事件が起こる。
「こっちはまあ、大したことはないだけどね」
「愉快犯的なあれか」
少しだけ気が楽になった。もう、さっきみたいのは御免こうむりたいというのが正直なところ。
「うん、あれよ、メロス」
「ああ、またメロスか。あいつ、いじられるのがよっぽど好きなんだな」
「っていうより、なんていうか突っ込みどころ満載なんでしょ。元々の物語からして結構無理あるし。何十年か前に、中学二年生に、実は歩いてたってこともばらされちゃったりしたわけだしさ」
「それも、手書きのレポートでね」
そうなのだ。太宰治の『走れメロス』は、突っ込みどころが多いせいか、読者のパロディ心をくすぐるらしい。すでにいくつもの二次創作が作られている。ギャグものから、やおいものまであらゆるパターンがある。二次創作ならまだ、原典に手が加えられるということはないから俺たちの管轄外なわけだが、ときとしてそれにはあきたらず、原典(プロトタイプ)に入り込んで(ダイブして)イタズラをする輩が現れるのだ。それもかなりの頻度で。この世界では有名な話だが、この物語ほど修復の跡が数多く重ね書きされている作品は日本文学では、後は龍之介の『蜘蛛の糸』くらいのものだろう。
たとえば、例の中学生による「メロスは歩いていた」という暴露事件の記憶から予期されたこととはいえ『恥れメロス』とか、『だりいよメロス』『あきれたぞメロス』などといった改竄が試みられた。逆に、メロスの物語を愛してやまない連中が、中学生が指摘したいくつもの箇所を改竄し、メロスを走らせるという方向性もあった。たとえば、出発時間を遅らせる細工をするとか、距離設定を書き換えるといったやつだ。今日のいたずらは、設定を変えずに、ただひたすら走らせた結果、メロスがずいぶん早くにセリヌンティウスのところにたどり着いてしまい、なんだか間延びした感じの物語になってしまったというパターンだった。
「それではともに昼飯でも食おうではないか。とはいえ、昼までにもまだ少し間があるが」
と暴君ディオニソスは戸惑いながらメロスとセリヌンティウスを誘った。
「しかし君、まさか午前中に到着するとは」
セリヌンティウスもやや不満げである。
「すまん、ちょっと気張り過ぎた」
あまりの速さに盗賊たちの目に触れることもなかったメロスは、それゆえ身ぐるみも剥がれていなかった。ラストにとっておいた「君はまっぱだかじゃないか」というからかいのシーンも不発となって、王も国民も誰もが物足りない思いをしていた。感動と笑いという娯楽を求めていた民衆たちも、なんだか興ざめした顔で帰っていった。というより、まだ午前中だったために、「群衆」と呼べるほど人も集まっていなかったりしたわけだが。
「まあ、あれだ。お前が俺のために気張ってくれたのはわかってる。でもそのなんていうか」
友情に邪魔されて言葉につまるセリヌンティウス。それを受けて、暴君ディオニソスが思いをあふれさせた。
「ドラマだよ。これじゃ、ドラマが足りん。まさか午前着はないだろうが、ええ、君。いくらでも方法はあっただろう? ちょっとスタバで休むとか、マン喫で昼寝するとかしてくりゃあよかったんだよ。時間ぎりぎりじゃなくっちゃ、誰も盛り上がれんだろうが。しかも着衣のままときたよ」
さんざん二人から批判されて、すっかり縮こまってしまう哀れなメロスであった。
「ああ俺はなんてことを」
メロスは涙をこぼした。
「どうも、タイトルを意識しすぎたみたいだ」
といった、お笑い種の書き込みを削除。途中に挿入されていた「メロスは疾風のごとく駆け抜けた」「メロスはますます加速した」「メロスは加速しつづけついに音速を超えた」「盗賊たちには、目の前を駆け抜けていったものが一陣の風としか見えなかった」などという描写もすべて削除した。
「最初っからギャグのつもりでやってるだけあって、あの場面、体験するとそれなりに笑えたな」
「そうね。ディオニソスの困り顔もよかったけど、友情と感動の間に引き裂かれてたセリヌンティウスのひどいかゆみに堪えてるみたいな顔がなんともいえなかったわ」
俺たちは、さっきVRで目撃した三人のやりとりを反芻して、もう一度苦笑した。抹消した以上、二度と同じ体験はできないのだから、それくらいは許されてもいいだろう。
今回のは素人のいたずらだった。だから、侵入経路も、工作の痕もはっきりと残っていた。残されていた情報から俺たちは犯人を特定し、本部に通報した。哀れ犯人は、二年ほどの刑に服すことになるだろう。俺はすこしばかり同情した。
(第03回 了)
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* 『虚構探偵―『三四郎』殺人事件―』は毎月15日に更新されます。
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