女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
仙台での三日連続公演の後は、少し間が空いた。だからといって休める訳ではもちろんなく、おチビちゃんはいつもの稽古場で、浅利先生の隣に座ってダメ取りをしていた。
本音を言えば自分の稽古をしたいし、自分の為に時間を使いたい。どこか焦るような気持ちがある。経験したからこそ分かる高み。その感覚を忘れたくはない。でも目の前で繰り広げられる他人の稽古や、それに対する浅利先生のダメ出しを記録するうちに、段々と内側は鎮まっていった。
「これも貴重な勉強なんだ」という気持ちや、昨年末のサンシャイン劇場公演を通して得た経験、そして浅利先生からいただいた「素晴らしい芝居をありがとう」という言葉が、今、おチビちゃんの小さな身体を内側から支えている。
『この生命誰のもの』全国巡業の久々の開演、いわゆる「返り初日」の舞台は岡山だった。おチビちゃんにはなかなかの好感触だったらしく、手帳には「全体的に新鮮で、緊張感があってよかった」と記してある。
そしてもう二行。
「声は東京より楽に通った」
「お客の反応はとてもよい。東京や仙台よりずっとよかった」
そう、おチビちゃんは今まで以上のものを目指して舞台に立っている。前進あるのみ、と言い換えてもいい。でも、だからこそ気にかかることもあった。
「ダメ 語尾落ちしている S様より」
S様はスタッフ、「語尾落ち」とは言葉の語尾が不明瞭になること。つまり関係者からダメを出された形だが、別に気分を害した訳ではない。むしろその逆だ。
実はこの日、公演後にパーティーが行われた。普段なかなか触れ合う機会のないファンの方を招いての楽しい宴だが、手帳の上では一言ぽつりと触れているだけ。
「もっと発展性のあるものはないのか……」
もちろん楽しくなかったわけではない。自分たちの活動を応援し、支えてくれている方々に喜んで頂けるのは素直に嬉しい。そして幸せだ。でも今のおチビちゃんにとって、楽しいだけの時間はどこか物足りなくもある。だから「自分にダメを出したのが、関係者ひとりだけ」という現実が少し寂しかった。
――もっと良くなる為に、もっとアドバイスが欲しい!
そんな真っ直ぐな気持ちが小さい身体から、今にも溢れてしまいそうだ。
翌日は広島公演。二月なのに何だか暑かった。手帳の冒頭にはこう書かれている。
「始まるまで時間がなくて焦った。もう少し早く楽屋入りをしないと、全く無防備で出ていってしまう」
今回おチビちゃんが誰よりも大変なのは、舞台上のことと並行して、共演者――つまり先輩方の世話やお手伝いがあるから。別に忘れていた訳ではないけれど、みんな好き勝手に自分の用事を言いつけるので、どうしても元々頭で考えていた時間をオーバーしてしまうのだ。
その結果、十分な準備が出来なかったおチビちゃんは、本番でうまく声が出せなかった。もちろん全てをそのせいにするつもりはない。
「一つのフレーズの中で言葉と音圧が違い過ぎる」
「一音一音、お腹で切っていない」
「やはり腹筋を使わないとダメ 強化する 課題」
確かに手帳にもそう書いてある。
そんな分析と努力の賜物か、次の日の大津公演は雪のせいで非常に寒かったにもかかわらず、しかも昼には滋賀県庁まで御挨拶に行かなければいけなかったにもかかわらず、公演自体は満足のいく出来となった。
翌日が移動日ということもあり、夜には立岡晃さんや藤野節子さんと車で京都まで遊びに出かけた。こんなことは珍しい。次の日も公演があるとなかなかこういう訳にはいかない。
まだ旅公演の日程は序盤だが、おチビちゃんは日々痛感している。新しい土地へ行って、公演を行う建物へ入る度に思うのは「舞台ってひとつひとつ違うんだなあ」ということ。そんなの当たり前じゃないか、と簡単に笑うなかれ。「当たり前」は経験しなければ分からない。
声の届き方、空調の強さ、お客さんとの距離。本当に全部違う。何とか本番が始まるまでに、自分をその舞台に合わせてチューニングしなければならないのだ。そして、その為には圧倒的に時間が足りない。
「ちょっと! あれ、どこ? ちょっと!」
「おーい、いないの? ねえ、いない?」
こんな風に共演者の慌てた声が聞こえてくると、たとえ自分が何かをしていたとしても中断して「はい、ここでーす」と立ち上がるようになった。自分以外に、色々と頼まれる人はいないのだから――。
大阪公演は二日間。「返り初日」だった岡山公演から、まだ一週間しか経っていない。さすがに疲れが溜まるような年齢ではないが、手帳に書き付けられた文字からはおチビちゃんの微かな苛立ちが伝わってくる。
「暖房の音がうるさい」
「二幕のジョンとの最初のやり取り ウソの芝居」
「ジョンとのからみ 暗かった(照明)」
勢い余って照明さんにまで当たっている。
また、前々から危なっかしいと思っていたシーンでとうとう靴が脱げたりもした。あれは本当に焦った。どうにか台詞を言いながら履いたけれど、その間の記憶はない。期せずして台詞がしっかり身体に入っていることを確認できたが、やはり舞台は何が起こるか分からない。
また一日移動日を挟み、ここから四日間かけての四国巡りが始まる。
まずは香川。この日は浅利先生が会場入りしていた。普段、稽古場で会うより緊張するのは、自分自身が気負っているからかもしれない。
「オーバーなところ、受けを狙っているところがあるというダメが出た」
「慣れてきたというダメがあったので、初心にかえって緊張してやった」
「声を出すことで芝居が壊れるのは変だ、というダメがあった」
すべて先生から出たダメだ。何の反論もない。後から読み返して思うことは「やっぱり気負っていたんだな」ということ。それを改めて確認できた。頂いたアドバイスはちゃんと記してある。そして時間が許す限り自分の演技を省みて、次の舞台は今よりも良くしようと考えている。
「もっと自然な流れ、テンポがあるべきだ。サンシャインの時にはそれがあった」
受けた指摘が刺激となったのか、今日は心なしか筆圧も高い。そして最後はまた照明さんへ一言。
「明かりのミスも大きい」
翌日は徳島。昨日に続き浅利先生も会場入りしている。そしておチビちゃんは、手帳一ページがすべて埋まってしまう程たくさんのダメを出してもらえた。
細かい動作や台詞の抑揚を指摘され、おチビちゃんは反省しきりだった。ああいう芝居をするようには演出していない、と先生から面と向かってズバリ言われたシーンもあった。そうなのよね、と心の底から思う。たしかに稽古場では、そんな動作をしていなかったはず。
でも、と不安な気持ちのおチビちゃんは更に考える。実はサンシャイン公演の頃から、すでに勝手なことをしていたのかもしれない。別にお客さんに受けたいと思っているつもりはないけれど、やっぱり受けると嬉しい。その経験を身体が記憶していて、自然とズレてきちゃったのかな……。
浅利先生が言っていたように、私が演じるケイ・サドラーは主人公が抱えた「死」に対する「生」の象徴。無垢で純粋なものとして輝いているだけでいいんだ。それなのに私は何かをやろうとしてしまっている……。
「赤ん坊がサルの真似をしているだけ」
おチビちゃんはそうも書いている。自分への批判、もしくは断罪と言い換えてもいい。
そしてその数行後には、ゼエゼエと喘ぐような言葉が綴られていた。
「くやしい……。私はプロではない」
ダメ取りをしている時、浅利先生はよく役者に対して厳しいことを言う。
「おい、あいつ見てみろ。調子に乗ってるの分かるか? 馬鹿だよな」
もちろんその役者に伝えることはないが、おチビちゃんにも何となく言わんとする意味は分かる。
直接向かい合ってそういう話をすることも今まで何度かあった。具体的に誰が、という話ではない。いわゆる「役者」という人種に対してだ。
「あいつらはね、すごく傲慢なんだよ。ね? すぐ出来たと思っていい気になる」
初めて聞いた時はどういう顔をしていいか分からなかった。多分、ちょっと俯いてしまったと思う。
「奴等はとにかく自惚れが強すぎるよ。どんどんどんどん自惚れて、自分が出来てると思い込んでるんだ。だから役者ってのは馬鹿なんだ。役者ごとき、でいいのに」
その言葉は浅利先生が発するからこそ重く、身体の内側に積み上げられていく。
「僕はね……、役者が大嫌いなんだよ」
この言葉にはさすがのおチビちゃんも驚いた。思わず顔を上げ、ちらりと盗み見た先生の顔は……意外にも優しかった――。
そんな記憶が蘇って来たのかもしれない。おチビちゃんは最後にこう書いている。
「役者ごとき、なのだ。私が自分を捨てることができるまで、決してプロにはなれない」
先生からの細かなダメ出し、またそれを受けた自分なりの判断のおかげで、翌日の愛媛での公演はいつもにも増して丁寧に演じることができた。
「今日は全体がダメ出しを忠実に守ろうとしていたため、テンポは落ちたが丁寧だった」
確かに手帳にはそう書き記してある。ただこれで終われば問題はないが、どうしても気に掛かる部分では、自分自身を追い詰めてしまう。
「今までの芝居は何と不親切だったのだろうか」
おチビちゃんは同じ日の手帳にこう綴っている。無論こんな書き方をしてしまえば、込み上げる想いが内側から逆流するのも無理はない。
「結局自己満足だったのだ」
「自分で気持ちの良いテンポが、良いテンポだと思っていた」
「そして観客がついてこない日は観客のせいにしていた」
気付けばおチビちゃんは高みを目指そうとするあまり、いつの間にか自分をきつく責めるようになっていた。
そして迎えた四国の最終日は高知での公演。浅利先生はいなかったけれど、この日も舞台監督からダメが出た。当然おチビちゃんはその指摘としっかり向き合い、眠る前の僅かな時間を使って手帳に記す。
「ジョンとの最初のからみ ふてぶてしくなっている」
「きつすぎる 声を出し過ぎ」
「東京の時の方が初々しさがあった」
相変わらず厳しい言葉が並んでいるが、この日は今までと違って、まだ終われないようだ。しばらく目を閉じた後、おチビちゃんはこう綴っていた。
「ここの先輩は行儀が悪い」
「人に対する頼み方を知らない」
(第20回 了)
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