女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
言葉には力がある。良い言葉を発すれば良いことが起き、悪い言葉を発すれば悪いことが起きる――そんな「言霊」の存在を持ち出すまでもなく、おチビちゃんにはそのことが痛いほどよく分かっていた。
理由を聞くなんて野暮。役者にとって言葉は、自分を表現する為の大事な道具だ。その自覚があるからこそ、会場によって変化する自分の声の響き方にはいつも神経を尖らせているし、発声する台詞の内容が心身に影響を及ぼすことは、経験を通して理解できている。だから今、おチビちゃんは自分の書いた文字から目が離せなくなってしまった。
「ここの先輩は行儀が悪い」
「人に対する頼み方を知らない」
お腹の辺りに妙なざわめきがある。「いいぞ、いいぞ」とけしかける声や、「お前は何てこと書いてるんだ」と叱る声や、「あーあ、言っちゃった」と呆れる声。色々な声がパタパタと重なり続けている。ついさっきまで眠かったはずなのに、内側がずいぶんやかましい。ベッドの上でうつ伏せの状態のまま、おチビちゃんは大きく伸びをした。
「顔、洗おうかな」
我ながら白々しい声だと思う。千人単位の観客の前で、舞台に立っているのが嘘みたいな声。すぐにダメが出る。でも言わずにはいられなかった。さっきお風呂から出たばかりだから、別に顔なんて洗いたくないけれど、そうでもして身体を動かさないとまずいような気がしている。
だけど結局無理だった。東京から八〇〇キロ離れた高知県のホテルの部屋で、おチビちゃんはベッドから動けない。
それから少し間があった。本当に少しだけ。静かな部屋の中で考えることは、そんなに多くない。おチビちゃんはうつ伏せのまま、再び手帳に綴り始めた。
「ちっとも偉くもないのに、偉そうな態度をしたがる下品な人ばかりだ」
こうして実際に書き始めてから、書くことをためらっていた自分に気付く。そんな不思議な感じがあった。それでもやっぱり書いた方がいい。こんな不満を抱えたまま、良い芝居なんかできるもんか――。
思ったことをそのまま綴ることで、全てを吐き出したつもりだった。でもなかなかそれは難しかったらしい。手帳の最後にはこう記してある。
「こんなに嫌いな人たちと一緒に芝居ができるだろうか……」
翌日の舞台、おチビちゃんは努めて冷静でいようと頑張った。丁寧に演じようと神経を集中させていた。その結果、見えてきたものがある。
「それぞれがそれぞれの課題を意識しすぎて、全体の流れを無視している。みんなの気持ちがバラバラになっている」
このメモの通り、客観視できてはいるが、そんな自分からしてまずバラバラで、だからこそ苛立ちはなかなか鎮まってくれない。とうとうおチビちゃんの自己採点は落ちるところまで落ちてしまう。
「今日の自分の居方はこれまでの中で最悪だと思う。全ての人を憎みながらやっている。誰ひとり、好きになれない」
この日をもって四国巡業は終わった。ずいぶん長いようにも感じたが、一県ずつ公演を行い計四日間。次の会場は、移動の為の一日を挟んでから長野県の松本市。その一日でどうにか気分転換ができるはず、とおチビちゃんは期待していた。
でも運命はなかなか意地が悪い。こういう時は何から何までうまくいかなくなってしまう。浅利先生の号令がかかり、その移動日は巡業中のメンバー揃って大町の山荘へ行くことになってしまった。無論、意地が悪いのは運命だけ。先生に罪はない。山荘がある大町市も、次の公演がある松本市と同じ長野県。みんなでゆっくり骨休めをして、次の公演を頑張ってもらいたいという優しさ、気遣いだ。それはおチビちゃんも分かっている。ただ今回だけは勘弁してほしい、一日でもいいからこの集団から離れたい……。そんな密かな願いが叶うことは当然なく、結局今までと変わらない顔ぶれで先生が待つ山荘へと向かうのだった。
役者の世界、少なくともおチビちゃんが知っている劇団四季の中には、しっかりとした上下関係がある。だから今まで先輩方から用事を言いつけられたり、物事を頼まれたりすることに疑問や不満を抱いた覚えはない。それが普通だと捉えてきたし、今だってそこに問題があるとは考えていない。単に自分の限界が来ただけ。そう思っている。
これまでも先輩方と一緒に旅公演に出て、色々と言いつけられたり頼まれたりしてきたが、自分ひとりということはなかった。同じような立場の人間が誰かいて、忙しさや気疲れを分け合うことが可能だった。でも今回は違う。全部、私ひとりで受け止めなければいけない。他の人が何かを頼んでいるなんて考えもしないから、みんな自分勝手に頼むだけ頼んで、気付けば三つも四つも頼まれごとを背負いこんでいる。あーあ、もう一人誰かいてくれたらなあ……。
移動中の電車の中だって油断はできない。気を付けるべきは食事の時間だ。基本的に先輩方は食べるのが早い。さっき開いたばかりの駅弁を、次の瞬間にはもう食べ終わっている感じ。それに比べておチビちゃんはとにかく食べるのが遅い。そんな時、どんなことが起きてしまうのか? 答えは簡単。注目されてしまうのだ。そして言葉が飛んでくる。
「ねえ、その煮物どう? 美味しい?」
「ほら、野菜を残しちゃダメじゃない」
いちいち応対しながら食べるので、味など分かったものではない。面倒くさいから食べるのをやめると、残すのはもったいないじゃないかと注意をされる。だったら、と無理して早く食べ終えたこともある。もちろん味は分からない。さあ、これなら大丈夫と思ったのも束の間、先輩方が感心しながら尋ねてきた。
「あら、よっぽど美味しかったのね。で、どのおかずが気に入ったの?」
だから今、電車で移動中のおチビちゃんは、椅子に全体重を預けながら眠ったふりをしている。お腹は少し空いているけど我慢。とにかくこうしていれば大丈夫。わざわざ起こしてまで何かを頼んでくる人はいないんだから――。
今回、大町で過ごした時間がおチビちゃんにどんな影響を与えたのか。それを知るには本人が綴った言葉を確認した方が早い。これは翌日の松本での公演が終わった夜のメモ。心なしか文字も乱れがちだ。
「大町から入ったため、あまり体調がよくない。イライラしている」
「声はよく出ないし、表情は冴えないし、もうイヤ!」
「大町なんか行ったからいけないのか……」
「ああ、ここから離れたい」
「ただ唯一の願いは、この集団から逃れたい」
感情的な言葉の羅列に、大きなトラブルがあった可能性を考えてしまうが、実際はそうではない。みんな普通に過ごしていた。
普通に疲れを癒し、普通に先生と談笑し、普通に美味しいご飯を食べて、普通におチビちゃんに用事を言いつけたり物事を頼んだりした。全てが普通だったが、限界を越えてしまった心と身体にはかなり厳しかった。浅利先生がいるので、出来るだけ疲れを見せまいと平気そうに振る舞っていたのも原因のひとつかもしれない。途中、まるで演技をしているみたいだなと思った。「先生、私は旅巡業だって、全然平気なんですよ」という演技。ダメを出されなかったので、きっと良い演技だったのだろう。今、おチビちゃんにとっての救いはそれくらいしかない。
松本の翌日は千葉、その翌日は名古屋と、あまり合理的ではない移動が続いた。
「私としては、ただひたすらダメを繰り返さないことだけを考えている」
「なんだか、だんだん疲れてきた」
名古屋の後は移動日を一日挟んでから秋田へ。ここから東北、北海道の旅が始まる。二月下旬、厳しい寒さの中、体調管理も重要な仕事のひとつだ。この時期、都内にいても役者はマスクが手離せない。風邪をひかないまでも、喉を痛めたら良い芝居ができなくなってしまう。
秋田、岩手と連日の公演を終え、休みを入れずに青森・八戸で二日間。おチビちゃんはずっと疲れ続けていた。
「最近、声がやせてきたと言われた。気持ちの落ちこみが、すぐに声にでてしまう」
「基礎を怠っていると言われたが、今に始まったことではない。旅に出ているから心がねじれて、声まで出なくなったのだ」
「これは私が自分自身で感じることだから分かる」
日々疲れ続ける中、どうしても「支え」が必要となってくる。この時代――昭和五十五年に携帯電話があれば、どれだけ楽になっただろう。恋人や友達にだらしなく愚痴るだけで、疲れは半減、いや、消滅するかもしれない。
ただ、今のおチビちゃんにはそれも叶わない。だから自分の芝居、その正しさを「支え」にしたくなる。具体的に言えば「浅利先生の教えをちゃんと体現できている」という正しさ、そして「それは私だけ」という自負心。おチビちゃんは知らず知らずのうちに、そこへ寄りかかり始めていた。
舞台に立っていても、先輩方の芝居のゆるみが気になってくる。例えば旅に出る前、サンシャイン劇場公演の時とは全然違う様な芝居に思えて仕方ない。東京を離れ、先生の厳しい目から離れたからといって、肝心の芝居を崩してしまっていいのか? でも、現実は不思議とよじれている。舞台監督からのダメ出しは、なぜかいつも自分が一番多い。いけないと思いつつ、「私が若くて言いやすいからだわ」という気持ちが湧き上がってきてしまう。とっても嫌な考え方。自分でもそう思う。でもそう思わなければ、この巡業の最終日、いわゆる「楽日」まで心も身体も持たないはず――。
そんなトゲだらけの杖を頼りにしながら、おチビちゃんは一日目の八戸公演の後、地元の市民劇場の方々との交流会に参加した。これもファンの方を招いてのパーティー同様、役者にとって貴重な機会だ。
この日、会場にいたのは、純粋に芝居を愛する人たちだった。彼、彼女たちが述べる感想や、遠慮しがちに投げかけられる質問、そして意見はきらきらと輝いていて、おチビちゃんは笑顔で応じつつも圧倒されてしまった。プロではない「けれど」、プロではない「からこそ」芝居を愛せるのかもしれないと思ってしまったのだ。
その夜、ホテルの部屋に戻ってからおチビちゃんはこんな言葉をそっと綴った。
「やっぱり私、観客の一人にすぎなかったのかもしれない」
「舞い上がった観客がここまで来てしまったのか」
そんな心細い想いは、二日目の公演を終えてもなかなか消えてはくれなかった。
「ミーティングもあって、少しずつまとまってきているが、わからない所がたくさんある」
「私がどう見えているか、正確に判断してくれる人がいてほしいと思う」
この感じ、似ているなと思った。まだ高校生だった頃、入りたかった学校の先生にひどいことを言われて、仙川駅近くの跨線橋の上から飛び降りようとしていたあの時と似ている。でもあれは役者になる前の話。やっぱり実際になった今の方がきつい。だからおチビちゃんは、ホテルのベッドの上で書き続けた。
「何をどうしていいか、もう分からない」
「サンシャインの時は一回一回が、こだわらずに嬉しかった」
「やはり健康さだ。これがここにはない。はっきりとない」
「やはりダメだ。やっていけない。やっていきたくない」
そう書き終えた後、おチビちゃんは滅多にない高揚感を感じていた。私の人生が変わるかもしれない。そんな予感めいた身震いもある。今、頭の中に浮かんでいるのは、昨晩出会った地元の市民劇場の方々の顔。きっと私は恵まれているのだと思う。
たまに耳にする小さな劇団の苦労話のように、公演を行う度にお金のことで頭を抱える必要はない。今回だって、きっともう次の公演の予定は決まっていて、私は舞台に上がることができるだろう。しかもただ上がるだけではなく、目の前にはお金を払って見に来てくれたたくさんの観客の姿がある――。
今抱えているのは、とっても贅沢な悩みかもしれない。でもなあ、と息を吐いておチビちゃんは綴り続けた。
「私は熱烈な観客で留まっていれば、完璧だったに違いない」
「私としては俗っぽい生き方だった」
でも、と続けて書いた後、しばらくは緊張で動けなかった。取り返しがつかなくなるような予感がある。でも、しばらく足をバタバタと揺らした後、おチビちゃんはしっかりと書き進めた。
「でも、私はまだ若い。今からでも選択は可能だ」
「私をはっきりと目覚めさせてくれる、透んだ生き方の人たちに出逢いたい!」
(第21回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『もうすぐ幕が開く』は毎月20日に更新されます。
■ 金魚屋の本 ■
■ 金魚屋 BOOK Café ■
■ 金魚屋 BOOK SHOP ■