女優、そして劇団主宰でもある大畑ゆかり。劇団四季の研究生からスタートした彼女の青春は、とても濃密で尚且つスピーディー。浅利慶太、越路吹雪、夏目雅子らとの交流が人生に輪郭と彩りを与えていく。
やがて舞台からテレビへと活躍の場を移す彼女の七転び、否、八起きを辻原登奨励小説賞受賞作家・寅間心閑が Write Up。今を喘ぐ若者は勿論、昭和→ 平成→ 令和 を生き抜く「元」若者にも捧げる青春譚。
by 文学金魚編集部
あれからもう一度、おチビちゃんは金森さんに「愉気法」を施した。やはり当てた手が強く吸われる感じがある。何が、といってもうまく言葉にするのは難しい。気、としか言いようがないけれど、それが吸われる感じは水に似ている。先端だけ水面に浸した乾いた布が、ぐいぐいと水を吸い上げるようなイメージ。手で触れ、繋がることによって、自分の気と相手の気を対流させるのだから、それは間違っていないと思う。
つまり一度は、相手の痛みを受け取らなければならない。その痛んでいる気を、自分の中で浄化してから戻す――と、言葉にすると、やはりどこか違うような気がする。ただひとつ間違いないのは、最後は自分も相手も楽になっていなければいけないということ。そしてその為には、途中で手を離してはいけないということ。だから結構時間がかかる。
この間はやり終えた後に、金森さんの病状を知っている人たちから口々に尋ねられた。
「どうだったの?」
「やっぱり結構重いのか?」
「どうしたら金森さん、楽になれるかな?」
私はお医者さんじゃないので分かりません、とはさすがに言えない。そんなこと、みんな分かっている。でも尋ねずにはいられないのだ。
おチビちゃんは言葉を選びに選んだ末、「きっと免疫力が落ちているんじゃないかな、と思います」と答えた。多分、みんなが欲しかった答えとは違ったと思う。本当に言葉は難しい。
そんなことをぼんやり考えながら歩いていたから、後ろから呼ばれていることにも気付かなかった。最近、こんな瞬間が多いかもしれない。
「おーい、ちょっと」
あ、これ私だ。そう思って振り返ると、よりにもよって浅利先生。すみませんすみません、と謝りながら小走りに駆け寄る。そんなおチビちゃんの姿に苦笑しながら、先生は「考えごとかい?」と顔を覗き込んだ。
「いえ、大丈夫です。すみませんでした」
「まあ、ならいいけれど。えっとね、これ」
目の前に出されたのは脚本だった。表紙には「この生命誰のもの」と書いてある。これがタイトルなのかしら……。
「このセイメイ……」
「違う違う。このイノチ、と読むんだよ」
「このイノチ、誰のもの……?」口に出して見上げると、浅利先生はそうそうと頷いている。「えっと、これは……」
「とにかく読んでおいてくれないか」
はい、とハキハキ答えるのは条件反射。直後に「どうしてだろう?」と浮かんでくる。もちろん先生に理由なんて訊けない。
「なるべく早くだよ。そうだなあ……できれば今日中に。いいかい?」
はい、と答えたからには読まなくては! 初めはそんな義務感めいたものもあった。でも読んでいくうちに、そんなことを忘れてしまうくらい、その物語はおチビちゃんの内側に不思議な感動を残した。
イギリスの劇作家、ブライアン・クラークによるこの戯曲は、昭和五十年代の日本ではまだあまり馴染みのなかった「尊厳死」を扱っている。
三十代の若き彫刻家が、ある日交通事故により首から下の身体の感覚が麻痺してしまう。更に医師からは、今後症状の改善が見込めないと宣告される。生きることに絶望した彼は退院を希望するが、病院は受け入れてくれない。そんなことをすれば、数日のうちに亡くなってしまうからだ。ただ、それこそが彼の望み――尊厳死であった……。
翌日、おチビちゃんは稽古場で先生の姿を探した。ちゃんと読んだことを伝えたかったのだ。でも不思議なことに自分から探している時は、なかなか見つからなかったりする。
「あ、先生。おはようございます!」
「おお、どうした?」
「私、全部読みました」
「そうか。で、どうだった?」
いきなりそんな質問をされるのは予想外だった。すごくよかったです、と言いそうになって慌てて口をつぐむ。多分、そういうことじゃない。やっぱり言葉って難しいな。
まごまごしているおチビちゃんを見て、先生は質問の角度を変えてくれた。
「君の中に響くものはあったかな?」
先生からこんなことを訊かれるのは初めて、なんて驚いてはいられない。
「はい、それはありました」
頷きながら先生は待っている。何がどう響いたのか。おチビちゃんは考えて、それを言葉にして伝えた。するとまた質問の角度が変わる。
「君、出たい?」
「え?」自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出てしまった。「あ、すみません」
「どう、出てみたい?」
はい、と答えながらおチビちゃんは思っていた。もし私がやるとしたら、あの見習い看護婦だろうなあ……。
その予想は見事に当たっていた。でも予想しきれなかったことも当然ある。正式に自分がキャスティングされてから、改めて考えてみると、『この生命誰のもの』は自分にとって初めてのことばかりだった。
まず、大人向けの作品であるということ。今まで経験してきた『モモと時間泥棒』や『青い鳥』のように、子どもたちが観てくれるものとはまるで違うはず。どちらが良いとか悪いとかではなく、未知の難しさが待っているに違いない。フフフ、と思わず笑みがこぼれる。実はおチビちゃん、ずっと大人向け作品に出てみたかったのだ。心地良いプレッシャーを楽しみながら、自分の部屋でそっと深呼吸をしてみる。
次の「初めて」はストレート・プレイ、即ち音楽・歌・セリフ・踊りを結合したミュージカルではなく、純粋なセリフ劇であるということ。深呼吸の途中なのに我慢しきれず、フフフと笑いが漏れてしまった。思わず体勢が崩れる。そう、おチビちゃん、昔からすぐにでもストレート・プレイに挑戦してみたかった。こんなにすぐ願いが叶うなんて。
そして最後の「初めて」は初演の舞台であるということ。つまり、誰も演じたことのない役を演じられるのだ。今までは誰かがすでに演じてきた役だったので、どこかイメージが限定されてしまう部分や、過去の人たちと比較される可能性があった。
それが今回は違う。一面に広がった真っ白な雪の上に、初めて足跡をつけるのは自分なのだ。お手本なんてどこにもない。でも、その代わりに自由。しかもストレート・プレイだから、決まったステップや振付けがあるわけでもない。とにかく私がやるしかないんだ!
何度も何度も脚本を読み、あの見習い看護師、ケイ・サドラーのことを想像してみた。どんな表情? どんな声? どんな人? これを始めるとなかなか止まらない。いつの間にか深呼吸をやめたおチビちゃんは、また机の上の脚本に手を伸ばした。
「まあ、別にー、ミュージカルが苦手なわけでは、ないんですけどー」
デタラメな節をつけて口ずさんでみる。別にふざけてはいない。ただ、数日前のことを思い出してしまっただけ。ダンスの稽古が終わって、浅利先生のダメ取りを行う為に急いでいた時、先輩のXさんがすれ違いざまにこう呟いた。
「ったく、ろくにターンも出来ないくせに」
私に言ってるな、と思ったのは今に限ったことではないから。あんなこと、それこそ『モモと時間泥棒』の頃からあった。場所も稽古場だけではない。旅公演の際に言われたこともある。そしてXさんに限ったことでもない。大抵そんなことを言ってくるのはオトコの先輩たちだ。
「オンナだからってだけでなあ」
「この世界はさ、可愛いってだけじゃやってけなくなるんだよ」
馬鹿らしい、とはあまり思わないし、悲しくなる感じともまた違う。そもそもそんなことに時間を使う程ヒマではないのだ。自分のレッスンに浅利先生のダメ取り、お声が掛かれば大町の山荘にも行かなければならない。先週だってスポンサーさんを招待してのゴルフがあるというので、同行していつもの8ミリカメラで撮影をしてきた。
四六時中こんな感じで慌ただしくしている姿に、彼等がイライラしているのは分かる。もしかしたら、と予想してみた。他人が充実している姿にストレスを感じる人は、案外多いのかもしれない。
「みっともないのはー、オトコのやっかみー」
さっきより大きな声で歌って、軽くターンを決めてみた。これくらいなら出来ますわ。あと何日かすると、『この生命誰のもの』の本格的な稽古が始まる。
期待と希望に満ち溢れ、稽古に臨んだおチビちゃんだったが、いくらキャリアを積んできたとはいえ、まだまだ若手。もちろん順風満帆とはいかない。「オンナだからって」とか、「可愛いってだけじゃ……」なんて言っている人には分からないだろうけど、やはりこの世界は厳しいのだ。
一番ガツンときたのは、主要なメンバーだけピックアップして行う山荘での稽古。尊厳死を望む主人公、ケン・ハリソン役は日下武史さん。病棟婦長のシスター・アンダーソン役は藤野節子さん。主人公と病院の間で悩む女医、クレア・スコット博士役は影万里江さん。そんな錚々たる顔ぶれの中、自分ひとりだけが群を抜いて若かった。
その場面について、別に気を抜いていた訳ではないが、特別難しいシーンだという認識はなかった。自分がセリフを言うところではない。そのセリフを言う前の、相手の言葉を聞いている段階で浅利先生からダメが出てしまうのだ。
「遅い」
「違う」
「ダメ」
そんな先生の短い言葉で芝居がその都度止まってしまう。再開を促すのは先生が手を叩く音。それが何度も続く。とにかく注意されるのは自分ひとり。一番の若手がミスをして、諸先輩方がそれに何度も付き合わされる、という目も当てられない流れになってしまった。
こんなに連続して先生からダメを出されたのは「初めて」だ。しかも、自分がダメ取りをやってきた経験上、こんな調子で稽古が何度もストップすることが滅多にない事態だと分かっている。そろそろ何とかしなければ、とおチビちゃんも焦り始めた。あの短い先生の言葉からヒントを見つけ出さないと――! そんな時だった。
「聞けてない」
確かにそう言われた。そうか、今の私の動きだと相手のセリフを聞いていないように見えてしまうんだ。だったら、と間を取った。ちゃんと聞いていますよ、という間。でも、それがまた良くなかった。
「それ、嘘の間だ」
目の前が暗くなったりはしないけど、こめかみの辺りがキーンとした。こうなってくると、もうダメ。頭の中がゴチャゴチャにこんがらがっている。これがストレート・プレイの難しさなんだ、と痛感せざるを得ない。
これがミュージカルなら音楽に合わせることで、大きく間を外すことはなくなる。でも音楽がない中で、頼りになるのは自分の間。それが「嘘」だと言われたらどうすればいいのか……。
こういう時、周りの人たちは助けてくれない。それは承知している。稽古ってそういうものだ。でも、だったらどうしよう、ねえ、本当にどうしよう、と悩み続けるうちに、おチビちゃん、変な方向へ感情がひん曲がった。じゃあどうすればいいのよ、とピリピリしてきたのだ。歩き方もドンドンと荒っぽくなる。現代風に言えば「逆ギレ」。諸先輩方も凍りついている。空気は最悪。そのタイミングで先生は「じゃあ、休憩」と呟き、外に出て行ってしまった。
とりあえず休める……。ふと座り込んだおチビちゃんに、諸先輩方が声をかけてくれる。先生が言い放った「聞けてない」とはどういう意味なのか。さっきのピリピリを反省しつつ、ありがたく耳を傾ける。
「だから『聞く』っていうことはね……」
「ほら、相手のセリフを聞きながら、心の中が動いていくじゃない?」
誰もが同じことを言う訳ではないけれど、だからこそよく分かった。とにかく休憩が終わるまでに、先生からダメが出たところをひとつ残らずチェックして、全部直してみた。この辺りは普段のダメ取りの経験が役立ったのかもしれない。無論その直し方が正しいかどうかは判別できないけれど、少なくとも同じことを繰り返さないように気をつけた。
そして稽古再開。完璧ではなかっただろうけど、さっきみたいに酷くもなかったはず。結果、何度も芝居を止められることなく、どうにか無事稽古を終えることができた。
ようやく終わった、と力を抜いたりはできない。今日迷惑をかけてしまった諸先輩方に「すみませんでした」と頭を下げて回る。
「君はすごい女だな。一発で全部直したな」
そう言って下さったのは日下武史さんだ。普段は無口な人の言葉だけに嬉しかった。思わず恐縮してしまう。そこに一言、影万里江さんが付け加えた。
「ただ律儀なだけよ!」
(第17回 了)
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