エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
Bの話じゃ小男の修理屋が若気の至りで社会主義者だか無政府主義者をやっていたことを口にしたことがあったようなそんな口ぶりだっただけのようなということらしい。おそらくは俺たちが彼と親交を結ぶ恩恵にあずかった要因もそこにある。要するに、この気の毒な社会主義者が偉大で善良なフランス政府によって痛めつけられたのに比べたらたくさんの良心的兵役拒否者らが偉大で善良なアメリカ政府によって痛めつけられたのなんかまだマシだなんて誰が思うもんかって話さ、いや――すべての偉大な政府ってやつはその本質において善良なり、その逆もまた真なりなのだから――今や過ぎ去りし戦争前夜、いわば偉(略)で善(略)な国歌が人民ひとりひとりに思考力とは対極にあるものを求めた新局面において思考力に呪われてしまった数知れない人たちのだれに比べたってそうだ。ここで対極にあるものというのは俗に言う妄信のことだけどね。こう云ったからといってアメリカ在郷軍人会員から修理屋あるいはむしろ俺自身が白い眼で見られるようになるといけないので――考えるだに恐ろしいよ――さきに確言させてもらうけど修理屋はすこぶる道徳的な人物だった。たまにぞっとさせられるほどの道徳の士だよ。女囚棟の住人を腐すときなんかとくにね。彼も人間だってことは承知しておいてもらいたいけどね、それによく恋文を引き受けていた――その送り主を気に入っているときはね――文句ひとつ言わずにその送り主の最愛の人のもとに届けていたよ。一見友達想いな行動だろ、でもそれは友達の選んだ女を良く思っているってわけじゃないんだ、それどころか徹頭徹尾道徳的な理由からその友達に面と向かって頑なに口を尖らせてやめておけと反対していたよ。この四十五前後の小男にとって、ベルギーでは身も心も捧げた妻が彼の帰りを待っている(彼が愛し崇拝するこの世の何よりもまして愛し崇拝している奥さんで、奥さんからの夫に対する忠誠と貞節と信頼は手紙の言葉にもこだましていていたよ――俺たち三人以外に誰もいないときにかぎってだけど――小男の修理屋はいつもその手紙を俺たちに読み聞かせようとしてくれたよ、でもかならず泣き崩れて両眼から足の爪先までふるわせて泣きじゃくってしまうから一度だって最初の二文から先を読めたことはないんだ)、そんな小男にとっては女たちに示す反応は尋常であるわけがなかった。それはもう実際どうしようもないことだった。
女たちは、少なくとも彼にとっては二種類、二種類しかなかった。まともな女と娼婦だ。ラ・フェルテにおいては、と彼が教えてくれたんだが――掃除係だったからそういうことを知る必要もあったんだろうね――前者に当てはまるのは三人だけらしい。そのうちのひとりとはよくしゃべるんだ。身の上話をしてくれたよ。彼女はロシア人で、育ちのいい人だ、パリで平和に暮らしていたがそれも反逆罪にあたる文言を含んだ手紙を親類に送ったときまでだった。
『ロシアの雪景色が懐かしい』
手紙はフランス軍の検閲官に読まれた、Bくんの手紙のときのようにね、彼女の逮捕とパリからラ・フェルテまでの移送はあっという間の出来事だった。彼女は知的であるとともに貞淑でふしだらな女囚仲間とは付き合えないんだ、と喜びにぱっと顔を輝かせて修理屋は教えてくれた。あの連中は(今度は小さな額がぎゅっとこわばり太いぼさぼさ眉毛が憤懣やるかたなしと眉間にぶつかった)不埒で猥褻で我が身の性に対して下劣極まる面汚しだ――そしてこの情け容赦ない廉士ヨセフは獰猛に勢い込んで言うには、つい昨日もポテパル夫人の痛々しいほどあからさまな誘いを踵を返して撥ねつけ、天路歴程の善きクリスチャンのように、清き手に箒を硬く握りしめ、誘惑を踏みつけて部屋を出ていってやったんだ。
『若いの』(俺のことだ)『わかるかい』――前歯で親指の爪を噛むおぞましい仕草を添えてね――『それが臭えのなんの!』
(第39回 了)
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