エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
彼は続けた、カミさんになに言われるかね、カミさんの元に戻ったときにあの獣が寄越してきたものを贈り物にあげたら。獣だよ連中は――と小男の修理屋は声を上げた――連中は男が欲しいだけなんだ、誰だって構わねえのよ、男でありさえすれば。だがわしは御免こうむる!――そう言って彼は俺たちにも用心するように忠告した。
特に面白かったのは、と言っても有益って意味ではないけれども、およそ定期的に行われていた女たちの「検査」(これはラ・フェルテに来た初日に俺を「診断」した医者の仕事だった)に関する修理屋の証言だ、福利厚生のためってことだろうな。女たちは、とたびたびこの行事の目撃者となった修理屋曰く、勤務医の医務室の前に並んで笑いながらおしゃべりしあまつさえ――御法度中の御法度――タバコまでふかしているという。『女がひとり入る。女は顎までスカートをたくしあげて長椅子に腰掛ける。医者は女をつくづく眺める。がすぐに「よし。もういいぞ」。女は出ていく。次の女が入る。繰り返しだ。「よし、もういいぞ」……若いの、気をつけなさいよ』
そして彼は着古したズボンの先っぽにかじりついて日々を送るほぼ四角形の黒いブーツで乱暴にマッチを擦った、擦るときには小さな体を前に屈め、そこから暴力的な弧を描いて炎を引き上げる。炎が小さな黒パイプに移る。そして口の中で両頬がくっついちゃうほど吸い込むと、ゆっくりと気持ちがいいとは言えない音が鳴り、頬が膨らみ返すとともに色の醒めたそれなりの煙が一筋細く立ち昇った。――タバコじゃないんだ。なんだと思う? 木片さ。わしはここにこうして腰掛けてパイプで木片をふかしているんだ今頃カミさんは心配で気が気でないだろうにな……「若いの」――と言って顎を突き出し剛毛の眉毛を一本眉にして身を乗り出した『人が飢え死にしようが気にも留めないお偉い紳士がたはどうだ、どいつもこいつもカミサマがいると信じていやがるな。なあ、若いの、あいつらはな』――俺と面を突き合わせて、しなびた片手で弱々しい拳を握りしめ、『あいつらは。どいつも。こいつも。腐れ外道だ!』
修理屋の幽霊のような人形のような萎びた細腕がそんな高みに立つ連中に一発くれてやろうと空を切った。仏政府さん、こんな恐るべき人形をラ・フェルテに入れておくなんて賢い奴のすることじゃないぜ、俺なら彼をベルギーのちっちゃなお人形の奥さんの元に置き去りにしていたよ、俺があんただったらね。だって政府が死体で発見されるときってのはいつもその上に小さな人形が鎮座していて、硬直した心臓の肉にぎっちりと食い込んだ顕微鏡無しには見えない極小のナイフを抜き取ろうと小さなおててでぐいぐい引っ張っているもんだからね。
ある日、一回だけ彼が幸せそうに乃至はやや幸せそうにしているのを見たことがある――ベルギー人のとある男爵夫人がどういうわけかここにやってきたときのことだ、愛想たっぷりに敬意を表し礼儀作法も完璧な憲兵たちにおじぎとごちそうとワインでもてなされていた――「彼女のことはベルギーにいた時分から知っているよ、立派な御夫人だ、権勢もあるし心がお広い。わしは彼女の前に跪いて、カミさんとカミサマに誓って良きに計らってくれるように懇願したんだ。あのお方はそれを気に留めてくださり、ベルギー国王に一筆奏上してくれるとおっしゃっていたからわしはあと数週間で釈放されるんだろう、釈放だ!」
小男の修理屋は、たまたま知り得たことだが、ついにラ・フェルテを出られたそうだ――プレシニェ送りで。
(第40回 了)
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