エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
船長のことは、ある日秀才が俺たちを置いて大部屋を出たときに(どういうわけだかね、自由を謳歌したくなったのかな)荷物番として付き添った囚人たちから聞いたよ、なんでも駅でトランプ卓の大将に百五十フランもってかれたらしい――残念な船長もいたもんだ! お留守の寝床には海老が我がもの顔で寝っ転がる、間髪入れず田舎警官と二枚舌が二人がかりで寝床ごと大部屋中引きずり回せば、全員総出で破れんばかりの大喝采――それはともかくこれからするのは大将がナイフを無くしたある午後の話だ、はじまりはじまり。Bと俺が自分の寝床にうつぶせになって寝転んでいたときだった――さあお立ち会い、大部屋の一番奥で嵐が巻き起こった。振り向くと、目に飛び込んだのは秀才、完全にしかも無駄なく怒りをぶちまけて、わらわらと集まった囚人仲間に見境なく喚くわ怒鳴るわ脅かすわ。激怒するのも無理はないがひとまずなだめ説き伏せ落ち着かせようと肚の据わった野次馬の発した方便は鋭い言葉の鞭を振るってびしばしとはたき落とし、手近の藁布団を掴んで、ひっくり返し、折りたたみナイフであっという間に八つ裂き、滅茶苦茶にして放り捨て、今度は布団の持ち主のみじめでちんけな旅行鞄を慌てながらも慎重に引っ掻き回す。静まりかえっていた。誰も、布団の持ち主ならなおのこと、口がきけなかった。秀才はこの寝床が済むや隣に移って、同じく滅茶苦茶にし、探し尽くすと、次の寝床へ。その一連の挙動は抜かりなく油を差した機械のそれだった。彼は向かいの壁まで突き進みながら、たまたま難を逃れた敷布団一枚以外は残さず手にかけ、藁布団を捨て散らかし、袋も箱もみなひっくり返していく、顔はいつもより若干青ざめていたけど無垢とも無表情とも見えた。俺たちの寝床はどうなっちまうのかとBと俺はちょっとわくわくしながら待っていた。俺たちの寝床まで来ると彼は立ち止まり、ふと思い直すや、意外、藁布団には指一本触れず、ズック袋を開いて中途半端に物色し、「だれかが隠したかもしれねぇから」と言い捨てて、行っちまった。「あいつなに騒いでるんだよ」俺はフリッツに訊いてみた、のんきに傍に突っ立っていた彼の目は、多少の蔑みを含みつつも大いに面白がっていた。「あの馬鹿ナイフを無くしたんだとよ」とフリッツは答えた。一周し終えた秀才は俺たちとフリッツを除くほぼ全員の持ち物検査まで行い、やがて自分の藁布団にどっかりと腰を下ろすも黙っちゃいられない「見つけたら」たたじゃおかねえってね。でも見つかりゃしなかった。あのナイフは「見事なもんさ」、と風呂屋のジョン。「どんなやつ?」俺も興味を掻き立てられて訊き返す。「柄に裸のねーちゃんがついててな」とフリッツ、その目は面白がってぎらぎらしていた。
秀才がナイフを無くしたんだからそりゃあお気の毒様だというのが皆の総意だった、その後は皆おそるおそる秩序を取り戻して持ち物の整頓を始めたが一言も口はきかなかった。
ところで青灰色のフランス軍服を被った小男の様子は見物だったよ、あいつ――捜査が自分の藁布団に及びそうになると――矢庭にBに駆け寄ってきて(汗っかきの額にいつも以上に冷や汗垂らして、軍帽も正気とは思えない角度を呈していた)長いこと行方不明だったドイツ製の銀の折りたたみみ式キャンプナイフを慌ててBに突き返したんだ、Bが第二十一隊のある同僚から買い取ったものなんだけど俺たち間じゃ「アルジー卿」で通っていた奴でさ――ひょろひょろで、なよなよしてて、弱っちい、そんな非の打ちどころのないゆくゆくは士官様となる生き物なんだが気難し屋なところにでぶ顎のA氏がたゆみなく媚びへつらっていてね、まあ間違いなく、金銭的な目論みあってのことなんだが――そのナイフはわなわな震えて痛ましいったらないガリバルディに言わせればちょうどその日中庭で自分によって「発見せられた」んだとさ、そりゃまた何にもまして奇妙奇天烈な話だ、このお宝は数週間前に無くしたはずなんだからな。
これでやっとまた船長に話がつながるんだ、彼の苦心の作の寝床についてはもう話したね――彼はオランダ人で最も腕っ節が強くて誰よりも優しく滅法愉快な連中の一人だった、午下りにはよく庭の小屋の給水車に腰掛けて静かにパイプを燻らせていたよ。骨太でぱんぱんに張ったがたいを、ごわごわのズボンとジャージー生地のセーターに突っ込んで、極めつけは情が深くて芯の通った超自然的な創造の賜物だと一目で察する褐色の男ぶりだ。声も朗らかに通る声だった。そしてちっとも気取ったところがない。息子が三人いた。ある夜憲兵が大挙して家に押しかけてきてお前を逮捕すると言う、「だから三人の息子たちと力を合わせて一人残らず窓から運河へ放り投げてやったんだ」
にかっと笑った顔が今でも目に浮かぶよ、ほっぺたの角ばった優しさと、涼しげな楔のような目と――彼の心は常に海と在ったんだ。
(第37回 了)
縦書きでもお読みいただけます。左のボタンをクリックしてファイルを表示させてください。
* 『伽藍』は毎月17日に更新されます。
■ e・e・カミングズの本 ■
■ 金魚屋の本 ■