エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
彼の英語の発音は見事だった。故郷の言葉も、例のオランダ人たちと同じ言語なんだが、はきはきと落ち着いてしゃべる。のべつまくなし畜生奴ったりしない。オランダ語と英語にくわえてフランス語もきれいだしベルギー語も鮮やかだった。全部で六言語くらいできたんじゃないかな。どんな状況に陥ってもそこで途方に暮れる恐れのない人だ、というのが彼から受けた印象だ。絶対絶命の難局であっても切り抜けられる人だ、それも余裕綽綽で。機が熟すの待っている、そしてこの現状をもむだにせず、ひとりまたひとりと、羽振りのいい囚友から銀行券をはいでいく。彼は、マジな話、俺がこの目で見た最高にいかした博奕打ちだよ。なにがあろうと動じやしない。仮に今夜二百フラン負けたって、明日には行って来いどころか五十は勝つって人さ。相手は選ばない――まぬけ、策士、見栄っ張り、小心者、やけっぱちに自暴自棄だれでもござれ。情け知らずのうえ、怖いもの知らずだった。俺のたくさんある手帳のひとつから一字一句完全にこのままの一節をお見せしよう。
トランプの席:四者睨む銀行の場には巻きタバコ二本(一つはしけもく)キセル一本ぶつかりそうな顔を引っ張る瓶刺し蝋燭の痩せぼそり(Xの聖誕)そこに座したる秀才の積み上げ、歌うは(毎朝)「こん夜…」
この打電術の見本みたいな文をね、解読にかけると、どうなるか。二枚舌、ガリバルディ、オランダ船長(読者諸賢がこの人に出会うのはもうちょい先だ)――ガリバルディのタバコはもう火が消えている、それくらい夢中で喫んでたんだろう――の三人が銀行に興じていてぎゅうぎゅう詰めで熱中している同席の四人というのは校長先生、オーギュストさん、床屋、お前氏あたりと思うけどちがうかもしれない、銀行屋は(大体いつも)秀才だ。ふくぶくしいとは言いにくい発光によって多彩な人相を引っ張り上げて一様に凶悪な面貌を照らし出す蝋燭が瓶の口に突き刺してある。場の明暗と、人物の周期的な配置とが、古の巨匠の誰かが手掛けたキリスト聖誕の画を連想させる感覚的統合を生み出している。秀才は、朝課の鼻唄をひとくさりやると、息を殺して押し黙る。銀行屋が勝ち、賭け金を積み上げる――種銭のおかげでどんな手でも大勝負にできるからさらに積む。彼の淡白かつ終始落ち着いた鎮座の締めくくりに必要なのは賭け金回収の熊手だけ。天性の賭博師、それが秀才だった――まぁ戦時中にトランプなんて凶悪犯罪に問われてもしかたないし、彼がラ・フェルテに来る前にトランプに手を染めたのは確かだろうな、それどころか、戦時中にトランプで勝つなんて言語道断の犯行なんだ、一度でも勝っちゃったってことになるとね――どうして秀才が俺たちの仲間入りを果たしたのかの適切かつ妥当な説明はこれで申し分なしだろう。秀才の一番の敵は二枚舌だった。いつの夕べか二枚舌が垂れた冷や汗を拭ったそばから冷や汗かいて負けに負けてしまいにゃすっからかんにされてたけどあれはまったく痛快だったよ。
(第36回 了)
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