エズラ・パウンド、T・S・エリオット、アーネスト・ヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルドらと並ぶロスト・ジェネレーションを代表する作家、e.e.カミングス。優しくて人嫌いで、前衛作家で古典作家でもあったカミングスの処女作の星隆弘による新訳!。
by 星隆弘
第五章 大部屋の面々
立身で思い出すといえば俺たちのようなちんけな輩にも溢れ出る機知と雅やかさの彩りを添えてくれた爽やかな男のことだ。俺とBの間では、事細かに述べるわけにはいかないけれどもあらましぐらいならやぶさかでないちょっとした騒ぎ以来、掃除係のお前さんというじつにしっくりくる愛称で呼んでいた。その騒ぎがあったのは俺が入所してからほんの数日後のことだった。どうやら(俺はそのとき例の中庭に出て午後の散歩中だった)大部屋のなかでもとりわけ男くさい住人たちが、その中にはもちろんハリィとポンポンもいたんだが、散歩に出ずに部屋に閉じこもっていたらしいんだ。まあこれが三人よりは下らない女囚たち――セリーナちゃんにリリーちゃんにルネちゃんに――とのいじらしい約束事の実行だったわけだ、彼女たちもまた散歩を遠慮して、どうにかして午後のうちに二階の女囚部屋を抜け出して、廊下を走り抜けて階段を駆け上がり、しっかりと施錠された大部屋の扉がぽつねんと居座る踊り場まで辿り着いた。この小喜劇の第二幕は(いや悲劇か、演者たちにとってはそうだよな、懲罰房行きのうえにおかず抜き――男も女もわけへだてなし――が何日続いたかしれないもの)題して「愛の抜け道」ってところだ。いったいどうして扉が開いたのか、鍵がこじ開けられたのか等々、部屋の中にてその侵入の心得を垣間見ただけの者には(当然ながら)ちんぷんかんぷんだろう。なにはともあれ事は為された、それも一秒の五分の一をいくつか数える間に。さあここらで幕を下ろし、読者様にはありとあらゆる一級品のお芝居を締めくくっております意味深長なる「防火幕」の一語をお贈りしご満足いただきとうございます。
監督官は、おそらく、掃除係を信用していなかったんじゃないかな。掃除係がしょっちゅう入れ替わっていたのも掃除係が(看守と対比すると慚愧に堪えないが)決まって人間様だったからだろう。嘆かわしきこの由により掃除係は男囚と女囚の間を行き来する手紙の運び屋となるほかなかった。そのような次第で当時の掃除係が――がたいがよくて目つきの鋭いきびきびした男で、ユーモアも見識も持ち合わせていて男女のことでもその他の物事でも一般論から個々の事情にまで目端が利くやつだった――散歩の時間後の大部屋にて監督官Mが開廷した即席裁判の証言台に召喚された。特定の事案に対してどのような類の告訴が行われるかという事情に詳しく立ち入ることは慎むが、時なれば雄弁家デモステネスかくありきとまで評判されたであろう一大演説の締め括りだけは引用させてもらおう。
『掃除係のお前までグルだったわけだな!』
被告人はやんわりと監督官Mの結論に意義を唱えたが、傍聴席の面々はこみ上げてくる多少残忍な笑いをぶちまけて転げまわっていた。この名言を吐いたあとのあれほどまでにご満悦そうな監督官はまず見たことがないな。彼の上官こと、鬼の所長への遠慮が働いたおかげで、結局のところ(ヨーロッパ人的見地からいえば)本質的に人道的所業であるところのこの一件に関わった者全員をまるごと放免するまでには至らなかった。お前(メーム)殿に関しては誰からも証言がなかったので、土牢入りは免れた、が掃除夫の職からは解任された――むしろこっちのほうが辛かっただろうよ、絶対、彼の身になってみればさ――その日以来彼は他のみんなとおんなじ大部屋のいち住民に成り下がったんだ。
(第34回 了)
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