〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
2. (モンゴル)×(ベネズエラ)×(韓国)=?
アンヘラの足はしびれた。アンヘラは電流の通った床に足を乗せたように、太陽の熱で砂粒の動きそうな浜へ踏み出すと、思わず爪先立ったり、その一歩を引いたりする。アンヘラは素足だ。僕が注意したのにもかかわらず、道中でサンダルを脱いだ。そこは夏のベネズエラのビーチだった。せっかく夏だというのに、まだ僕たちは砂浜に足跡を付けてはいなかった。僕たちは、1から3の旅の過程で、いつ海辺に出くわすかと胸を高鳴らせながら、ここまできた。さすがに一発目、1の国からビーチは登場しなかった。少なくとも、手足をその冷たい水に浸せる海は。遠くにはいくつも眺めた。ケニアの草原の只中に立ち現れたメキシコ湾、神秘的な光を放つベーリング海、水たまりのような地中海の湖。上からボートには乗ったけれど、国立公園ということで遊泳は禁止されていた。スペインはバカンスの地でもあるのだから、期待していたのだけど。アメリカにはマイアミビーチ、西海岸のビーチ、サンディエゴにはコロナドビーチ、キー・ウエスト…。ニューヨークにだってビーチはあるし…確かコニーアイランドだっけ?、1で出くわす確率は高いと思った。でも、これらのビーチはきっと人でいっぱい。アメリカンギャルやスペインギャルの多い、騒音ビーチが当たらずに、僕らは運が良かったのかもしれない。なんといっても、今ではこんなにも美しく穏やかな入江のビーチが僕たちのものだけになっているんだから! 身体をきれいに見せるラインに注意を払った、マドリードの空港で新調したZaraの水着をスーツケースの内側にある網ポケットの中、ビニールポーチに未だに入れたままだった。最後に見た時、ポーチには一匹の虫が紛れ込み、中で窒息死していた。
1の国では内陸をひたすら横断してきて、地中海はほてった水溜まりとして点々と立ち現れるばかり。顔を映して水の色を確かめて遠い本物に想いを馳せるしか仕方なかった。
今アンヘラは、オレンジ色に塗った足の指先をぐっと締め、貝の細かく砕かれた白砂の感触を確かめていた。僕はしゃがんで砂に手を通し、一瞬、波を見つめまた視線を戻すと、砂を手の甲に乗せながら手を引いた。30センチほどの位置まで持ち上げて、手の裏を翻し、砂を掴んだ。175センチほどある彼女の頭まで腕を上げると、彼女のなびく髪と同じ方向へ流れていくように風向きを見て砂を放とうとした。細く流した蛇口の水のよう、砂が少しずつうねりながら縦に連なるように砂を落としていった。日本画の繊細な筆で、彼女の髪の毛を描いているつもりだった。エメラルドグリーン色の空を背景に。そう、ここは浜辺であるのに、空が近く乾燥している。おそらくモンゴル由来のもので、高原の空なのかもしれない。空気は、湿っているのに薄いから。「ほら、見て」一本の砂の滝は、右に揺れ、左に逸れた。風が、西から吹き、今、東から大きく空気が流れ込む。彼女が、僕の左隣で、大きく一回転したからだ。トルコの旋回舞踊の衣装のような、スカート型に広がった袖のついたロングワンピースの裾を駒みたいに回す。スカートの布地が厚かったのか、砂には渦が描かれた。僕の手の残り砂が魔法の粉、料理の最後の味付けのように彼女のスカートの上へまぶされると、最後の一掻きだといわんばかりに力強く空気を押し回す。(スピードは最高潮になる、彼女が今まさに元の国々を混ぜている。彼女の旋回を見ていると、僕の思考も収縮しては、解放されるように広がる。)力尽きてきて、遊園地の入場口のような重い鉄の格子を押して回転さすことができずに後ろに跳ね返されて、ガクンと音がなったかと思うほどに機械的に崩れた。胸下から八段階に膨らんだ白いワンピース(彼女の言うにはH&Mのサマーセールで7ユーロで彼女のものになった)が埃で瞬時に色褪せた。笑って砂を叩くと、湿っていて簡単に落とせない塊があった。「ねぇ、水に入ってみる?」
もう一度砂を掴んだ。昔から、一番海らしさを感じるのは、水に入る時よりも、砂を触って独特の湿り気を感じる時だった。空に手を広げ、高原の風が海辺の砂をはたくのを待つ。やっぱり握る。手の平にはこぶしの10分の1ほどの砂が残る。残りの砂を、手を合わせて叩き払い落とす代わりに、アンヘラの首元から背中まで大きく擦って、クリーム色の跡を付け、彼女の肌をサラサラにした。乳白色の貝が砕かれ粒子となって混ざり込むこの砂は、周りの彼女の肌の白さをよりいっそう際立たせた。僕の肌に擦り付けると、そこだけ日焼けした皮が捲れたかのように、白いアザを作ってみせるのに。彼女は砂など気にしないように、僕の顔を見た。僕も顔を彼女に当てた。彼女は、眩しそうに、嬉しさを、僕とは反対向きに、僕の右横から流れてくる風に沿って、後ろに流しているみたいだ。彼女は、風に沿ってなびく髪の毛のように、胸から出した歓びを、意志で引導しようとはせずに、心から流すままにしていた。喜びを、顔全体に集めることもしない。ただ、喜びを感じていて、それが彼女の腰まである毛のように肌に触れたり、またいくらかが風に吹かれて離れたり、またざっと戻り肌に触れる(行きつ戻りつする)のをただ心地良く感じている。目は細まり、閉めた口をなだらかに引き上げて、いかにも心地良いという雰囲気で、僕の方を見つめている。僕もすっかり同じ気分で、彼女と同じようにそっと喜びを受け入れ、風に乗ってやってくるカーテンのように、僕の肌に触れ、離れ、触れ、離れを繰り返す嬉しさを、興奮せずにただゆっくりと感じていた。
この日、昼過ぎから宿泊先のコテージを出て、用意されたプライベートビーチで水浴びをしていた。僕らの名前のイニシャルが、上空から見ても大きく分かりやすいように『A&A』と砂浜に描かれている。ビーチに着くと、描くのに使われたのか、先の尖ったつるつるとした表面の流木が一本、宿泊施設へと続く小道の入り口に、ヨウコソというアクセントのように、一端を砂に埋められ立てられていた。まるでこの一本を左手に握って槍のように立てている原住民が隣に佇んでいるように、しっかりと力の入ったまま垂直に。実際にこの、青黒い島の森の木は、誰か、何者かの影を後ろに庇うようでもある。波もどことなくざわついていた。そこは僕らのために用意された宿泊施設から、20歩ほど木々の間に出来た土の小道を辿って行ったところにあった。小道の上では彼女の足音が、タカタカとリズムよく、タップダンスのかかとの音を高鳴らし、僕のサンダルの行く後に続いた。彼女の大きすぎるサンダルが、かかとに反動の平手打ちを返す音だった。僕はもたもた、ぽとぽとと足音を垂らしていく。僕たちは施設の中にあったウェルカムボードに止めてあった地図を参考にしてここまで辿りついた。朝食も、冷蔵庫の中に用意されていて、流木で作られた、テーブルの上には、フルーツかごと、ピクニックかごがある。他にも、居間には黒皮のソファがあった。前日は到着して、その上に身を投げたら…夜の海に落ちたと思うほど、ひんやりとしていて気持ち良かった…! 用意されていた、かごの中のフルーツを食べ、夜ご飯も食べずに寝てしまった。2の現地時間で夜の8時。
朝6時に目覚めると、鳥が鳴いていた。しかし、それは街中にいるスズメとかカラスとか、そんな鳥の鳴き声だった。熱帯の美しい鳥を想像できなかった。馬の足音も、どこからか木霊のように、昨日の記憶が近づいてはふと消えるように、遠くの方で鳴っている。ピシッ、パシッという枝が折られる音かと思えば、ピチ、パチという鞭の音に聞こえる。その音は、ミロの抽象画の丸三角四角のように線の形を次々と変えて、詩的な余韻を残していくものだった。アンヘラも目を開けた。おはよう、と言わずに、僕を認めると、目に力を入れてはにかんだ。お互いに半回転し、顔を眺めあった。彼女の顔を、出会ってから初めて明りの下で見たような感じがした。天井では、宇宙が回転していることを知らせる夢を誘う壮大なプロペラが、大きく、ゆっくりと回転していた。部屋中の電化製品は全てサムソン製で、枕元にある背部分に嵌められている操作画面で全て管理できるようになっている。ベッドの側面は重厚な、旧植民地風のデザインが施されたマホガニー製のものであるのに、背部分は都会のビジネスホテル風、イケア風、木目がプリントされたシートの貼ってあるプラスチック板だった。ベッドを見るだけで植民地時代から現代へジャンプした気分になる。しかし天蓋が付いているのは嬉しかった。少し寒かったので、エアコンを切った。ちょうどよくなった室温の下で、僕たちは2時間、2日分の愛を確かめあった。
午前中、ずっとアンヘラが何で僕に惹かれたのか教えてくれた。どうやら僕は彼女の父親に似ているらしい。そして元彼にも似ているらしい。初恋の人にも似ているらしい。今まで出会ってきた大切な人全員に似ているらしい。そんな話だった。
飛行機が降りたのは、ベネズエラの小さな孤島だったのだ。ここはしばらく前まで無人島であったが、近年観光客の増加に沿って原住民の家屋を模したリゾート施設、インディアンの気分になれると売りの、自然の中に点在する宿泊施設らしい。施設からは徒歩で5分かからないところにプライベートビーチが整備されていた。というようなことがウェルカムボードに立てかけられていたコテージの宿泊案内のパンフレットに書かれてあった。コテージの外観も類稀なるものだった。昨晩は暗くて気づかなかったのだが、一般的なログコテージだと思っていたものは、外から見ると韓国のハノクと呼ばれる伝統家屋だ。傍には六角形型の茶屋もある。全て木材で造られており、茶屋の形に沿って六つのベンチが設置されていたが、ちょうど中央に、ハンモックがかけられていた。コテージ屋根と同じ、レタスグリーンで塗られていた。茶屋の天井は、空が眺められるように、ちょうどハンモックの上の部分、中央部に六角形のスペースが開けられている。アンヘラはハンモックに登り、茶屋の天井からかわいい頭を突きだした。オレンジ色の髪の毛が、光を運ぶ滑り台のように、光を受け、風になびき、斜めに降りていた。外側から眺めれば、この小屋をヤドカリの殻のように持つアンヘラがいたに違いない。
「どう?何か見える?」
「ちょっと待って、危ない! あ、もう大丈夫♪そのまま抑えてて、アルツール」僕は網が揺れないように、彼女の両足を両手で、ハンモックの上で垂直に保たせるために握っている。彼女がそれをよく確認できるように、もう一度、少し力を込めた。
「あ、見えるわ!」
「何が見えるの?」
「島の形が分かる。
あのね、草原よ、草原よ。馬が走っているわ。この島のね、周りは青い、青い海よ。私たちが一昨日見た地中海の生々しい青ではなくって、透明に、緑がかったブルー。この茶屋の屋根と、同じ系統の緑。だけどその向こうは草原よ! 海の向こうに陸がある。韓服を着て、白い馬を走らせている男の人が見えるわ」
(第13回 了)
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