ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第19章 イノシシとの出会いや、そのほかにもいろいろなことがおこる
ひるとよるがときにはじゅんばんに、ときには同時にいなづまとなって、銀狐のひとみにひかってうつりました。手のほねは石のようで、きんにくは木のようでしたが、にがい味のする血だけは、きばの刃のさきでうねうねと動きつづけていました。血のしずくは雪のひとひらのようにいってきずつ地上におちて、血がおちた場所にはつぎつぎと、ヒナゲシが咲きました。そのためさいごのせんいがちぎれるまえに、銀狐のしたに、あかくてちゅうしんの暗い花のじゅうたんができあがりました。花のてっぺんにはふれず、銀狐はその上に浮いていました。いたみとくるしみで、からだがかるくなっていたのです。ようやくわなの歯がからっぽな音をたて、いのちのない手さきがゆびわのとなりにおちたとき、かげよりもうすくなっていた銀狐が足をひきずってその場をさってゆき、ヒナゲシがゆるぎのない友のようにその後をついてゆきました。その瞬間、クモのあみがとけ、とりこになっていた子どもたちがかいほうされ、地上におちました。
なにがあったかをかんがえるまえに、少女はすぐさまいっぽんのスミレのねもとにおおごえでさけびました。
「ハリネズミ! ハリネズミよ!」
「ここだよ! ここ!」元気なこえが聞こえ、はりのよろいを着た生きものが、けむりのような草の刃ものを手にもって、とくいまんめんのえがおを見せてあらわれました。
「ずいぶんおそいよ!」クモが上からさけびました。「銀狐がじぶんの手さきをかじってわなからにげたんだ! それでぼくのあみが、まるでなかったようにやぶれたとさ!」クモのこえには、いかりとおどろきがまじっていました。
「ああよかった、よかった!」ハリネズミがうれしそうに、草のなかをころがりながら言いました。
「銀狐はじゆうだよ!」少女は王子たちをだきしめました。
「さっきまでわたしたちをくるしめていたいたみがなくなった」イルはおどろいていました。
アイレの目にはかなしみがやどっていました。
「だけど手さきをかじってしまったんだよね! きっといたいだろう。くるしんでいるよ! いっぽいっぽ、どれほどいたむことだろう」
王子たちの左右で、子馬たちがかなしみをきょうゆうするように、たてがみをゆらしました。
「行こう!」ハリネズミが呼びかけて、けものの草をはたのようにふりました。
上のほうで、クモは夜のとばりをふるわせるものたちのけはいを感じました。
「コウモリめ! 早く! 早くゴン・ドラゴンにほうこくしにいきな! クモのしごとがむだになったってな。まる一日、笑いものにされるだろうね」
おなかがすいていて、そのうえあみをやぶられてしまい、今やどうくつの中の笑いものになっていましたから、クモはもうたえられませんでした。どうにかしてきもちをすっきりさせたくなりました。そこで子どもたちにむかってさけびました。
「銀狐に会いたいなら、まよわずあかいヒナゲシのあとをつけてゆけばいいよ!」
それからコウモリたちの暗いにぎわいにむかって、おびやかすようにかぎづめをふりまわしながら言いました。
「これもほうこくしな! まわしものめ!」
「クモのことばを信じるにしても、信じないにしても、そろそろ行かなくちゃ」ハリネズミはそう言って小さく笑いました。
「いっしょにくるの?」少女がよろんで言いました。
「それはもちろんよ! というか、さいしょからそうすればよかったんだけど」ハリネズミはかるくはんせいしましたが、まだほほえんでいました。
そのほほえみは、しばらく歩いてから、とつぜん聞こえてきたかみなりのような音に足をとめられてからも、続いていました。まるであらしに打たれた山が彼らにむかってくずれてくるようで、その音でまわりの音すべてが聞こえなくなりました。アイレとイルは、少女とハリネズミのほうを不安そうに見つめました。
「これはなんだろう?」
「さあ」少女はみみをすまし、そのかみなりがどこから聞こえてくるのかをさぐろうとしました。
「みみを手でおおってね。そうしないと、何も聞こえなくなるよ」ハリネズミが子どもたちにちゅういしました。「そして、ぼくのあとを歩いてね」
子どもたちはそのとおりにしましたが、音のひびきに打ちかえされるようで、前にすすむのがたいへんでした。ようやく林の中のあきちにたどりつきました。そこになんせいきもの時間にはぐくまれたきょだいなカシの木が立っていて、そのみきにきばをつきさしたイノシシが、ぬけなくなってもがいていました。あまりのくるしさときんちょうで、イノシシのからだからあついけむりがあがっていました。その目から血のように赤い矢をはなっているように見えました。子どもたちに気づくとおおきななきごえをあげましたが、少女がくちびるにゆびをあてるのを見るとしずかになり、ひづめで土を打ちつづけました。
「くるしそうね」アイレが言いました。
「いや! ちがうでしょ!」ハリネズミがひていしました。「イノシシはくるしむことはないよ、ただいかるんだよ」
「それはそうだ」にぶいなきごえを出しながら、イノシシがうなずきました。彼のまわりのけむりがさらにあつくなりました。
「だれがあなたにこんなことをしたの? ゴン・ドラゴン?」ようじんぶかく少女がたずねました。
イノシシは、ほこりたかい刃のようなひとみを少女にむけました。
「いや、それはボズガのしわざでしょ?」ハリネズミがにがわらいしました。
てつのきばをもつイノシシの目から、血のなみだがあふれそうになりました。
「うわぁ~」とにぶいこえでさけびました。
「ね、ハリネズミ、けものの草は彼をたすけられないの?」アイレが考えていたことをくちにしました。
「あ、そうだ、忘れてた」ハリネズミがまた小さく笑いました。
そしてまるくなって、あついけむりの中に入ろうとしましたが、すぐにうしろにころがってしまいました。イノシシのきばがささっているばしょまで、のぼれないのです。
少女はけものの草を手にとり、じっと見つめてから王子たちにわたしました。二人は手をつなぎ、刃も火もおそれずに地上からうきあがり、けものの草のはじっこをイノシシのきばにあてました。つぎのしゅんかん、少しだけきばがみじかくなったイノシシは自由になり、ほっといきをつきました。そしてつよく、ほこり高い生きものだけが見せられるかんしゃを目にこめて、子どもたちを見ました。
「何があったか、おしえてくれない?」ハリネズミがこごえできいてみました。
目からあふれそうになっていた血のなみだがひいて、からだのまわりのけむりもうすくなっていたイノシシは、いっしゅんとまどいました。しかしつらい思いでがよみがえり、暗いひとみを空にむけて、もういちどおおきくないてから、ゆっくり森のなかへきえてゆきました。
「ヒヒヒ!」ハリネズミがうれしそうに笑いました。
みんなは道にもどって歩きつづけました。しばらくはだれもなにも言わずにすすみました。そしてとつぜん、いっしゅん夕日のひかりを見たかと思いきや、血の花のほのおがみんなの目に入りました。
第20章 ゴン・ドラゴンはキツツキを呼びだす
コウモリはためいきをつきました。彼がやすみたいときにかぎって、ゴン・ドラゴンはおしゃべりをしたがったり、めいれいをだしたりするのです。ちょうど今だって、たおれそうなくらいねむいのに、遠くへかんさつしに行ったゴン・ドラゴンの目のほのおが、そのけむりのようなからだにもどったので、主が何かをきめるのを待たなければならないのです。どうくつの中では火のかげが飛び、かわいたくうきのせいでクモのすに火がついて、ただでさえ暑さでへばっていた、どくへびたちのあたまのうえに落ちました。しばらくしてコウモリのねむけがさめたころ、まわりのほのおがふたすじにまとまって、ゴン・ドラゴンのひとみの中にあつまりました。もえるような闇の目で、ふろうふしの重さにたえながら、彼はせかいを見つめていました。
「そうか、銀狐がじぶんの手さきをかじったんだな! なげきもせずに!」彼はかんがえこんでぼそぼそと言いました。それからまんぞくそうにひとり言をつづけました。「そのきずついたからだで、今はじゆうに前にすすんでいるのだな」
ゴン・ドラゴンが小さく笑うと、どこかの丘の上の土がはがれて、草と花をのせたまま丘のふもとに落ちました。まるで狩られたどうぶつのけがわが、きれいにはぎとられたようでした。
百年にいっかいでも銀狐のようなものがあらわれてくれなければ、えいえんはどれだけたいくつだろう、とゴン・ドラゴンは思いました。しかし王子たちは? ははおやのがんこさをうけついでいるのかな? そしてあの少女。あのこうきしんにみちた、いやになるくらいやさしいあの人間の子どもは、どのくらいたえられるのだろう? ゴン・ドラゴンのけむりのような顔には、暗いしわがきざまれました。最後まで見るかいがある、と彼は思いました。
「キツツキを呼んでこい!」コウモリにむかってどなりました。ずっとめいれいをまっていたのに、コウモリはビクッとおどろきました。ゴン・ドラゴンのほほえみで上からねばっこいクモのすが落ちました。つばさからそれをとりのぞくのにてまどって、コウモリのしゅっぱつはずいぶんおそくなってしまいました。ゴン・ドラゴンの目のほのおは、たんきにもえていました。コウモリはあわててどうくつから飛びだしたのでした。
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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