ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第18章 水晶のタワーの近くにて、ヴズとそのほかの生きものたちと
水晶のタワーのいただきで、銀狐のしんぞうは火のようにかがやいていました。その光にてらされて、タワーのふもとはつねに春でした。草はいつもあざやかなみどりいろで、スノードロップ、コリダリスやスミレは枯れることなく、花のかおりがあたりいちめんにただよっていました。この場所は、ひるまはやさしい日ざしに包まれていましたし、夜は月のあかりであたたかくてらされていました。ながい旅でつかれた鳥たちや、あらしにきずつけられたチョウたち、それに光が少なくなったホタルたちなどがここにたどりつき、元気をとりもどしてふたたびはばたくのでした。ゆめみながらここでながく暮らしていたヴズは、ずっと美しいままいられたのです。しかし今タワーのひかりのそとに出たヴズは、森のかげをはなでさぐっていました。
森にかくれながら、みどりいろのカエルとエスメラルダがタワーの近くにきていました。ふたりはもみの木と野はらのさかいめのところで足をとめて、タワーのてっぺんを見あげました。銀狐のしんぞうのひかりを見て、ふたりはほっとしたいきをつきました。そのあとふたりはヴズに気づき、タワーにむかうのをやめ、ようじんぶかくいっぽんのキノコの下に身をひそめました。
「どう? 少女からなにかメッセージ、とどいた?」カエルがエスメラルダにききました。
「いや」ためいきをつきながらトカゲがこたえました。「でもなにかしらのメッセージはあったはずだよ。きっとなにかあったと思うよ。でもなんなのかわからない」
「いっぴきのチョウにきいた話だけど、きのうの夜、ヴズはデデムシカタツムリが彼にむかしプレゼントした、アンブロシアの一つぶを飲んだそうだよ。わかがえろうと思ってるみたいだね」
ふたりはヴズに目をむけました。オオカミの毛はもうはいいろになっていて、くびもとはしわだらけ。きばもすでにきいろくなりかけていました。
「まあね、こどくのなかであれる天気にたちむかって、一つのしんぞうの火をまもりながらただ待つのは、大変だからね」エスメラルダがものおもわしげに言いました。
「でもさ、ヴズはふつうのいきものじゃないよ!」そうは言いましたがカエルの声はしずんでいました。本当はエスメラルダと同じように感じていたのですが、少しばかりていこうしようとしたのです。「しかし、いったいなにがおこっているんだろう」
ふたりのあたまの上にひろがっていたキノコのぼうしが、なぜかそわそわしはじめました。
「いたっ!」
カエルのあたまのうえに、もみの木のはりが落ちてきました。
「なんか、さむい!」エスメラルダが言いました。
ふたりのまわりにおもい匂いがただよいはじめ、草がとつぜん枯れて、なにかにあっとうされるように土のうえにたおれてしまいました。それを見つめていたふたりは、ラヴリとティーネスがここまで来て、近くにかくれていたことに気づきませんでした。
「なんでぼくをここまで連れてきたんだよ」ティーネスがなきそうな声でぶつぶつ言いました。「しぬほどはらがへったのに、まわりにはかじるもの、ないじゃないか! それに、あんたのブーンっていう音がうるさいんだよ!」
「わたし、歌がじょうずよ!」ラヴリがはんぱつしました。
「はいはい、きみは歌ひめで、ボズガは世界でいちばんかしこくて、せいじつで美しいいきものなんだろ。だけどぼくは、ひつじの毛の糸いっぽんすら手にはいらない…」
「でも、銀狐が死んだら?」
ハエにまでバカだと思われているのに気がついて、ガのティーネスはふきげんそうにだまりこみました。だけどどうなるかわからないけど、もし銀狐が死んでしまったら、まあ、あのけがわで、冬はまいにちたいしたごちそうじゃないか! そうぞうしただけで、ガはおおよろこびでした。
「ね、かんじる?」ラヴリはつよい匂いをはこんできた風にのって、はねをはばたかせました。
「かんじる」ティーネスのよろこびはふきとんでしまいました。「あいつに会いたかったんでしょ?」
「ほんとうに会いたかったんだよ」いそいでハエがうなづきました。「それより、ボズガがヴズについて話してくれたことが、本当かどうか知りたいんだ」
「さあね」ティーネスがあいまいに答えました。「だけどこのブーンっていう音、やめてくれない? だれかにきかれてしまったらどうするの?」
「ブーンじゃなくて、歌だよ! 歌!」ラヴリはなかまのことばにイライラしましたが、すなおにしずかにして、ボズガの匂いがどんどんつよくなるのを感じとろうとしました。
キノコのぼうしの下で、みどりいろのカエルとエスメラルダはいい香りをするバジルの花にはなをつっこんで、近づいてくるあくしゅうの風から自分たちをまもろうとしていました。しかし目のまえで起きていることはよく見えたし、よく聞こえました。それはのはらをはしってくるひづめのおもい音、しんぞうの光から、さらにもういっぽはなれてしまったヴズのうごき、そして彼がボズガの匂いのほうへ、楽しげな目をむけていることなど。しばらくして、ねこなで声のなきごえが聞こえました。
「ヴズさま!」
そしてボズガのはなを見た、オオカミのしずんだ声。
「小鼻ちゃん、よく来たね!」
「ほら、言ったでしょ? 言ったよね!」ティーネスのとまどったようすに、ラヴリはおおよろこびでした。
「信じられない! そんな!」カエルがさわぎたてて、エスメラルダの目をさらにくもらせました。
「あなたのような、力づよくりっぱな生きものがいるのは、しあわせなことです!」ボズガはヴズに、あこがれとかんしゃにあふれた目をむけて言いました。「ずっとあなたをさがしていました。雨をふらせる主よ」
「いや、この言葉はきっと耳にここちいいね」ハエがつまらなさそうに言いました。
「…わたしの夢のオオカミよ!」
「いや、これこそまちがいない言葉だね」ティーネスもかんしんして、いっしゅんおなかがすいているのを忘れました。
「あなたは世界でいちばん美しい! いちばんあたまがいい! いちばん…」
「そちらこそ」ヴズがおうようにうなづきました。
「それはそうだ」がっかりして、枯れはのくきをかみながらガがつぶやきました。 「さいのうあふれる、かしこい生きものなら、彼のりっぱさとけんめいさに気づくはずというわけよね」
「銀狐は、どうでもいいでしょ」ボズガが歯を見せてつけくわえました。
「それはあなたに関係ない!」ヴズがおこってどなりました。
「もちろんもちろん!」ボズガはすぐにオオカミのきげんをとろうとしました。
「ああ、今のはあぶなかったね」むっつりとコメントして、ガは枯れはのくきをはきだしました。たいしておいしくなかったようです。
「きっとさいごまでいくよ」ラヴリが羽をはばたかせて、チリをおとしました。
ボズガはためらうことなくしつこく言いつづけました。
「時間にまけないあなたの若いちからで、タワーのてっぺんまで飛ぶだけですよ」
オオカミのきいろい目はうれしそうにかがやいていました。ほんとうは、けがわがうすくなりかけていたし、うごきもすこしにぶくなっていましたが、目の前にいるこのデリケートな生きもののボズガは、いちばんだいじなことを見きわめようとしていたのです。
「なんてみじめな光景なんでしょう!」エスメラルダはぞっとして言いました。
「わたしたちに何ができるだろう?」みどりいろのカエルは心配そうに手をもみ合わせています。「銀狐はどこにいるかわからないし、少女と王子たちからもなんのメッセージもない。そしてヴズは、ボズガの言いなりに、銀狐のしんぞうをわたそうとしている」
オオカミにしてみれば、銀狐のしんぞうはボズガには何もやくにたたないはずです。あのようなしんぞうが、ボズガのからだに入るわけはないのです。だけどボズガは若いから、そんなことまでりかいできないだろうとヴズはかんがえていました。
「ボズガがあのしんぞうを手にしたら、ふみつぶしてけがす、それでじゅうぶんなんだ。いや、あの生きものがしんぞうにさわったら、銀狐はしんでしまう。そして王子たちや子馬たちは一生この世界にのこされてしまうんだ。りくにながされた魚たちのように」エスメラルダはしんこくで暗いくちょうで言いました。
「ヴズさまがそれをなしとげたら、わたしはながいあいだそうだったように、きらわれ、おいはらわれることがなくなるのです。ぼうりょくともむえんに、ようやくしずかに生きていけるようになるのです」ボズガはずるそうにオオカミを見あげてつけくわえました。
「かわいそうに」ハエがなきそうな声でつぶやきました。
「おおおお、かわいそうにね」ガはひにくそうにハエのまねをしました。しかしすこしばかりボズガのずるさにかんしんしていました。
ヴズはボズガのひどい匂いをふかくすいこみ、いきおいよく言いました。
「もちろんだ。おれにとって、タワーのてっぺんまで飛ぶのはかんたんなことだよ!」彼はふきつな言葉を口にしました。
ボズガはちゅういぶかくヴズを見あげました。オオカミのその言葉は、とりあえず彼女にはじゅうぶんまんぞくできるものでした。
絵 アンナ・コンスタンティネスク
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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