ルーマニアは正教の国であり森の国であり、ちょっと神秘を感じさせる物語の国でもある。ドイナ・チェルニカ氏は作家で翻訳家、ジャーナリストだが、小説ではなく〝物語〟作家を自任しておられる。彼女の清新な物語文学を、能楽の研究者であり演劇批評家でもあるラモーナ・ツァラヌさんの本邦初翻訳でお届けします。
by ドイナ・チェルニカ Doina Cernica著
ラモーナ・ツァラヌ Ramona Taranu訳
第13章 ゴン・ドラゴンのどうくつにて
どうくつの中はくらかったのですが、ゴン・ドラゴンの火のような目にてらされて、ねむそうなコウモリだらけの壁と、ふしぎな文字がきざまれた石のてんじょうがよく見えました。ゴン・ドラゴンがあくびをすると、地球のどこかですさまじい音をたてて岩がくずれました。
クモがゴン・ドラゴンに近づいてきました。けがわと鉄のつめがはえている大きなクモは、そっと近づいてきてだまってまっていました。しばらくしてゴン・ドラゴンはクモに気づき、つまらなさそうに聞きました。
「なにかようかい?」
「銀狐がわなにかかったんですよ」
「ええ?」ゴン・ドラゴンはおどろいてクモを見つめました。
クモはうれしさのあまり体をふるわせました。けむりの指輪をたちのぼらせる、きょうれつな目をしたご主人様のきょうみをそそる話をするのは、かんたんなことではありません。
「銀狐をだましたのはボズガでしたよ」
「ああ、ボズガなら知ってるけど…。銀狐がボズガのようなけものにつまづくとは、思ってもみなかったな」ゴン・ドラゴンはすこしがっかりしたように言いました。
「にじの向こうの生活が、あいつのするどいかんかくと本能を、そこまでおとろえさせてしまったってわけか? ちょうど今、彼女におれのそんざいを思いださせようとしてたところなんだ。地上でおれに対抗する者なんてゆるせない、って伝えようとね。でも、ボズガのわなにかかるような生きものをあいてにするのは、こまるなぁ」
ボズガのなまえを言うだけでそのあくしゅうを感じたかのように、舌うちすると、ゴン・ドラゴンはしばらく考えこみました。それからクモにたずねました。
「何があった? どうしてつかまったの? だって、銀狐はただものじゃないだろ。ふつうの生きものが、おれと戦えるわけがないだろ!!」ゴン・ドラゴンがどなると、地上のどこかで二つの川がぎゃくりゅうして、泉のほうへ流れだしました。
クモはコウモリたちを見ました。いつものようにねむそうな顔をして、いかにもおとなしそうに見えるのですが、あたまの中ではいろんなことをたくらんでいるに違いありません。クモはゴン・ドラゴンの耳もとに近づき、ご主人様が自分の話にきょうみをしめしてくださったことにドキドキしながら、小さな声でしってることすべてをおしえました。話しおえるとクモはいっぽさがりました。ゴン・ドラゴンは、きっとばくしょうするだろう、どうくつの壁やてんじょうがくずれ、コウモリたちが石の雨のようにふってくるだろう、とクモは思っていたのです。しかしいがいにも、ゆううつになったゴン・ドラゴンは、ひとことしか言葉をはっしませんでした。
「なるほど…」
ゴン・ドラゴンは考えこんでいました。なにもせずにじっとしていればいいのか? それともなにかしたほうがいいのか? でもなにをすればいいんだろう? もちろんゴン・ドラゴンである自分が、ボズガみたいな生きものを相手になんかするもんか、とんでもない! しかしもしボズガにやられてしまったのなら、銀狐はもうむかしの銀狐ではないのだから、やられてしまえばいい。だけどたすかったら、銀狐はいつかかならず自分とむきあう時がくるだろう。その時は…。
クモは、ほんの少しも音をたてないように気をつけながら、うしろにさがりました。ゴン・ドラゴンはゆめを見ていました。
第14章 子どもたちと子馬たちも大変な目に合う
子どもたちはタンポポのたねをまいていたところでした。春がきたらこの森のすずしさにめぐまれた日のあたるばしょで、タンポポは元気によみがえるよと、少女が思いを言葉にしていました。赤い子馬たちは、森のゆたかなかおりを胸ふかくすいこんでいました。彼らのたてがみは、そらにすいこまれるようにまっすぐ立っていました。子馬たちと少女のあいだにいた子どもたちは、のはらと森にかこまれ、これまであるいてきた道のこと、そしてこれから彼らの前にひらける道のことを、よろこびとふあんをかんじながら考えていました。そのときとつぜん、火の刃がからだにつきささったように、二人はくるしくなってたおれてしまいました。
「どうしたの? どこかわるいの?」少女はおどろいて、二人のようすを見ました。
「よくわからない」アイレがつぶやきました。
「もしかしたら、雨はもう待ってくれないかもしれない」イルはくらいよかんをかんじていました。
子馬たちはそらをみあげ、にじのむこうのいきものにしかできないのですが、たいようにまっすぐ目をむけて、雨のけはいはいっさいない、というふうにあたまをふりました。
「もしかしたら、銀狐?…」少女がおそるおそる言いました。
「おかあさん!」王子たちがふるえながらいたみをふりはらい、力をふりしぼって立ちあがりました。
「銀狐をたすけなくちゃ。いそぎましょう」少女はそう言うと、タンポポのなみだのたねをやどしている土を、さいごにもう一度やさしくなでました。
しかしさいしょの一歩から、いわのような切りかぶや、ヘビのようにクネクネしている木のねのあいだをすすんでんで行くのが、そうかんたんではないとみんな感じていました。そのすぐあとで、悪意にみちた生きものが、彼らの近くできばを出しはじめていることに気づきました。とつぜん上からあみがおちてきて、子どもたちと子馬たちはとらえられ、ブナの木の、かれたこずえまでひきあげられました。ふはいの毒がかかった近くのえだの上に、まんぞくそうにかぎづめを動かしている毛皮のクモが見えたとき、子どもたちが感じていた不安のしょうたいがわかりました。「フル! フル!」けものがわらいました。「これをゴン・ドラゴンに話したら、もしかしたらほほえんでくれるかも」
クモはとりこになった子どもたちを、よだれをたらしながら見つめていました。少女の肉はおいしそうでしたが、王子たちと子馬はぜんぜんわかりません。たしかにいつぞやは石も食べたことのあるクモでしたが、彼らのふしぎな体は、そうかんたんに食べられそうにありません。それにもしゴン・ドラゴンに怒られたら? そう考えてクモはためいきをつきました。せめて銀狐が息をひきとるまで、かれらをそのあみの中にのこしておいたほうがいいようです。少女とにじの向こうからきた友だちたちがつかれて、にげようとするのをやめるまで、クモはニヤニヤ笑いつづけました。そしていじわるそうに問いかけました。
「いたいの?」
「わたしたちになんのご用なの?」少女がおこってさけびました。
「じつはあんたたちを食べたいんだよ」クモがしょうじきに言いました。
「じゃあ、何をまってるの?」少女はひっしにクモにていこうしました。
「銀狐がしぬのをまっているんだよ」
やはり刃にさされたように倒れた王子たちの体のいへんは、銀狐とかんけいがあったのです。アイレとイルがさけんで、小さなからだがふるえだしました。しかし少女はれいせいでいようとけっしんしました。
「銀狐がどこにいるのかもしらないくせに!」
「もちろんしってるよ! 銀狐はいま、わなの刃に手をはさまれたんだよ。さすがボズガだ!」かんしんしながらつけくわえました。
少女は王子たちに向かってしずかに言いました。
「ここからおりなくちゃ。花のねもとからハリネズミさんをよんで、鉄を切る草を持ってきてもらわないと」
「でもここからは、地上の花々はとってもとおく見えるよ…」アイレはしんぱいそうにこたえました。
「杯のなかのハチミツをこぼせたら…」少女がつぶやきました。
「こんなふうに、あみの糸にとらえられてしまったら、何もできない…」イルはとほうにくれて、口をつぐみました。
「でもあなたたちが、わななんかにつかまることはない、って思ってたわ」少女はふしぎなことに気づいて言いました。
「それはにじの向こうでも、ちじょうでもそうだよ。だけどそれは、銀狐がじゆうであるかぎりのことなんだ」二人はかなしそうにせつめいしました。
「でもどうにかしないと!」
少女はかんたんにはあきらめず、きついあみのせいで、しびれかけていたうでを動かそうとしました。
「よく考えなきゃ」とささやいて、友だちを元気づけようとしました。しかし今度はクモに聞かれてしまいました。
「何ができるか、やってみろ!」あごをガチャガチャ鳴らしながら言いました。
絵 アンナ・コンスタンティネスク
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* 『少女と銀狐』は毎月11日に更新されます。
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