〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
教授の家は川のほとりにあった。つまり限りなく町の際、隅っこにあった。この町は上空に眺める古典的なユーフォーみたく、よく潰れた楕円形をしており、川の巡りを挟んだ外の土地との境界に近づくほど、地価が高くなるという。しかしそれが町の土地の大半を占めている。もともと神聖だと自ら信じる町民だから、みながみな地価の高い場所に住むべき人間、重要な役職に付く人ばかり、身分高き集団なのかもしれない。そう考えれば大学には服飾科しかないのだから、町民ほとんどがファッションデザイナー? あるいは少数のデザイナーが潰れたピラミッドの頂点を埋めるとしても、ほとんどが崇高な服飾に携わる人々なのだから、たしかに全員、円周側に住みうるかもしれない。外国人だけ真ん中に置いて。
川の外側には、二重になった柵が巡らせてあった。外の土地、例えばここまで来たルート88上の丘から見ると、柵の中には羊が放牧されているように見えた。羊の正体は白いテントだ。柵は身にどんな害を及ぼすものでコーティングされているのか分かったものじゃなかった。ところどころ金属を意味ありげに(アルファベットにも見える)うねらせてあるし、数十種類の金属で継がれているし、かと思えばワイヤー自体が電気ショックを受けたかのごとく、不気味に縮んでいる。ぶざまな形態、質感を持った柵で、決して触れたくならないタイプのものだった。電流を流さずともこんな形で人を隔離できることに気づいた。自分の内なる情熱や、誰かを想う気持ち、夢、願い、可能性がそれに触れると失くなってしまうよう。自分や他人の中の見てはいけないぶざまなものがそこにある。一瞬、柵には世界地図が描かれているかと思った。何らかの地図に見えた。何かに見えるが、何ものでもない釈然としなささもあった。人の吐物でコーティングされているのかと思うほど、生理的に不快さを与えるものであったが、街の人には全く気にならないものらしかった。僕はこの柵と目が合うと気まずい思いをした。自分が恥ずべき人間なのだと思う。羞恥心の火にあぶられ、体が煤になり、その黒い手ではもう隣の純白の肌に触れられないのだと思った。この柵から目をそらし、身を焦がすばつの悪さが彼女に飛び火しないか心配し、さらに彼女との距離を作った。しかしアンヘラは街へ向けてカメラを向けていた。
町に外層があるとすれば、川、柵に続き、閑静な住宅街が廻っていた。昔は町の政治、経済、文化の中心であった核部の旧市街(ちょうど核の部分に小さな祠があったらしい。その下を掘ると伝説の聖櫃が見つかるという者もある。)は、今ではすっかり観光地に成り果てていて騒がしく、町の要人たちもなるべく中心から離れ、円周側へと居を移してしまったそうだ。この堀または川に沿った地区からは、周囲の自然がよく見渡せる。遠方に、らくだこぶのように大地と同色で連なる丘の列が走っていた。ルート88だ。88の文字にも見出せるような、幾何的な印象がそこにはある。温暖前線のように記号化された丘の連なりが地平線に消え入るまで伸びる。ひしめき合うように主要建築物が集まった核部分から離れ、町の喧騒から離れた平穏のある境界側は、昔は侵入者を恐れるがゆえにとっても地価が低かったらしい。後に聞く教授談だ。身を寄せ合うようにして、楕円形の核部分に住宅は密集していた。しかし、町も独自の時間の流れを保ちながら、地続きの土地の時代の流れに身を寄せ始め、観光客を受容するようになった。移民は迎えなかったが、多くのことを〝よそ者〟と話し合うようにもなった。よそ者が内地で宿泊するようになれば、自然と人はフチに安息を求めた。音を立てず、でも強力に、そっといなくなった。
町の中心から外れてしまえば、基本的に外国人は立ち入ることができぬようになっている。この日は教授は自ら、僕らの宿泊先へ迎えに出向いてくれた。
朝10時きっかりに、彼はキャンプ場本部ロビーの出入り口の自動扉脇に立って待っていた。彼らは、時間感覚においてはラテン的ではないようだ。無論、ラテンの人々に対するこんな考えも偏見だろうと思う。扉には一掴みの砂が「( )」の模様に擦り付けてあった。毎朝決められた人間が、両手で新しい砂を一掴み、均等の勢いを両腕にかけながら振り下ろし、各扉に擦りつける習慣がある。新聞配達人のように、早朝に戸付近で音がするのはこの人間が戸に印をつけるためだ。
空気さえもひび割れそうな、湿気を奪う太陽の光のベールがむらなく町中に降りていて、テントとテントの隙や、大通りを走っていた。町は、町が明るさを持ち上げるように光を反射し始めた。アンヘラは、彼にまた違った色の光を射し込むように、花の香りのような微笑みを作り、抜け目なく可愛さを売り込んでいた。教授も西洋の教授さながらに、気軽に彼女に親愛な笑みを呼応させ、よく町に興味を持ってくれた、といわんばかりに大きな喜びを見せた。僕たちの肩に、背中に、頬に、手を添えてポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポン、ポンと7回叩き、歓迎の意を示す。7回に意味があるのか、と聞けば、W-e-l-c-o-m-eの略だそうだ。
町の車にはどんな意図があるのか。絵を描くために用意されたキャンバス地のようなFoujita乳白色の牛革が窓ガラスのみを避け、所狭しと継ぎ接ぎされながらボディ中に貼られていた。アジアでは犬にも紳士服を着せるというが、町国では車にも白く可能性豊かな格好をさせているということか。犬にあれだけ凝らせた服を着せる国も珍しいが、車にまで可能性を語らせる町も、ちょっとない。雨は少ないとインフォメーションセンターでは聞いたけれども、それでも数ヶ月に幾日かは皮を濡らすこともある。無数のドットがその部分だけ色褪せ、目玉をくり抜かれたようにくっきり浮かびあがり、Kusama作品を彷彿とさせる。古びた箇所は部分的に白革を切り取り、新しく当てている印象もあった。メタルで塗装された車体は裸、とでもいいたげに一台も裸ではない。確かに、同じような素材でいえば僕もマックブックエアーに、ブコウスキー『ありきたりの狂気の物語』『町で一番の美女』装幀が二冊分並んだカバーをかぶせているけれど…。パソコンにかぶせるのは、パソコンに傷が入り込まないため。車に革を被せるのも同じ理由からだと言われたら、僕は納得するべきなのか?!
教授の車から街を覗く。アンヘラを見ると、足長鳥の写真を撮っている。
検問を通る時には、小さいツの音の象徴的な、古代言語で交わされた挨拶を耳にした。コーンを避ける障害物競争のようにテントを避け、縫うように走る道に沿って、教授の家に向かう。彼は、日差しがあるのにサングラスをかけずとも平気なようだ。
道路の標識には、なぜか文字ではなくて、時間が示されている。「12:00 3KM」「2:00 9KM」「5:00 8KM」そして、「7:35 →」「9:46←」「6:33↓」
教授には英語が通じたので、僕たちは彼に英語で尋ねる。
「なぜあそこのサインには数字が使われているのですか。入るのに時間が決められた地域があるのですか。それとも、目標到着時間ですか? たとえば、12時間使って3キロ先へ行きない、とか。9キロ先までには2時間必要ですよ、道が入り組んでいますので、というような」
教授から自然な笑みが漏れる。
「君たちは本当に想像豊かな国から来たようだね。ハハ
この国が楕円形をしているということはご存知かな?」
「知ってますけど」
「ではそれをヒントにして考えてみて」
ちょっと面倒臭い教授だ。かわいい教授でもある。僕は隣のもっとかわいい女の子の方を見やる。彼女は、テントの骨部分が突き出た竿のはるか上方についている、なにやら足先を象った装飾をズームして、旅行前に買った16ギガのメモリーディスクのデータに置き換えている。
「時間…楕円形、その時間を管轄している地域がそこにあるということですか?」
「はは、違うよ。その楕円形はね、私たちの街は、きっとおそらく君たちの出身地では指標といわれる東西南北の代わりに、町の楕円形の上に時計針を想像して方角を定めているんだよ。例えば、これから私たちの行くのは8時の方向、詳しく言えば、8時42分の方角に僕の家はあるんだよ。そして住所も、8時42分、16秒丁目、3軒目、となっているんだ」
「へえ。でも、時計は僕たちの国にもあります。東西南北はないのに、時計は同じなんですね」
「もしかして、僕たちの町の秘密がばれたのかな?」
「そんなことないですよ、きっと。ずっと昔から僕たちの生まれた場所でもあります。あるはずです、時計」
時計がどこで発明されたのか知らないけれど、もしもローマやギリシャならずっと昔にこの土地まで伝わってきたのかもしれない。僕たちの文化や祖先はどこでつながっているのか分かったものじゃない。
「わたしたちが入ったのは、何時の地点だったのですか」
「君たちの入ったのは、外国人専用入口であるはずだから、きっと1時だよ」
彼の家は、この町特有の伝統家屋、丸、三角、四角に三等分された底を持つテントの中でも一部の人々にのみ許されるという、牛の角の形をした円錐形のテントだった。実際にはコンパクトなプレハブ式の簡易住宅が革に隠されるように入っていた。白塗りの牛革の、円錐形、立方体、三角錐のテントを建てるのがこの町の住居のルールだが、衣服以外の決まりごとには比較的寛容な姿勢を取っているらしい。
昔はテントそのものに住んでいたけど、現代では、テントの中は自由に、よそ者から輸入したプレハブ式住居を用いて近代的な内装にしているケースも多いという。「雨漏りも気にしなくていいしね」「テント革を張り替える間隔だって、長くなるように。食べ物の匂いもつくしね。効率的でしょ」などと言って、中に簡易住居を入れている。
「牛革はどうしても必要なのですか?」
「それは、町のルールにひっかかるから…。一応」
ルールをかいくぐっている。どこでもルールをかいくぐる姿勢は存在するようだ。
「政治は誰が行っているのですか。族長やシャーマンは存在するのでしょうか。」
「私たちは民主主義を取っていて、みなで決めているよ。族長(町長の名でも呼ばれる)の役は、全員に回ってくるよ。今は『6時半』が町長をしているよ」
ほら、この人。と、ポスターになった『6時半』の顔を見せてくれる。名に反して眉は2時50分だ。
「族長が意見をまとめて、シャーマンがその周りを踊る。昔はシャーマンが最終決定権を持っていたけど、今ではシャーマンはお飾り、象徴的な存在で、皆でまとめたものを、神棚の前で読み上げるだけだよ」
シャーマンは代々シャーマン家の人間がになっているようだった。
家の、文字通り外皮、外側の革には穴が無数に開けられていたが、それは通気を良くするためだ。中世の教会の石壁に無数にノミで傷つけて付けられた跡とよく似た筆致だった。雨が斜めに降り注いだように、少し尾を引く点が数限りなく刻まれている。冬のストーブの煙突か、テントから破られて一本、煤けた筒が飛び出ていた。日が照る中で、客を歓迎するようにゆらゆら揺れているようにも見えた。
彼の家で、彼の若く心優しそうな妻にお茶を淹れてもらい、牛革の外壁以外には、すっかり西欧化された室内で、バッファロー革のソファに腰を掛け、向かいあった。教授のパソコンはマックだった。牛革地の円錐形ステッカーが林檎マークの下に、テント上に林檎が刺さった形で貼られている。この林檎のマークには指を置いたら何かイメージが立ち現れそうだ。そんな雰囲気を部屋中に掛けられている丸、三角、四角型に切り取られた布や、絵のように飾られる服の型紙が作り出している。
Images © Matthew Cusick
Original image © Matthew Cusick
(第09回 了)
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