〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
アか
(アンヘラの研究心)
ラウレン・ブリクセンという人物がいたことを彼女は知った。彼女は100年前、この土地で外国人ながらアンヘラに先立ち移住許可を得て著作業をしていた人物だった。彼女は可能性から生まれ、可能性を追うために死んでいったような人物だった。女は可能性について書き続けた。主題はひたすら可能性、可能性の可能性、可能性の可能性の可能性の可能性。『可能性の17乗』という論文を仕上げた次の日、彼女は死んだ。ひとつ、あとひとつ可能性を引き伸ばそうと長生きし、腰に巻き、後ろから引かれた縄はピンと張り、どこからか繋がれたその縄を腹に食い込ませ、より向こう側へたどり着こうとして3日。ついにこれ以上この方向へは進めない、それは360度中、最後の1度だった。ついにこれ以上、彼女の周りを高く取り囲む可能性の壁はすべて触れつくされ、この先、どの壁の隙にも指一本差しこめそうにないと知った翌日、目を閉じた。続きは違う世界にあった。
彼女は町国の信仰をより深く理解するため、物を書き始めた人物だった。目の前に一枚の紙を用意する。タウンの人々が纏う一枚布を目の前にある用紙に見立て、彼らの”新しい一枚”の服デザインが生まれるものと全く同じやり方で、どう物語を作るのか試み続けた。物語を選んだことには理由はないが、日記を書く習慣はもともと身近なものだった。というのも、夫とこの地に足を踏み入れたものの、形だけの結婚をした二人の愛は元から冷めており、さらに夫はナイロビ町国にコーヒー農園が作れないと分かると早々と帰ってしまい、悲しみを書き綴っていたのだった。毎日生み出す一枚の新しい物語は、Times New Romanで1000文字、横書き、余白1.5に指定されたページではなく、升目も罫線もないA4の白紙に書かれ、白い大地に刻めるだけの文字がその作品の分量となった。字は大きくしても小さくしてもよい。どれだけ細長くしてもよい。整列させても散らしてもよい。長編を書く予定がある、と知った故郷の友人は、先端のボールが小麦粉一粒に値するペン先を誕生日にプレゼントした。白い紙に飽きたなら赤 赤 赤 赤 赤 赤 赤 と赤土を撒くように『赤』文字をテキスト中にランダムに埋め、色をつけた。丸文字で『あ』『か』と書くとより暖色になったし、角文字で『ア』『カ』と書くとより鮮度の高い赤を表すこととした。『あカ』と色彩を調整できもした。
彼女は、唯一この村に、1ヶ月以上、居住を許された人物だった。彼女がこの地に住んでいた2年半、町人たちは終始、心中穏やかではなかった。しかしそれ以上に、ラウレンは多くの霊感をこの町にもたらした。多くの霊感をもたらす人物は強い霊的な力があるとみなされがちであったから、特にシャーマン家の人々からは反発を受けた。最後には当時のシャーマンにより疑惑をでっち上げられた。よそ者はみな大きなインスピレーション源になるという単純なことに気付かず、人々は、その噴水の水を汲もうと近づき、噴水は町民に分け隔てなく顔にビチャっと、思いがけぬ方法で新鮮な水を浴びせてくれた。ラウレンはあらゆる西洋のストーリーを引用し、彼らの体に巻いた。服装に訳し出す手助けをした。ストーリーの作り方を教え、彼女自身、服飾作りから新たな物語のヒントを得たように、町民はストーリー仕立てに布を組み合わせたり、誰かの人生調に布に味を出すことに成功した。夢を見ているようだった、と彼女の貢献は今でも語り継がれ、この地には彼女の記念館まである。直方体と三角錐テントを、彼女の故郷の家を真似、バンガロー式に組み合わせたものだ。2年半、よそ者ながら可能性に身を捧げた聖女が住んだこの建物は、町の聖地となり、インスピレーションに枯渇した者の休憩所となっている。
町人たちは文字を身にまとうことを知った。言葉を着て羽織れることを知った。違うストーリーがその服の上にあったら、それはまた新たな一枚だった。白布に違う文字の連なりが乗ると、目に見えない色味や明るさの変化をもたらすことを知った。それは人間の心情にまで入り込むものだと知った。違う作用を持つ二枚なら、もはやそれは同じではなく、新たな一ページだった。
彼らは、ストーリーは服の型紙と同じで、集めれば集めるほど応用の仕方を楽しめると知り、すぐに彼らが知っているもの、彼女から聞いたものを集めて整理番号をつけた。今では、町国に入国する際、よそ者も現地人も、必ず税関で土産話を聞かさなければならない。すでにある物語ではダメだから大変だ。新しい話を出すために座談会が習慣となったのもこの時期だ。夕方には仕事を片付け、雨が降っていなければみなベランダに仲間を呼んでお茶を出す。その日あったこと、テレビから仕入れたよそ者の話、よそ者の土地の天気、とりとめもないこと。笑い合い、思いつき、翌日職場に持っていく。
彼女はストーリーや言葉が紙を超えていく様子に夢中になった。彼らのために、新たな物語を一枚、また一枚と生産しつくして死んだ。
文字を着衣にのせることで、一枚の白い綿布から次々と新しいVer.の着衣が出来るので、町人たちは物語を生むことに精通してる(と思われた。町国には、西洋のような体系づけられたストーリー生産をしらなかった。)彼女をしばらくその土地に置くことを許した。ストーリーを取り入れて、あと100年は可能性の枯渇、民族の滅亡を身近に感じず暮らせるとみなは喜んだ。子供たちの将来は安泰だ。可能性バブル、憂いなし、豊かに暮らせた時代があった。
ブリクセンは町民生活の奇異さだけでなく、彼らと可能性を分かち合った経験を次々と文字に起こし、帰国後金持ちになった。彼女はその金で町国に服飾科を設立した。大学という仕組みを教えたのは彼女だった。この町に大学が出来るように尽力した。シャーマン一家は彼女が町を乗っ取ろうとしていると言った。町の彼女への信頼はそれを超えた。余り金で、人々が服飾の実験のため綿を生産する時間を取られないように、大量の綿布が寄与されたそうで、町中で見かける井戸のようなものには綿布の山が隠されていて、服飾の実験をしたいものが気軽に持ち出せる決まりだった。ただし金としては通用しない綿布だった。
というのも、この町の通貨は綿布だった。ひらひらと蝶のような10平方センチメートルにハサミで切られた綿布が、約50ドルの価値を持った。ハサミで切りっぱなしになっているので、糸がほつれ、布面積が減ったものは、その価値も2ドル、3ドル、10ドルと減った。そのため、人々はジップロックに、うかうかしていては腐ってしまう食べ物でも扱っているように、柔らかく重ね、詰めていた。
この町の税関を通るときには、綿布を持っていないか念入りに調べ上げられる。アンヘラは、スーツケースの中に持っていた、綿100%の、風が中に入って膨らむタイプのロングワンピースを押収された。この国の装束としても使えそうだと、アンヘラとひそひそ話をしながら、この町に来る運命だったのね、などと喜んでいたのも束の間、破棄しますか、それとも罰金を払ってこちらで保管しましょうか、と言われる。罰金である100ドルを支払うと、事務所の片隅に、係員のジャケット(を型取った白装束)が並ぶクローゼットが開かれ、男物の上着の中に、まばゆいばかりのアンヘラの私物が納められる。よその土地のものであるかぎり、綿布は、贋金に等しくなる。幸い、国を出る時にまた返してもらうことが出来るようだが、何より申請書を書くのが大変で、罰金も取られる。
土地の人々の間では、お金が緊急に必要になった場合、服の一部分を切り取って店側に支払うこともあるという。だから店先ではどこも、プラスチック製の長方形の容器に何本かのハサミが盗難用のチェーンを付けてつないであり、いつでも服を切るという。
ということは、ナイロビタウン大学は、よそ者によって建てられた大学なのか。それはアンヘラにとって、力強い吉報となった。アンヘラも、今ではむずむずとして、指先で膝に敷いた地図の上でぱちぱちリズムを弾いている。この村の人々となんらかの可能性を分かち合いたいという欲求を、胸の中でふつふつと響かせていた。僕は隣で、そのメロディに歌詞をつけていた。
例えばこんなやつ。
よ、そうよ
思いつくわ
きっと
いつの日か
今日にでも
アンヘラがこの町に何か大きな可能性を人々に感じさせることができれば、長期の滞在も許され、タウン大学の服飾科で学ぶことも不可能じゃないという。
「でも、物語じゃない方がいいね」教授は言う。「物語はラウレンが書き尽くした。あらゆるお話は彼女によって既に書かれてしまった。町は彼女以降、誰一人受け入れてない。やはり大きな変化を町にもたらすことはリスクなんだ。事実、ラウレンは町の様々なことを変えた。でももう100年経っている。100年に一度の風は歓迎だ」
目に愛情だけが映るように、細く三日月型にし、彼は言った。黒人の血が地に入っていて、本当に三日月の目が浮かぶ。蓄光色で、暗い場所では可能性の光が見えるような。アンヘラの方を見ると、鷲を人差し指に奇術的に留まらせた、綿織りのカウボーイハットを被った教授と目が合った。気づけば、壁には写真や飾り布だらけだった。外が真っ白だからその反動か。目の前の教授と、横の壁の教授が眼鏡なしの3D画像のように一体に浮かんだ。
この町の服飾作りを、他の土地にどう発信できるか。ブリクセンの死後50年、この町の様子は正式に更新されていない。いかなる情報も、ナイロビタウンに関してはSF記事並みの噂話で、旅行者は経験を公的な文書にしたらこの町の法に従って裁く(国外でも国際手配書が発行可)という制約を入国時に書かされている。唯一100年前の記録、ブリクセンの代表作『可能性の日々』の神話のみ手にたいまつを持って生き、何ども違うキャストで映画化されてきた。「僕はブリクセンの町国を更新し、現代の町国をもっと外に伝えるべきだと考えているんだ」と教授は言う。「新しいフィクションになってもいい。どんなコンテンツでもいい。私はもっと、我々が内に蓄えてきた可能性が、資源として外で活用できないかと願うんだ。我々は可能性を生み出すことばかりに関心を持ってきた。それが先祖から受け継がれる営みであり、ただ従ってきた。でも、可能性だって熱があり、消費されるべきものだ。我々はエネルギーを無駄にしている。外の人間が可能性に使い勝手を見出してくれたら本望だ。もしかして原子力の代替エネルギーになるかもしれない。この町はすでに可能性でいっぱいで、エネルギーは変換されることなく溜まる一方だ。刻一刻生み出され、あらゆる隙に可能性が割り入って、溢れんばかりのアイディアとなって、空気中の圧となっている。もう柔らかくはない、きっとだんだんと硬い全体になっていくんだ。町の一部の人間はそれを危惧して、可能性を少しずつ横流しできないか、よそ者との積極的な交易を作って、できたらこの資源で一儲けできないか、という邪な気持ちを別としても、民の将来のために対策を練っているんだよ。」
可能性を最大限に感じさせる紹介が外部に出来るかどうかが鍵となるという。この町の人々にも見栄のようなものはあるらしく、彼らが一番価値高く見積もるもの、”可能性”をより多く持つように見られることを好むようだ。
「それを4ヶ月以内、来年度の前学期が終わる前に送ってくれる? 僕が直接町の上層部に提案してみよう」上層部がいるらしい。
教授はとても柔軟に対応してくれた。ベーシックな形を元にどれだけ可能性を推し広げられるか、あるいは見つけるか。なんて素敵なんだ。
と思ったのも束の間。
町に受け入れられた場合でも、僕たちの国で書き換えられる修士号は保障できないらしい。どうやってまた同じ1の国へと戻れるのか、という一抹の不安もあるが、ひとまず可能性を信じることにした。身体の中を可能性が連動していくように、朗らかな気持ちで外に出た。
教授とはこのまま、円周の住宅地を、ぐるっと弧を描く散歩に出かけた。この町のなにかヒントが見つかるように、もう少しなにか知って帰ろう、とアンヘラに言うと、彼女は僕のMacカバーに向かって微笑んだ。二人で手分けし、『ありえない狂気の物語』『町で一番の美女』を探して帰ることにした。
(第10回 了)
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