テレビ朝日
月~金曜 昼12:30~
【出演】
大地真央、瀧本美織、濱田マリ、渡邉このみ、木南晴夏、市毛良枝、佐戸井けん太、市川由衣ほか
【脚本】
龍居由佳里
朝の連ドラのコンパクト版、という感じである。コンパクトというのは、越路吹雪という固有名詞に凝縮しているところにある。フィクションであること、そのフィクション性によって日本全国の視聴者を相手にするという気概は、必ずしもなくてよいわけだ。相手にしているのは多かれ少なかれ越路吹雪のファン、また宝塚のカルチャーに親近感を持ち、乙羽信子などとの親交に関心のある人々である。
越路吹雪の歌を聴き、乙羽信子を知る世代というとわりあいに高齢者、またドラマまで見ようというファンは女性が多い気がする。シャンソンは性別なく愛好されるものだが、越路吹雪を育んだ宝塚のカルチャーは自ずと女性に親しまれる空気を醸し出す。よく言われるように、そこはいわゆる女の園であったり、女同士の小競り合いの場であったりするのではなく、徹底した教育の場である。
宝塚出身の女優がしばしば重用され、ときには退団と同時に大物扱いされるのは無論、舞台で証明されている実力のゆえであるが、職業人となるべく受けている徹底した教育のゆえ、とも言われている。就職に強い大学があるように、というより定評ある専門学校を卒業して引く手あまたといったところか。芸能界でもやはり新人を一から躾け直すのは大変な労力だろう。
それでも躾けきれない個性、はみ出る気性は、チームワークが必要な女優ではなく、歌手であればかなり残っていくだろう。それがのちの越路吹雪をつくっていくのだが、まずは宝塚の制度からのはみ出しぶりが朝の連ドラのヒロインふうに描かれていく。ダンスが下手で落第しかけ、ただその素晴らしい歌唱力を高く買う教師が温かく見守り、という愛されヒロインものとなっている。
NHKの朝の連ドラ以外であっても、愛されキャラ少女の成長物語は、まさに正調の日本ドラマである。ヒロインは完璧であってはならないが、最近は自分が完璧であると勘違いした愛すべきキャラというのも見かける。これは正調ヒロインのポストモダン化である。成長させる制度は多くは学校、職場、『千と千尋』の夢の銭湯というのもある。ヒロインの少女は、やがてその制度の場でトップに立つ。
最初にヒロインを押しつぶそうとした制度は、そのとき彼女の血肉となっている、という寸法である。ダンスの苦手な越路吹雪が、学校でなければやってもらえない訓練を受けたことで、それがのちのステージにどれだけ寄与したかは想像に難くない。すなわち十分な教育け受けている、とはそういうことだ。苦手とするところを最低限できるようにしておくことが、つまづきの確率を下げる。
このような正調の日本ドラマの主人公が、どうしても女性、それも少女の時分から描かれなくてはならない、というのは繰り返しの考察に値する。対照的に引き合いに出される大河ドラマのヒーローは歴史上の人物でかなり固定化されている。対して国民的美少女はいても国民的美少年というのは聞いたことがなくて、日本国民一人ずつが自身を投影できる存在は女性のヒーローなのだ。
ところで、天才的な歌の素養があるという設定のヒロインが歌う場面で、さほどの目覚ましいものが聴こえてこないのはご愛嬌だろうか。実際の越路吹雪ばりにヒロイックで身振りが大きいのはわかるが、声は別に、という。ただ職員室でその才能を熱く擁護されているとき、本人は夕飯前で友人たちと「トンカツの唄」を絶唱している、という無邪気さがいい。越路吹雪のファンを捕まえているのは、そういう女学生の雰囲気のようにも思える。
山際恭子
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