フジテレビ
月曜24:25~
【出演】
香里奈、池田エライザ、志尊淳ほか
【監督】
関和亮
【脚本】
倉光泰子
細かい話だが、フジテレビの公式サイトではタイトルは『アイ〜私と彼女と人工知能〜』になっている。だがそこに貼られた動画の上のキャプションは『アイ〜私と彼女の人工知能〜』である。「私と彼女と」か「私と彼女の」か。どちらがいいか考えたが、結論が出ない。こういうことはめったにないが、つまり完全に「どっちでもよい」。これはすなわち「どうでもいい」。
しかし主要な登場人物は「私」と思しき香里奈演じるOLと、若くて可愛いインスタモデル(ってなんだ??)、それと人工知能の「今泉3」(もちろん「今泉さん」と聞こえる)である。その三者を並列に「私と彼女と人工知能」とするのが普通、というか何も考えずに付ければそうなるだろう。テレビドラマのタイトルなんて普通、何も考えずに付けられているものだから。
だがしかし、そうだろうか。テレビドラマのタイトルにも印象深いもの、センスがあるもの、少なくとも考えて付けられたものはある。実際、『私と彼女の人工知能』であるならば、この人物構成に対する思い入れ、こだわりと理由付けが感じられただろう。この人工知能は「私と彼女」の共有物である、という意味付けが。
そもそも「私と彼女」という言い方はきわめて親密だ。このストーリーは「私と人工知能」との物語で、そこに「彼女」が脇役としてときおり割って入る、というような構成ではあり得まい。「私と彼女」というのは、そういう印象を与えるものだ。そして「彼女」はレズビアンであり、それはまだ秘められている、という仕込みもされている。
「私と彼女」がそのような関係であれば、本当のところはそれ自体でドラマが成立する。それがそうならず、テーマはやはり「人工知能」なのだ、という「今のトレンドをしっかりつかんでいます」アピールが、まさに今のフジテレビだろう。いや、フジテレビは実は昔からそうだったのかもしれない。ドラマ性よりもトレンド、ドラマにおいてすらトレンド優先、という。
フジテレビの凋落、特にドラマの低視聴率が言われて久しい。回復にここまで時間がかかるのは、もしかして組織の問題を超えたものがあるのでは、とも思う。ドラマにおいてすらトレンド重視、しかしそれがドラマチックなものを生み出した時期もあった。すなわちトレンドが時代のドラマ性を否応なく示していた頃だ。その頃はバラエティも、現場の勢いやハプニングがドラマチックに映った。
ドラマとはすなわち構造であり、人の感動は、さまざまな要素や説明によってもたらされるのではなく、構造によって生み出される感情の落差によってあらわれてくる。レズビアンと人工知能と、人目をひくテーマを二つ並べても打ち消しあうことに対し、意識がないから「私と彼女と」でも「私と彼女の」でもどっちでもよくなってしまうのだ、という批判は一般的にはあり得る。
ただ、もしかするとフジテレビはフジテレビの戦いを戦っている最中かもしれない。「大衆」を巻き込む大きなトレンドがドラマチックな流れを生み出すことがなくなったのは、テレビ全体にとっての危機だ。よいドラマを一つ、二つと秀れた手法によって作り出し、他局の得意なジャンルで張り合うより、この危機に直面することの方が大切なのではないか、とも読めるのである。
山際恭子
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