〝よし、その売れていない、秘法を使った旅のプランに、僕たちが最初の顧客になってやろうじゃないか。僕は何でも初めてが好きなんだ。初めてを求めるとき、僕は誰よりもカッコよくなれる・・・〟この旅はわたしたちをどこに連れていってくれるのか。青山YURI子の新しい小説の旅、第二弾!
by 青山YURI子
ルート88はナイロビへ向かっているが、遠方から山のように見えていたものは、やはりかの平べったい城、アルハンブラ宮殿だった。車道の両脇には高原が続き、その向こうは地平線状になっているので、メロン網目の装いで乾燥した土の道が交差する様子、そして坂になった高原の先で地平線に行き当たり、ふっと消える様子がよく見える。この一つ一つの道を辿っていくと、どこへ着くのか。もしくは着かないのか。
「どうする?アルハンブラ宮殿、寄る?」宮殿がいよいよ目前に迫って、スターバックスでも寄るように、口にする。「いいわ、ここから見えるもの」と彼女は言った。確かに、ここから見える。天窓を開ければ、目前に迫った外壁から土が剥がれ落ちて土埃の雨を被りそうだ。丘を登っていくと、外観だけでなく、内観までも、今まさによく見えようとしている。というのも、ルート88はアランブラ宮殿を切り分けて進んで行くように通っており、モーゼの魔法でも使ったかのように宮殿内に一本分の道が出来ている。道の幅だけ壁は消え、パティオの噴水プールもちょうど半分で割れて道を避け、その道はルート88の紋章を付けたアスファルトで、城内の石畳を上書きしている。行く先には”大使の間”があるが、ここも道幅の分だけ拡張され、真ん中から二つに開くことの出来る人形の家さながらに内部の構造がよく見える。これからその間を抜けていく。
城内を通る、何にも動じないストレートなこの道は、これまでよりも表面がつるつるとしてスムーズで走りやすいように感じる。横目で舗石の並ぶ道を眺めながら進んでいるせいか。宮殿を抜けていく最中、十分に宮殿の内部の様子を垣間見ることが出来た。糸杉やオリーブの木が門兵のように立つ。多葉アーチや馬蹄型アーチがあちらこちらに曲線を描く。かの有名なコマレスの塔が映り込むプールの形をした池があり、建物が水面に映っている。「あれだけ見ていく?」「うん、タッチしてきたい」と車を脇に止めて、やっぱり少しだけ観光したくなった。隅にあった駐車場に車を止めると、プールの噴水の方へ、強い日差しに目を東洋人のように細くして距離を掴むのに苦労をしながら歩み寄っていった。
アルハンブラ宮殿を抜け、またもや僕たちは脇目も振らず、ひたすら前へ前へ伸びるルート88を走っていたが、今度は前方に何本もの高塔が見えるようになった。自然物にも人工物にも見える。ローマ遺跡にも、近未来的な世界の管理塔にも見える。塔の先端は、太陽の光を受けているのか、この世界から消えているように、もしくは太陽そのもののように光りすぎている。僕たちはこの物体の正体を掴むためには、まだ20キロは走らないといけないような距離にいた。
日が暮れ、予約していたモーテルのある町を目指した。矩形の家屋が続き、郵便局、宿、酒場、一件の中華系レストラン。町に必要な、最低限の要素だけが詰まっているスモールタウン。短編みたいなタウン。
モーテルの部屋に入ると、スイス生まれの象徴画家、アルノルト・ベックリンの「死の島」が飾ってあった。僕は、絵の中に描かれた建物を見ることが大好きだった。そんな中でも、これはお気に入りの一枚だった。そういえば、ホテルの受付でもこの絵の描かれたポストカードやチラシを置いてあったし、このホテルを予約したのも、ホームページで見慣れた絵をふと片隅に認めたせいでもあった。今日一日走って目にしてきた、いかにもアメリカ的なロード風景からはかけ離れたこの絵に、いかにも不釣り合いであると不可解な思いを抱いたことは確かである。こんなチグハグさがコラージュ的なのかな?という気もしたけれど。しかし今、この部屋の窓から外を覗くと、いかにもその訳がイメージとなって理由を説明する。ここから見える、麓の町と、切り立った岩山のような丘、そして伸びている塔の様子が、この絵をモデルにしてすべて用意されたみたいだ。
「死の島」を浮かべている心境には少し強い、塗りたて赤の鉄枠の小窓から外を覗き、眼前にある殺伐とした、ただ延びていくハイウェイに視線を合わせ、東から西へと移動していくアメ車に引きずられながら先へ引っ張られていった視線は、行き場を失くして空にまで跳ね上がったが、そこにはさきほど見たポストカード、そして部屋に飾ってあるこの絵を再現する外の情景が浮かび上がってきたのである。日の完全に落ちるまであと数分、それはまだ、町の入り口を走っていた時に見たものとは似ても似つかない。二棟の丘、その間に立つ建物と塔は、暗い中で見たらあの絵そっくりに様変わりするのだ。いまにも、ボートがこの窓の岸辺に着いているような。
僕たちが昼間見たものは、まるで少し離れたところから眺めるトルコ、アヤソフィアの尖塔だった。4~5本のローソクのようなものがそびえ立つ。そして真ん中に「何か」があるようだった。「何か」を守るローソクにはちょうど上から太陽が重なっていて、(塔は太陽と同等の高さを持つように思えた)、今にも溶け出して濃密なうす焦げ色の、泥めいたロウが町中を埋め尽くしてしまっても無理はない。幾分にも、町が邪魔をして全体の姿は掴めない。はたまた肥長した砂の楼閣でもあるようで、鳥が横切り、かすめるだけで壁は崩れ落ちそうだ。上空1000メートルを上昇するジェット機の唸りでも感知し、すぐにポロポロと壁面が剥がれ始め、下に軽い土の雨が降ったことがあるかもしれない。それどころか、雨の降る日には雨水を吸いこみ暗色の表皮になったと思えば、半時間も経たないうちに溶けた泥状の建物が下腹部、下の町に溜まるようすが目に浮かんだ。
しかし今、こうして窓からカーテンを片手で抑えながらそれを眺めていると、昼間より確かな存在感があり、それが何であるのか主張する。もしかしたら、見る位置によって、そして時刻によって、七変化するタイプの建築物なのかもしれない。そして、この位置からは、「死の島」なのだ。
思わず横目で、この部屋にも、テレビの上部に掛かっていたその絵と見比べる。
「アンヘラ、おいで」
「なーに?」
「ほら」
言葉はそれだけで十分だった。僕たち4つの目玉の前には、「死の島」があった。僕たちは共感しあっていたので、グレー、緑、グレー、緑、4つの目の玉はそんな配列になっている気がした。
朝になり、一時間で身支度も朝食も済ませると午前9時半、ドライブを再開した。僕たちは今までの、何かに期待して町、あるいは国を探る心持ではなく、ひたすらにその塔に惹きつけられていた。正体を付きとめなければ、おちおち朝食も食べてはいられない心持ちで、すぐに荷物をまとめるとチェックアウトした。この道、ルート88につきものの丘を越え、町は過ぎ、干ばつとした土地のおぼつかない道を行き、さらに進み、また丘を越えるのを繰り返す。ローソク5本はより近くなる。辺りは、少しずつではあるが水源豊かな田園地帯に入ってきているようだ。
いよいよその5本は、その5本指を支える肢体を、これからまた延びてゆくロードの上に直接生やしていた。蝋をアスファルトの上へ垂らして、そこへ筒を支えているのかもしれないと思われるほど、道路にぴったりと合っていた。これぞまさにコラージュの、計算されピンセットでそこへ運ばれたような、イメージの置かれ方だった。
丘3を越え、丘4を越え、今やっと重力に沿って車を道に沿わせ下らせていくと、シーソーの一方が反動するように、なめらかに全体が視界に上がってくる。昨日の昼、砂状だと錯覚した外壁は、今は堅牢としてすでに焼かれてしまった瀬戸物のような佇まいをしている。しかしそれは今まさに朝5時から昇った日によって徐々に焼かれ、9時40分、今やっと完成したかのようにその新鮮味は際立っていた。近づいた。車が自動的に、惰性で我々を運ぶ。我々の心は車を越えてすぐ丘のふもとまである。この二日間、違った印象ですでに僕たちの心のクッションの上に肘をつき、僕たちが発見したかのような親密さを持たせ、すでにその中で泳ぎ、自分の家のようにくつろいでいたその姿は、今公式な礼服を着、誰が見ても一目で何物か分かる、名の知れたものに相応しい公的な姿で佇んでいる。それは、年間320万人が訪れるという、聖家族教会―サグラダファミリアだった。
当然ながら、僕も彼女もその名声は見知っていた。メールに届く、旅行クーポンの写真で、そして友人たちがインスタグラムにあげる記念写真で。しかし僕たちは一度もこの土の塊に特別な関心を払ったことがなかった。
今、こうして目の前に据えていると、次々とその名声の理由が、実感となって胸の内にふつふつと湧き上がる。きっと、この石の作品の雲泥のただれがいいんだろう?それに、遠くから見ると一見何の変哲もない土の塊が、近くで見ると視線をあちこちに飛び火さすごとに突飛な詳細に出会い、変化と工夫、発見を拾う。よく見ると、キリストの顔がない。精緻に作られた母体とは別に、顔は四角く、木の断面を張り付けられたままに放置されている。と思えば、精巧に掘られたニワトリの頭部に出会う。増設されたばかりの真新しい石部分が、すでに色の落ち着いた古い石材の中で月のように白く浮かびあがる。石の色とともに、時がパッチワークされたように一つの建物に混在し、組み合わさっている様子を目の当たりにする。
さらに近づくと、正門らしきものの前から人の列が伸びていた。まだ朝の10時だというのに。人の列は、僕たちの行く路の上に垂れていた。ここは田舎道だから道なんてないみたいに。二車両分の幅があったが、サグラダファミリアの向かい側は公園になっていて、そこに繫がっている渡り橋のように見えた。丘の上には教会以外は目立った建物はなく、下には町もなく完全な田園が広がる。この土地は豊かなミズーリ地方の土地が再現されたものか。教会を上に見上げ、下にこの光景を眺め、ルート88の上を蟻の行列のように並んで渡り、向いの広場まで続いている。僕は、ブブ、とクラクションを鳴らした。息で吹き飛ばされた蟻たちのように、人影は瞬時に散って、道は開かれた。僕たちは止まらずに、そのまま車を走行させた。彼女は、窓を開けてサグラダファミリアに圧倒されながら、顔をひきつらせていた。携帯と一眼レフカメラで写真も撮った。と、彼女は言った!「メトロ!」「メトロがあるわ!」ちょうど建物を過ぎたところに四角い赤い看板が立っていて、Mの文字が、逆さに「W」となって書かれている。一瞬WiFiのWかと間違えそうになるけども、地下へと続く階段の入り口には路線図らしい地図がある。艶やかな赤色の塗料に白抜かれた「W」の文字に、まず初め、メトロを想起したのはなぜか。「W」以外にはメトロとしか思えない風貌のサインだから。丘の上の建物はサグラダファミリアと土産物屋のみで、ほとんどが観光客である人々は丘の中へと階段を降り、地中へと消えていく。窓を開け、階段を降りようとしている人にこの文字の意味を尋ねたところ、『ウァイヤレスフリーメトロ』だと言った。
「どこに続いているんだろう―続いているのかしら」僕の爽やかなブルーの声音と、彼女の明度の高いオレンジ色の声音が重なった。自分たちの声の重なりがカリブ海にあるようなエメラルドグリーンの配色になるのを、二人とも感じた。僕たちは声の透明度にかけては国一番の、と言えるほど声のきれいなカップルだった。彼女のオレンジ色の声にキスを捧げる。彼女は僕の喉元に同じ贈り物を返す。
丘を下り、聖家族教会は今、どんどん後ろに去っていく。さようなら。枯葉が落ちるように僕たちの興味も色褪せていき、最後には地に落ち0となり、遠方にぽつんと眺めることが出来るのみ。もしも僕たちが望んだなら、教会の周りに掘りのように走るルート47というのがあって、じっくりと世界遺産を360度から眺めることも可能なようだ。これは、読者の皆様に伝えておきたい。そして記念撮影をするベストな場所は、教会向かいの公園の池の向こう、両脇に鬱蒼する木々の合間に、全体をバックにすること。ただここはコラージュの国だから、この池の中身は何をかくそう、海で、イビサ島の海水がテネリフェ島の砂の、元の池の形にくり抜かれた上に貼られ、張っていて、限りなく透明に近いグリーンの上に、教会をパステル風味に映す。周りには海水魚を釣りにきている人が映り込むことも多々あるようなのでお気をつけください。
ルート47は別名、「〈観光〉通り」と呼ばれるらしい!それぞれのルートには愛称が付いていて、例えば僕たちが来た88は「〈葉っぱ〉通り」、次の目的地、ナイロビタウンを目指す途中にクロスする、ルート27は「〈27は女の盛り〉通り」、アルハンブラ辺りをふらふら流れていた道は「〈ドクター.ふらふら〉通り」だった。この〈ドクターふらふら〉通りは、その酔いどれた道の片足がひらひらとアルハンブラの外壁にまで伸びていて、ちょうど塀を乗り越えるかの辺りで静止し、行き止まりになっている。R.37〈ドクターうつらうつら〉通りというものもあって、これはまっすぐに続いていくかのように見えた道が、時折ジャンクションのように、宙に向かって渦巻きを描き、カーブを描き、昇っていったと思えばどこの道とも交差をせず、ハッと地上に降りてくる。草も少なの乾いた大地を舞台に、独りよがりにダンスする。そしてまたツーーー、と安定しまっすぐに地上を這っていくかと思われば、再び宙にくる、くると。
サグラダファミリアの外周に沿う、これら別名の友人たちに、敢えて寄り道する考えはなかった。空港や駅のムービングウォークに乗っているように、僕たちはルート88に自動的に前へ、前へと運ばれている。それが一番心地いいことを知っている。なにか、綺麗に”横断”ってことに憧れている。1の国で1番長い道をただ突き進んでいくこと。1の国の断面図を覗きながら、貫いていくこと。憧れの「オン・ザ・ロード」では道が主役であり、なるべく他のものに心を奪われてしまいたくないのだ。いくら世界遺産を見つけても、道を進むこと以上に心酔せぬよう、自重している。この長く続く運動に亀裂を入れることに抵抗を感じている。
「フィウ、フィウ!」僕は窓と、天窓を開けた。彼女の肌は色を吸い取るように白いから、顔は落ちていく日の光を鏡みたいに写してオレンジ色になった。今、彼女の声の顔を覗いたようでもあった。明度の高いオレンジ色の美しい声がついに顔を持ち、具現化しているように。彼女は左腕を寄こして、運転している僕の背もたれに肘を付き、余った前腕で僕の旋毛の周りに夕陽を真似た円を描いている。旋毛が赤く光っているように感じる。ラジオを付けると、「カあたルゥぅぅぅぅぅーにゃ、ラあでぃおぉぉ」と、カタカナの部分にアクセントが置かれた高音が車内に響き、続けて夕刻のニュースを流した。チャンネルを変えてKiss FM(http://kissfm.es/player/)にした。
僕たちはそのまま、今夜の宿のあるナイロビタウンまで向かう。
(第06回 了)
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