一条さやかは姉で刑事のあやかのたってのお願いで、渋谷のラブホテル街のど真ん中にある種山教授の家を訪ねる。そこはラブホテル風の建物だが奇妙な博物館で、種山教授は奇妙に高い知性の持ち主で、さやかは姉が担当する奇妙な事件に巻き込まれ・・・。
純文学からホラー小説、文明批評も手がけるマルチジャンル作家による、かる~くて重いラノベ小説!
by 遠藤徹
第03回 (一)象の鼻
といったわたしの失点を、ですから、わたしはここで回復しなくてはならんのであるからして、ここに登場する人物は、なんというのか理想のというのか、イケメン的というのであるか、白馬の王子であるというのか、主人公にふさわしいというのか、とにかくそんな付加価値的、あるいは正倉院宝物殿特別展示というか、そんな非日常の、すばらしい、すべてに報いてくれる、お倉出し的な、そんな・・・、そんな・・・・、そんな、期待はみごとに肩すかしをくらわされた。
「やあ、いらっしゃい」
なぜなら、扉の向こうにいたのは、〝もじゃ〟だったからだ。
もう一度言おう。わたしを出迎えたのは、長い髪がもじゃもじゃと宙を漂う、よれよれの白衣を着た人物であった。
瞳だけが、リスのそれのようにつぶら。
これは、いったい・・・。
若いのか、年をとっているのか? 年齢は不詳。よく見れば目鼻立ちは整っていなくもないような気もするのだが、そんな気づきが無意味に感じられてしまうほど、全体の雰囲気がなんというのかもじゃもじゃしているのだ。つまり、イケてるかイケていないかと問われれば、文句なしに後者ですと即答せざるを得ない人物。がそこにあった、いや、いた。
「あ、先生ですか?」
「いえ、館長です」
へえ、ラブホテルの館長さんですか。
「お客さんですよね」
ちょっと、こっちを探るかのような、大いに期待した感じでもじゃ公が尋ねた。
「いいえ」
残念ながら! わたしはきっぱりと否定した。
「わたし、一条さやかです」
「ああ」
館長は、指先でぼりぼりと頭を掻いた。
「聞いてます。例の、警察の」
「ええ、そっちの関係です」
もじゃもじゃはうんうん、うなずいて、
「了解了解。こんにちは、一条あやかさん。ぼくが種山です」
「ああ、違いますよ」
「えっ、何が違うんですか。ぼくはれっきとした種山、種山龍宏ですよ」
「違いますよ」
「何が違うんですか」
「違ってるところが違ってるんです」
「どこがです?」
「いいですか、先生」
わたしは、人差し指を先生の目の前で立てた。
「先ほど先生がおっしゃいましたところの人物、すなわち警察で刑事をやっておりますのはわたしの姉の一条あやか、そして、このわたしはその妹で花の女子大生であるところの一条さやかなんですよ」
「ああ、妹さんの方でしたか」
わかったわかった、と種山は微笑んだ。
「なんだ、そういうことでしたか。これは失礼いたしました、あやかさん」
この時点でわたしの目はかなりの、眼光炯々状態に達していたと思う。
でも、さっきの二人とは違って、種山というこの男は、まったく気がつかない様子なのだった。炯々しているわたしの目を、ごくごく普通の笑顔で覗き込んで、
「それはそうと、せっかくだから、ちょっと見ていきませんか?」
なんて誘ってきたのだ。
「見るって何をです? ここの部屋には何かおもしろい仕掛けでもあるっていうんですか」
「そりゃあもう」
自信たっぷりにうなずくと、種山は踵を返し、まっすぐに受付のすぐ横の部屋の取っ手を握って手招きした。
「さあどうぞ。まずはこちらから」
部屋番号は一○一。
「皆様ご存知の通り、ワン・オー・ワンは、すべての始まりの番号です」
立て板に水の感じで、種山〝もじゃ〟龍宏は、口上を述べた。
「ですから、ここには、始まりにふさわしく、終わらないものを用意いたしました」
扉が開かれた。
そこには、何の変哲もないラブホテルの部屋があった。全体が白に統一された部屋だった。以前テレビで見た、ジョン・レノンのミュージックビデオを思い出した。曲はもちろん、『イマジン』。そして、わたしの隣にいるのは暇人。
「ほら、これです」
ベッド脇のテーブルに置かれた小さな瓶を、暇人が得意げに指さした。
「なに、これ牛乳瓶じゃないの?」
「そうですよ、牛乳瓶です。正確にはコーヒー牛乳が入っていたのですが」
「んはっ?」
意味不明の言葉が思わず唇の間からこぼれた。言葉を失うというより、もっと脱力的な感じ。わかるでしょ、当然よね、それって。
でも、種山は一向に自分の言動のおかしさに気づかないようだった。
「でもすごいんですよ。どうぞ、遠慮なくご覧ください」
しつこく促すので、しかたなくわたしはベッドサイドのテーブル脇にしゃがみ込んで、瓶の中を覗いた。
なにやら小さなものが動いていた。透明な体。その中に赤い点があり、それがゆらりゆらりとたゆたっている。大きいものでもせいぜい全長一センチくらいだろうか。見ごたえがあるとは、とても言い難い。
「苦労してるんですよ。温度とか、餌とか、水の交換とか」
「なんですか、これ」
「ベニクラゲです」
「ああ、クラゲですか」
なるほど、クラゲですね。もう帰っていいですか。とは、心のつぶやき。にとどめようと思ったのだが、
「で、何がすごいんですか?」
やっぱり尋ねてしまった。
「おやおや」
急に眉をひそめる種山先生。
「いやはや、これは」
と苦笑する種山先生。
「なんなんですか」
と詰め寄るわたし。
「ほんとにご存知ないんですか」
あからさまなブベツ成分を含んでいるかのように響く声をあげる種山。
「ええ、ご存じありませんよ」
「そいつは、驚きだ」
信じられないという風に頭を振ってから、種山はそっと瓶を持ち上げた。それを目の前にかざして、ためつすがめつしながら、
「いいですか、ここにあるのは、ただのクラゲじゃないんです」
「ああ、確かに赤いですしね」
「赤いのは胃袋です。足の部分にある赤い点は目ですよ」
「なるほど、ただのクラゲじゃありませんね」
「ちがうちがう。すごいところはそこじゃないんです」
小さなクラゲたちは、わたしのイライラにも無頓着にたゆたっている。いとしげにそれをつぶらな目で愛でながら、種山がぽつりとこぼす。
「フシなんです」
えっ、フシ。わたしは、その音を漢字に一発変換する。
「父子ですか? この大きいのがお父さんですか」
「違う、その父子じゃない。不死ですよ。いいですか、死なないんですこのクラゲちゃんは」
「そんな」
バカなといいかけてやめるわたし。解説の種山さんが、語り始める。
「このクラゲはストレスを受けると、いったん肉団子状に退化するんですよ。でも、肉団子になってひきこもったクラゲが、なんと若返って出てくるんです。そして、若いポリプに戻る」
「つまり?」
「若返ってまた、生き直すというわけですよ」
「ほんとですか?」
強くうなずいてみせた。
「まあ、もっとも、ここではまだ、成功はしていないんですけどね」
とうなだれた。
「あるいは、若返っているのにわたしが気づいていないだけなのかもしれませんけど」
「いえいえ、先生」
ここで励ましてあげるわたしってえらいと思う。
「きっと、ストレスがないんですよ、ここは」
「ほう」
「だって、ここってラブホでしょ。天国に近い場所じゃないですか」
ちょっと頬をほころばせる種山。
「ああわかりました。昇天する部屋だからってわけですね」
まあ、そんなちょっとアダルトな冗談で濁しはしたものの、わたしだってちょっぴり感銘を受けないではなかったのだ、とここでこっそり告白タイムしておこう。だって、年とってもまた若返っちゃうなんて、かなりうらやましい話じゃない? 種山の話では、実験室では十回続けて若返った個体もあるっていうくらいだから、かなりすごいことになっちゃってるのは確かだった。実際に、このクラゲを本格的に飼育して、人間の若返りとか不老不死とかの特効薬の開発を夢見てる研究者たちだっているのだそうだ。
へえっ、て感じ。トレビアンなトリビアだから、トリビアーンっなんちゃって。
調子づいた種山の奴は、わたしをつづけて隣の一○二号室に連れ込みやがった。あっ、この表現はまずいか?
やはり、何の変哲もないH部屋だった。
「今度はどこがすごいの」
「第二展示室のテーマは」
展示室? これが?
「変容です。人の感覚という尺度を超えた、じんわりとした変容です」
もじゃのくせに、澄まし顔である。似合わないって、それ。
「お客様、どうぞ、あちらのキャビネットをご覧ください」
案内人気取りの種山が指さした先には、小さな食器棚のようなものが設置されていた。繰り返すが、通常のラブホテルの部屋の片隅にである。
「どうぞご自由に。でも、落とさないように気を付けて」
言われて扉を開けると、そこにはいろんな石ころが並べてあった。
「石ですね、先生」
「ええ、石です」
「すばらしかったです」
「まだ見てないじゃないですか」
困った人だとばかり、種山が近くにつかつかと歩み寄ってきて、
「たとえば、これをどうぞ、さあ、手に取って」
そう言ってわたしの手のひらに乗せた。
「ぎぃゃあ」
思わず取り落としたそれを、
あっぶない、あっぶないと、種山はあわてて手を差しのべて拾った。
「なんてことするんです、割れたらどうするんですか。きわめて貴重な石灰華なんですよ」
「だってそれ」
わなわなしているわたし。
「シロアリの仲間の、Blattodeaですけど」
落ち着き払っている種山。
「はぐらかさないでください先生。それをわれわれは通常なんと呼びますか? この終わりのない日常において!」
観念したように、種山の唇が吐き出す。あの忌まわしい名を。
「ゴキブリです」
のけぞるわたし。すぐに、われに返って叫ぶ。
「うわおうっ」
「でも、石ですよ。もはや、石です。少なく見積もっても何百万年ものあいだ、こうして身じろぎもしていないんですよ」
驚いた。そんなに古いとは。なにしろ、白ちゃけてはいたけど、それは、どこから見ても、あいつの姿そのものだったからだ。
「おそらく、数百万年前に彼は餌を求めて鍾乳洞に迷い込んだのでしょう」
種山の目が、遠い目になった。きっと、数百万年前の洞窟を覗き込んでいるのに違いなかった。
「でも、その洞窟で彼は、急激な温度の低下に見舞われた」
種山が声を震わせる。おいおい、しちゃってるのか? 感情移入。
「そのせいで、彼は身動きできなくなった。体が動かなくなってしまったのです。あるいは、洞窟の亀裂に肢先を捕らわれたということであったかもしれませんが」
いずれにせよ、と種山はつづけた。恐山のイタコのように感情をこめて。ってなに、憑依してるってか、ゴキブリの霊が。
「そこに天井から、ぽたり、ぽたり」
「なんですか?」
「石灰質を含んだ水滴ですよ。鍾乳石をつくるあれです。ぽたり、ぽたり。石灰質が彼の体を包む、さらに包む。ぽたり、ぽたり、幾度も幾度も、何年も、何年も。何十年も、そして何百年もぽたり、ぽたり」
「ずいぶん、長いぽたり。ぽたりですね」
「ええ、長いんです。そして、気づけば彼はそのままの姿で石灰化していた。生きながらにして石になってしまったのです」
「わかりました。すばらしいお話です」
わたしはきっぱりと言ってやった。
「ですが、先生。それをわたしの手のひらに乗せようとするのはやめてください」
「これなんかどうです」
まったくめげた様子がない。どういうことだ、このわたしの威嚇が通じないとは? もしかして、この男はよほど肝が据わっているのだろうか? それとも肝が最初っからないのか?
「まさに、石の概念を覆す石ですから」
そんな風にそそのかされて握らされたのは、白っぽい板状の石板だった。
「かまいませんから、両端をもって曲げてみてください」
言われた通りに曲げてみると、くにゃりと曲がった。
「ほんとに石ですか、これ、粘土板じゃないんですか」
当然の疑問をなげかけるわたし。
「石です」
きっぱりとした断言を投げ返す種山。
「雲母質片状珪岩、俗称はこんにゃく石といいましてね、岩石をつくる鉱物のつながり具合が、特定の方向に隙間が多い構造になってまして、それでこんな風に柔軟に曲がるわけですよ」
だからどうした、と心のなかで返していると、鉢に入れられた緑がかった茶色の石が目にはいった。つやつやした表面が、独特の質感を醸し出している。
「あらきれい。これは、なんていう石なんですか」
「ああ、それね」
種山は、鉢ごとそれを持ち上げてじっと見つめた。
「青磁玉っていうんですがね。もうそろそろですよ」
「なにがです」
「それは、次回のお楽しみです」
「次回があるんですか?」
「来ないんですか、もう」
「できることなら、そうしたいです」
「そうですか、・・・それなら」
すこし残念そうにいうと、種山は棚の奥にあった宝石箱のふたを開けた。さまざまな種類の宝石がいくつか入っている。確かに、これも石だ。同じ石でも、ずいぶん違うものだと思っていると、種山が、
「お生まれは何月ですか」
と問うので、
「一応、八月です」
って答えた。一応、ってどういう意味かわかんないけど、なんとなく物欲しげに聞こえない工夫なのかもしれない。そうなのかい、わたしの無意識?
「一応、ですか」
にやりと笑った種山が、宝石たちのうちのひとつ、赤い地層のような筋が入ったのをつまみあげて、わたしの手のひらにのせた。
「これきりということでしたら、記念にこれをさしあげましょう。いや、お名前を間違ったお詫びに、というべきでしょうか」
(第03回 了)
* 『ムネモシュネの地図』は毎月13日に更新されます。
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