今月号の特集は「詩歌の国ニッポン~日本人と五七五」である。古事記の時代から現代までの詩歌の流れがまとめられているのだが、さすがにこりゃちょっとムリがあるなぁと思ってしまった。今はどうか知らないけど、僕らの時代は日本史の授業は明治時代くらいで実質的な時間切れで、大正・昭和の歴史は自分で勉強してくださいという感じだった。ジャンルを文学に限定するとはいえ、約千五百年の詩歌の歴史を一回の特集でまとめるのは難しい。
ただ雑誌にはそれぞれ特徴がある。どうやって特徴をアピールしていくのかはメディア次第で、フロントインタビューだったり特集内容で雑誌の主張を明らかにする場合もある。俳句のようにまずそれぞれに自足した結社があり、それを上から俯瞰しようとするような商業メディアの場合、小説メディアなどよりも編集方針を立てるのが難しい面がある。小説文芸誌は外から見ていると中立中性だろう。しかし実際は自社が推す作家や昔から付き合いのある作家など、さまざまなしがらみに縛られている。いわんや俳壇をやである。
俳句が国民文学だという主張には一理ある。短歌を詠めと言われると尻込みする人が多いが、俳句なら巧拙を問わずたいていの人が詠める。これがけっこうなくせ者で、乱暴な言い方をすれば巧と拙の基準をいくらでも曖昧にできる。ちょっと勉強すれば拙が相対的な巧になるのは当たり前のことだ。じゃあ誰もが認めるような〝巧〟があるのかといえば、究極的には過去の古典作品にしか適用できないだろう。現世の俳壇の顔は、杓子定規に言えば各種有名俳句賞を受賞した俳人ということになるが、これがあまりあてにならない。
文学史をひもとけば明かなように、その歴史に名前を刻む作家は何かを新たに創出した人が多い。いわば表現者としての前衛が文学史を牽引して来たのである。しかしある時期から俳壇は大量の俳句愛好者――つまり俗に一千万人とも言われる俳句初心者をそのフィールドに引き入れる代わりに、広い意味での前衛的意志を放棄したようなところがある。簡単に言えばベテランや若手俳人の作品を問わず、俳句初心者が理解しにくい試みは評価しにくいのだ。お手本になるのは手の届きそうな俳句表現ということになる。
これはこれで仕方のないことだと思う。なんやかんや言ってすべての俳人は、文学の中で一番創作者・読者が多い俳壇の恩恵を受けているのだ。新しい試みを為そうとして冷や飯食いになってしまったと嘆く俳人もいるだろうが、今の文学状況ではメインストリームと冷や飯食いがはっきり分かれているだけ幸せかもしれない。ただ俳壇は今のままでいいと思っている作家も新しいことを為そうとしている作家も、横並びの身の丈を比べ合うのではなく、現世的しがらみのない過去作品を読んで、より高い表現を目指すべきだろう。
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串もち
この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね
そらみつ大和の国は おしなべて 我れこそ居れ
しきなべて 我れこそ居れ
我れにこそは 告らめ 家をも名をも
(雄略天皇『万葉集』巻頭歌)
特集は『古事記』の素戔嗚尊と倭建命の歌から始まっていて、三つめが『万葉集』巻頭に置かれた雄略天皇の歌である。スサオノとヤマトタケルは神話上の人物だが、雄略天皇は実在したと考えられるので、作家と作品が一致している可能性がある。句誌で短歌、しかもその初源に遡るような歌を掲載するのは冒険だが、一つの見識ではあるだろう。
雄略天皇の歌は、よく知られた求婚歌である。籠と「掘串」(菜を摘むためのヘラ)を持った若い娘に、名前を告げて欲しいと言っている。古代日本では、求婚者に名を名乗った時点で婚姻が成立したようだ。この歌から、当たり前だが古代の人々がそれぞれに名前を持ち、雄略天皇のような貴人の場合は考えにくいが、求婚されても娘の方に、原則としてそれを拒否する自由意志が認められていたことがわかる。今とは大きく質が違うが、人間の自我意識と自由意志が古代から連綿と続いていることがわかるから古典は古典なのである。
またこの求婚歌、読めば誰でもわかるように恐ろしく平板である。元歌には節(メロディー)があったと推定されるが、意味的には同じことを繰り返している。雄略天皇の西暦五世紀後半の日本語のボキャブラリは乏しかったということだ。人間の知性は言葉とともに発展してゆくわけだから、古代日本の人々の精神は今とくらべれば単純だったと言えるだろう。ただ雄略天皇求婚歌で表現されているような重畳表現は、長く日本文学に残った。今でもそれはある。日本語は同じ言葉を繰り返すことで精神を強調する古代的心性を忘れていない。饒舌なのに単純なのである。
特集には「日本の詩歌年表」があって、西暦七一二年の『古事記』から始まって、掉尾を飾るのは俵万智の『サラダ記念日』(一九八七年)である。若手・中堅俳人の句集を最後に持ってくるといろいろ問題が起こるので、歌集で年表を締めくくったのだろう。ただこれはこれで示唆的かもしれない。歌壇は今、口語短歌全盛で、様々な意見はあるだろうが俵万智さんがその出発点だというのは衆目の一致するところである。そしてよく知られているように、彼女の短歌は恐ろしく単純なのである。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵万智
特集のアンソロジーで引用されている俵さんの短歌である。牽強付会と思われるかもしれないが、〝饒舌なのに単純〟という点では古代短歌に似た面がある。また一首一首を鑑賞すれば、俵さんの短歌はどこがいいのかと思ってしまうような作品が多い。しかし歌壇は若手歌人を中心として、俵作品よりもさらに饒舌で単純な口語短歌の方に傾いている。
この動向を歌壇だけの現象と見なすのか、日本文学の基盤である短歌の動きは、いずれ文学全般に影響をもたらすと考えるのかは意見が分かれるところである。ただ日本を含む先進国の精神状況がほぼ横並びになった現代、それぞれの国が自国の文化基盤を見つめ直す必要に迫られているのも確かだろう。
知性という意味ではなく、日本語による文学表現という意味で、戦後といわず明治維新からずっと続いてきたヨーロッパ的観念による思考の積み上げが飽和に近づいている気配はある。新しい言語、観念がずっと日本文学を牽引してきたのだ。しかし現代ではこの従来型の新しさの質が変わるかもしれない。俳壇の若手で言えば、関悦司さんよりも鴇田智哉さんの作品の方が、もしかすると現代を反映しているかもしれない。
佐高 やはり、闇は好きですか?
田中 もちろん好きですよ。ただ、見えないから好きというのではなくて、闇が引き受けている〝見えない〟ということのモチベーションですね。「ダークマター」と言われている暗黒物質がありますね。それがあるということが証明されないと、世界は成立しないと言っている人たちがいるんです。どうも質量が合わないと。(中略)土方巽が言っていた「暗黒舞踏」の暗黒というのは、どうもこれと同じような気がする。要するに、暗い、見えないもの、わからいものも、暗さの中にあると思うんですね。そういう意味では、暗さというのは必須条件ですね。
(連載「佐高信の甘口でコンニチハ! ゲスト・田中泯 「芸能者」で在る」)
俳句界連載の「佐高信の甘口でコンニチハ!」の今回のゲストは、なんとダンサーの田中泯さんだった。田中さんはきっと違うとおっしゃるだろうが、僕らにとって泯さんは、土方巽亡き後の暗黒舞踏を背負って立つことを期待されるようなダンサーだった。しかし田中さんは僕らの視界から消えてゆき、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』で俳優として再び表舞台に姿を現した。申し訳ないが、僕らは泯さんの世俗的変節を疑った。だが少しずつ泯さんの言葉が届くようになって、彼はずっと同じ表現者、芸能者であることがわかるようになった。
一九八六年の土方の死から、僕らは暗黒舞踏が衰退し、やがて消滅するのを見てきた。言い方を変えると、暗黒舞踏的なものが、別の表現に、別の審級に移行されなければ生き残れないことを時間をかけて確認してきた。田中泯さんの生き様はその象徴だろう。今から振り返れば、一九八〇年代半ばで戦後的な文化フレームは大きく変わった。あるいは崩れた。俳人だろうと歌人、詩人、小説家であろうと、自己の狭い表現ジャンルだけを見ていたのでは、世界全体の変化を把握することはできない。
岡野隆
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