黒い十人の女
讀賣テレビ(日テレ系)
木曜日 11:59~
1961年の市川崑監督の映画作品『黒い十人の女』のリメイクである。これまでにも単発でのドラマ化、また舞台にかかってもいる。もっとも今回、ストーリーは別の展開になるらしい。さすがに50年以上も前の話のオチは、視聴者を納得させがたいだろう。男に都合がよすぎるのは現代的ではない。
にもかかわらず引っ張り出されてきたのは、普遍的なテーマだからではある。「不倫です。みなさんが大好物の。(10股)」というコピーはあまりにも品がないが、関西の局だし脚本バカリズムだし、わかりやすくていいか。深夜枠に自らはまり込もうとしているみたいだけれど。
テレビ局のプロデューサー風松吉が、美しい妻を持ちながら9人の女と浮気する。ようはそれだけの話で、女たちは松吉に振り回されることに疲れ、愛想をつかそうとしたり、殺意を抱いたり、というわけだ。その辺りの心象風景は確かにいつの世も同じだろう。そして驚くべきことに、風松吉の職業は、55年前もテレビ局のプロデューサーだったらしい。不倫=テレビ局のプロデューサー という構図も昔ながらなのか。
そこから考えると、「みなさんが大好物の不倫」という異和感のあるキャッチコピーもなんとなく腑に落ちる。55年前、テレビ局のプロデューサーなどというのは最先端の特殊な人種だったはずだ。そうでなければ説明がつかない女好きだったろう。それは立派な社長や政治家が二号さんを囲うのとも違うのだ。ようは単なる好き者で、手出しするのは局の周辺にいる女たちだ。
ギョーカイ話が普遍性を持ち得るのは、そのギョーカイが最先端で日の出の勢いのときだけだ。斜陽と言われて久しいテレビ業界で、そのインサイダーたちの伝統的「大好物」がすなわち視聴者の大好物でもあるはずだという決めつけは、妙なローカル性や時代錯誤を感じさせるが、その自らの位置付けを「深夜」に置くのは正確な判断だ。
ともあれ「不倫」は映像制作の口実に過ぎない。そもそもそれは現象で、テーマではないのだから。なんの口実かと言えば、絵を撮るために決まっている。好き者揃いが作ったものであれ、映像は作品とならねばならない。平和な家庭より不倫の方が絵になるのは、その設定でしか撮れないシーンがあるからだ。
まず女優をたくさん使える。綺麗どころに個性派をとりまぜて10人もいるなら、谷崎潤一郎の『細雪』どころではない。テレビ局プロデューサーの10股というのは、好き者インサイダーたちの夢である以前に、映像制作者たちにとっての夢のような好都合でもある。もちろんギャランティ交渉をはじめとする予算の問題はあろうが、現代は AKB48 からの数撃ちゃシステムなのである。
そして女たちがケツをまくって怒鳴りあったり、コップの水をかけあったりする。こういう絵だって撮るのは楽しかろう。映像の緊張感こそ「みなさんの大好物」のはずだ。今回、女たちの罵る言葉は関西ノリなのか、あまりに女らしくなく漫画チックな光景になっているが、そこからあっさりと共感しあう様子はおかしくもリアリティがある。一番の見どころは、女たちの諦念から生まれた不思議な連帯感だ。
田山了一
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