鶴山裕司さんの連載エセー『続続・言葉と骨董』『第030回 李朝のお膳(前編)』をアップしましたぁ。今回は朝鮮(李朝時代)のお膳のお話です。ちょい長いので今日と明日の2回に分けてアップします。『言葉と骨董』のバックナンバーを見ていただければわかりますが、鶴山さんの興味範囲は広いです。ヨーロッパから中東、それに日本を含むアジア全域が守備範囲のやうです。
あ、そういえば鶴山さんは、日本の詩人(自由詩の詩史上)で初めて中東・イスラーム世界を真正面から描いた詩人です。詩集『国書』は「東方」「西方」「中東」「極東」「新大陸」の5章から構成され、各章に5篇ずつ作品が収録されています。刊行は2012年ですが、2000年頃から鶴山さんはイスラーム世界についての詩を書いておられます。さすが詩人の感性のアンテナは鋭いですね。処女詩集『東方の書』の頃から〝世界視線〟をお持ちの詩人ですが、その同時代的な焦点がイスラーム世界に注がれ始めているやうな気配です。鶴山さん、政治ぢゃなく思想面ですがイスラームについて詳しいでふ。
新月と共に新たな時が始まる土地を行く マツカからマデイーナへの預言者の聖遷(ヒジユラ)を暦の始まりとし この世でただ一つの神の啓示の書である聖典(クルアーン)に帰依する人々の土地を行く イスラームは世界を覆う共同体(ウンマ)であり 一つの言語 一つの民族が国境を画することはない だが今は様々な形状に分断された神の領土 飛行機の窓からインドネシアの密林が見える 太平洋とインド洋に挟まれた亜熱帯の島国 「どこかで断ち切られたのです 精神的全体性が失われたのです わたしたちはそれを取り戻さなければなりません」 首都の高層マンシヨンの一室で 流暢な英語を喋りインドネシア語で書く作家はそう言つた
(詩集『国書』より詩篇「中東」冒頭)
詩集『国書』収録の詩篇「中東」の冒頭で、この詩篇はインドネシアからパレスチナに至る広大なイスラーム圏を移動してゆきます。不肖・石川は、鶴山さんはすんごい旅行好きなんだろうなぁと思っていたのですが、ある時「日本列島の外に出たことないよ」とおっしゃったのでびっくらしました。「一度も海外旅行したことないんですか?」「ない。石川クンはあるの?じゃあパスポート持ってるんだ。すごいなぁ」といふ会話を交わしたのでした。イマドキ海外に行ったことがなひなんて、海を見たことがない群馬県人くらひ貴重かも…。でも一度も海外に行かないで『国書』のやうな詩集を書くなんて、そっちの方がすごひと思いますぅ(爆)。
■ 鶴山裕司 連載エセー『続続・言葉と骨董』『第030回 李朝のお膳(前編)』 ■