宇多田ヒカルの声を聴かないと眠れない、ような気がする晩がある。では昔からの大ファンか、というと、別にそういうわけでもない。なに、行きずりの者でございますという感じで、何かの弾みにフラッシュバックしたり、どこかで耳にすると動かないで聴いていたりする。ファンとか好きとかいうのではなく、ほとんど肉体的な嗜好だ。
だから、たとえば「宇多田ヒカルがお気に入りのあなたにおすすめのアーチスト」を表示するというサービスは無意味だ。「女性ヴォーカル(邦楽)」が好みなわけでもないし、倉木麻衣が宇多田ヒカルに似ているとも思わない。肉体的な嗜好なのだから、香菜が好きなあなたに三ツ葉をおすすめすると言われても困る。
ドラマ「HERO」の前作、特に欠かさずに観てはいなかったが、その終わる頃になんとなくチャンネルを合わせて、宇多田ヒカルのエンディングテーマ「Can You Keep A Secret ?」を最後まで聴いていたのを思い出す。まさに行きずりなのだが、宇多田ヒカルなら何でもいいかというと、そうでもない。あの声質を生かす曲というのは、かなり限定されるもののようだ。どんな料理にも香菜を放り込めばいいというわけではないのと同様に。
そしてあの声質が存分に味わえる、切羽詰まった系の、また切ない系の楽曲において、このレビューでこんなことを書くのは矛盾しているけれど、歌詞なんてほとんどどうだっていいっちゃいい。先の「Can You Keep A Secret ?」にしても、検事ドラマの内容に多少すり合わせたと思しき以外、何を言ってるのかよくわからない。
そういうわけで私は宇多田ヒカルの声に、香菜と同じ程度の中毒症状を呈している。これは専ら肉体的なレベルのもので、アーチストとしての評価が何たらといったファンというわけではない、と繰り返しておく。つまりそれは中毒だからひどくなることはあっても、飽きるということはなさそうだ。そのあたりは人には説明できないし、実際、中毒に理由なんてない。
「だけどそれじゃ苦しくて/毎日会いたくて/この気持ちどうすればいいの?」と歌う「Addicted To You」は、たぶん宇多田ヒカルの声が持つ中毒性を自己言及的に説明しているのであって、と言いたいところだが、歌う本人が自分の声に addicted ということもないだろうから、やはりあくまで「Addicted To You」という恋の歌なのだろうか。
いずれにしても楽曲は音楽で、歌詞など音を並べる口実に過ぎない、と決めつけてしまうには、あまりに不思議な符合が起こることがしばしばだ。宇多田ヒカルの声質は肉体的なものであり、それへの私の嗜好も肉体的なものであって、彼女の人格とか見識とかは知らないのだけれど、それでもこの「Addicted To You」が一番しっくりきて、聴いていて安心する。中毒になってもいいのだ、仕方ないんだ、と慰められるのである。
その声は天性の、というよりは遺伝的なものに違いないけれど、しかし藤圭子のそれと似ているとは思えない。そしてたとえば神田沙也加の声は松田聖子にそっくりだが、いつまでも聴いていたいとまでは思わない。声質の遺伝ではなく、もっと別のレベルでの “ 美声遺伝子 ”とでもいうべきものがあるのだろうか。またあらためて別稿を立てたい。
小原眞紀子
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■