ごぶごぶ
MBS(毎日放送)
毎週火曜日 夜11時53分~
東京に出て来た大阪の人が、テレビで毎日放送や関西テレビ、朝日放送が映らないことを知って、心から大阪に帰りたいと思ったという話を聞いたことがある。もちろん関西でも東京のテレビ局が作った全国ネット番組は流れているわけだから、大阪の人がもの足りなく感じるのは、いわゆる関西ローカル番組が映らないことにある。テレビ界でも覇権を握っているのは東京の放送局と制作会社で、そこで作られた番組が全国のローカル放送局に売られて放送されているわけだが、関西だけは例外で独自制作の番組を数多く放送している。
テレビは基本的に受動的なメディアであり、なんとなく見ているうちに目と言葉から情報が入ってくる。それは確実に人間の日常の一部分を形作ってゆくわけで、テレビ番組の構成がだいぶ違う東京と大阪では、人間の日常感覚が少し違っているということになろうか。先頃お亡くなりになったやしきたかじんさん司会の『たかじんのそこまで言って委員会』などでは、東京では自主規制されてしまうような議論が飛び交っている。それが可能なのはやはり、関西の視聴者の価値観や倫理感などのメンタリティが番組を支持しているからだろう。
『ごぶごぶ』は毎日放送制作の深夜番組で、ダウンタウンの浜田雅功さんとロンドンブーツ2号の田村敦さんが関西の街を散策するロケバラエティ番組である。『ごぶごぶ』というタイトルはお笑い界のドンとなりつつある浜田さんと、その相方の田村さん、スタッフなどが〝五分五分〟の立場で番組を作るという意図らしい。もちろんお笑い界に限らずどの世界でも序列(プレステージ)は確実に存在する。浜田さんと淳さん、スタッフが対等ということはあり得ない。つまりこの番組の意図は五分五分という設定(建前)で、どれだけ面白い番組を作れるのかということにある。
とはいっても『ごぶごぶ』は実に行き当たりばったりの番組である。番組はプロデューサーや演出家の企画(ほとんど思いつき)や視聴者からのハガキで進む。プロデューサーの発案でスクラッチ宝くじで大もうけしようということになり、一時間の放送中、浜田さんと淳さんがひたすらコインでクジを削っていたりする。視聴者からのハガキでおいしいお菓子屋さん巡りをする回では、行ってみたらお店が閉まっていたこともあった。スタッフが事前にセッティングを済ませてロケを行う東京の放送局では考えられない展開である。低予算番組であることを隠しもしないわけだが、だからこそタレントの能力が際立つ番組である。
『ごぶごぶ』は少し前まで浜田さんの相方を東野幸治さんが務めていたが、淳さんになってから格段に番組の質が上がった。東野さんが面白くなかったわけではないが、浜田さんと旧知の仲である彼よりも、明らかに浜田さんよりも若手で、かつ若いお笑いタレントの中では頭一つ飛び抜けている淳さんとの間の緊張感が良いリズムを作りだしているのである。また淳さんは自分の冠番組『ロンドンハーツ』では、主にお笑いタレントたちに、お金と時間をたっぷりかけた周到なトラップを仕掛けている。『ごぶごぶ』はそれとは正反対で、タレントの力だけで笑いを取る番組なのである。しかし淳さんは、そのような番組の意図を瞬時に理解している。
ロンドンブーツ、というより淳さんの芸風は〝本音暴露芸〟である。この芸風は従来のお笑い界にはない斬新なものだった。当初は浮気調査など素人相手の本音暴露を行っていたが、じょじょにより面白いリアクションを引き出せるタレントを素材にする本音暴露番組にシフトするようになった。タレントの場合、本音が重層化する面白さがある。タレントは清楚、強気、ケチなどのパブリックイメージをまとってテレビに登場しているわけだが、淳さんはそれを徹底的に壊してゆく。パブリックイメージを壊されたタレントがそのまま沈んでゆくかといえば、そうでもない。年齢や芸歴に応じてタレントも従来のパブリックイメージから脱却したいと望んでいるのであり、それを淳さんが手助けしている面もある。その意味で『ロンドンハーツ』は一種のタレント再生工場でもある。
『ごぶごぶ』での淳さんはやたらといい人に見える。それが彼の素だと言うよりは、番組の意図を理解しているためだろう。浜田さん本来のやんちゃぶりを引き出すためには、自分が常識的でしっかり者である必要を理解しているようだ。東野さんも同じような立ち位置を取ろうとはしていたが、芸風が浜田さんとかぶっていることが透けて見えてしまっていた。東野さんは好きにさせれば浜田さんと同様のやんちゃ者なのである。しかし淳さんはほぼ完璧にいい人を演じている。にも関わらず、浜田さんの影に隠れて目立たないということはない。淳さんの意図はしっかり視聴者に伝わっている。他のタレント(才能)を活かすことに本質的な喜びを感じているからだろう。淳さんは一種のタレントプロデューサーであり、共演者を活かすことができる珍しい才能を持っている。
もちろん浜田さんのリアクションは申し分ない。淳さんが料理を始めると、すぐにお手伝いをさぼり始める。淳さんが街の人につかまって話しこむと、彼らを置いて一人で歩き出す。次のロケ地まで歩くのがイヤだと言ってぐずる。それをほぼ完璧な浜田モード(いい人モード)になった淳さんがなだめるところに笑いが生まれる。このあうんの呼吸は優れたお笑いタレントでなければ生み出せない。『ごぶごぶ』に淳さんが登場してから、なんとなく画面が明るくなったように感じる。大阪出身ではない淳さんが持っている異和感が、新しい笑いのパターンを生み出した証左なのではないかと思う。
松本人志さん企画の大晦日の『笑ってはいけない』が放送倫理委員会で議論されるなど、テレビ業界にも規制・自主規制の波が押し寄せている。東京に比べれば関西系テレビ局の規制は緩いと言えるだろうが、それでも様々な規制があることには変わりない。そのような大きな流れに真正面から逆らうのは馬鹿げていると思うが、それを換骨奪胎して骨抜きにしてゆくところがタレントや制作者側の腕の見せどころだろう。
関西系のバラエティ番組には、『ごぶごぶ』と同じ趣向の番組が多数ある。低予算でタレントのお笑い能力に丸投げといった番組である。しかしそこではっきりタレントの力の差が出ると思う。浜田さんや淳さんは『ごぶごぶ』で関西系テレビのノリに合わせている。東京に戻れば戻ったで、その風土でのお笑いのノリに合わせられる能力を持っているのである。それが関西スターと全国区のお笑いスターの違いだろう。簡単に言えば東京の放送局では現地の風土(日常性)とは明らかに異質の関西のお笑いを持ち込み、関西の番組ではそこはかとなく大阪ノリとは違う笑いを生じさせるのである。土着的なお笑いしかできないタレントは、東京あるいは大阪ローカルのお笑いタレントにしかなれないわけである。
大阪力、東北力といった地方ならではの文化的風土は確実にあると思う。それを活かして全国区にするためには、実質的に文化・経済の中心となっている東京の文化風土を的確に理解する必要がある。東京は建前文化であり、なにをするにしても面倒な、時には不必要とも感じられる手続きを求められる。この本題に入る前の建前を壊すことに無上の喜びを感じるのは大阪文化だろう。どう建前を壊してゆくのかが東京文化へのカウンターカルチャーなのであり、建前を壊してしまえば大事に守らなければならない実質(内実)など、ほとんどなかったことがわかるはずである。徒手空拳でテレビの前に立つ全国区の大阪系のお笑いタレントの番組は面白い。ルールを守りながら既成の秩序や規制を壊す方法を教えてくれるからである。
田山了一
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■