古い本である。しかし売れ続け、このところまた言及されることが多い。一種のハウツー本として、即効性を期待されている面もあろうか。が、方法論としては個人的にすぎるし、議論としてはやはり、やや時代遅れの雰囲気も否めない。
しかし読んでいて、なるほど腑に落ちるところは多分にある。それは存外に「整理学」といったハウツー的な部分ではなくて、生活上の実感にちかいところ、肉体感覚に訴える箇所である。知的な職業においてもスポーツ選手などと同様に、より効率を求めて日々、試行錯誤する、その痕跡と言えばよいか。
確かにその部分は、人間の肉体が関わっている以上、時代を経てもそう変わるものではない。たとえば、人間の脳は朝が一番冴えていて、しかも(健康的な意味で)楽天的だ、といったことは誰もが実感するのではないか。それを思えば、試験がたいてい午前中に集中しているのも、夏休みには午前中に宿題をやることが推奨されるのも、なんとなくはわかるだろう。ただ、こういうことはそんなふうに説明されても、だから何なんだ、つまらんことを偉そうに、といった反応も予想される。
思うに、人間にとっては朝が黄金期なのだ、ということを実感するのは、かなり年配になってからではないか。午後になってがっくり疲れ、夕方になると容貌が衰える、といった実感は、24時間エネルギーに満ち、むしろ持て余している若い人にはぴんとこないのが普通だろう。その違いが肉体に響くからこそ、朝起きてからブランチまでの間にひと仕事を終え、食後に短く眠ってもう一度、朝を迎えるという本書に書かれた工夫に意味が出てくる。
ここでは「朝」とは文字通りの朝でなはなく、「眠って起きた直後」ということだ。体力のある若い人は長時間、眠ることができて、寝起きは気分も機嫌も悪いことが多い。したがって、できるだけ就寝時間を後ろにずらし、元気いっぱいの活動時間を引き延ばそうとする。しかし年配者は疲労しやすく、活動は長時間は続かない。一方で、睡眠にも体力が必要だから、睡眠も長くは続かない。短く眠って爽やかに目覚めた後のしばらくの時間が貴重なのだ。
ものの考え方、捉え方のコツといったものも、若い頃のがむしゃらな吸収力、記憶力が衰えてきた後の工夫がノウハウとして確立されていることが多いと思う。何でもいいからやってしまえ、というパワーがあるうちは、ノウハウなんぞ目に入らない。要領よくやろうとすること自体、一種の衰えである。
そういった類いの、年配者の感慨なども交えながら書かれている本書は、東大や京大などの学生に、代々読み継がれているという。若いくせに、そんな年寄りの言うことに納得してしまう老成ぶりが嫌だとも言えるし、それが優秀さだと言うこともできよう。
しかしところで、15分か20分、短く眠って活力を復活させるとか、企業にもシェスタ(昼寝)の制度を取り込もうとかいった効率を高める試みが最近、広く知られるようになってきた。本書が再び注目されているのも、そういったところにあるのかもしれない。東大生どころか、小学生からして忙しすぎて、へろへろになって老成するしかない今日であるらしい。
金井純
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