無人島0円生活
テレビ朝日
8月23日(土)21:00~/24日(日)20:30~
『いきなり!黄金伝説。』の節約企画の一環として始まり、すでに10年である。好評につき、独立した不定期特別番組となったものだ。よゐこ濱口の「とったどー」という雄叫び、その突き上げられた銛の先で蠢く魚は確かに、老若男女の琴線に触れた。しかも回を追うごとに、魚採りがだんだん上手くなっていった。
そもそも「節約」という範疇に入れるのに無理があった企画であり、もちろんその無理スジが面白くはあったのだが、こんなに豪勢な遊びはない。番組予算としてはどうか知らないが、いくら調味料しか渡されてないと言っても、誰もいない場所への交通費も含め、アウトドアに金がかかるのは常識だ。つまり文無しの浮浪者を真似ようとすると、大金がかかるという矛盾だ。それでもそれは我々の心の奥底を激しく揺さぶる。
『いきなり!黄金伝説。』の節約企画は、貧乏臭いと言えば貧乏クサイが、それがコンセプトなんだから仕方ない。この企画の背景には長い不況があり、その当時は「節約を楽しむ」みたいな番組があちこちで見られたのだ。それがあまり目につかなくなった今、やはり少しずつ景気は上向いているのかもしれない。
その節約企画は、もちろん電気代もたいして気にせず、呑気にテレビを観ていられる層が楽しみながら眺めるわけで、しかしそこには「こうやって、一ヶ月一万円でも暮らしていけるじゃないか」という確認と安堵というのも混ざっていたように思う。もちろんそれはゲームであり、豪華な食べ物をオモチャにするテレビ番組企画の裏返しでもあった。その罪ほろぼしなのか、あるいは不景気で番組予算削減の対策だったか、いずれ数字が高いか安いかだけの違いしかない。が、それは要は我々の生活そのものも数字が変わろうと大差ない、ということをも示している。
エンゲル係数や可処分所得の額が変わろうと、本質的に大差ないとなると、その本質のありかを見たくなる。調味料以外の食料自給自足という無人島生活ではまず金銭が意味を持たない。浮浪者同様でありながら豪奢というあり様に、何かしら本質の影を見ようとするのは視聴者として当然の期待だ。
部屋の中での一ヶ月一万円生活と、短く豪奢な無人島0円生活との共通点は、孤独感ということだろう。無人島の方は二人一組なのだが、社会と隔絶していること、そもそも「0円」だろうと「10万円」持っていようと、使えない金に意味はない。一方で節約生活は金を残すこと、すなわち金の使える浮世というものが部屋の外に拡がっていることが大前提だ。それでも両者には、社会との距離感を感じさせるという、ある意味テレビにあるまじき共通点がある。
我々テレビの視聴者は、適度な経済状態の中で、他者との適度な距離をとって暮らしている。それが浮世というものだ。ときに、大金持ちになる、あるいは一ヶ月一万円で暮らさなくてはならなくなる、または無人島で過ごすという極端な夢を見たくなる。テレビの前であっても。
ところで無人島に持っていってよいものに、調味料のほか「小麦粉」というのがあって、ちょっと気になる。小麦粉は主食らしきものをつくれると同時に、揚げ物の材料でもある。海に囲まれた環境で、刺身、焼き物、煮物、揚げ物、うどんめいたもの、と揃えばフルコースだ。豪勢な絵を作るには、米より小麦粉なのだ、とわかるという次第。
田山了一