池田浩さんの文芸誌時評『No.004 小説NON 2014年04月号』をアップしましたぁ。大崎梢さんの新連載『空色の小鳥』を取り上げて家族サスペンス小説について考察しておられます。文学金魚で連載中の菜穂実さんの『ケータイ小説』や外賀伊織さんの『ぐるぐる』も家族サスペンス小説にカテゴライズできるかもしれませんね。
池田さんは現代のミステリーについて、『卑小化した個人の目に入らない、漠然とした世界の大きさ、という以上のものではない。謎は常に外部にあり、到達したところで・・・そんなものからすら疎外されていた我が身の小ささを思うだけだ』と書いておられます。Mysteryは謎や不可思議といふ意味ですが、情報化社会では確かにミステリーはなくなりつつあります。他業界・業種、他民族・宗教などはミステリアスに見えますが、それらはもはやロマンではなく情報の一種と化しています。
ミステリーに対峙させて池田さんは、『サスペンスとは宙吊り状態の意で、読者がその運命を我がことのように感じなくてはならない』とした上で、ミステリーが失われつつある現状では、『登場人物の運命の行く末を一緒にたどる、といったことが期待できる可能性は・・・ほとんど、ファミリービジネスと呼ばれるもの以外、難しいかもしれない』と書いておられます。
情報化社会とは、一人の人間が膨大な情報にさらされることだけではありません。自らもまた情報の発信源となって、巨大な情報化社会の歯車に組み込まれることをも意味します。また情報は小さなコミュニティ向けのものでも、巨大メディアによって増幅されたものであっても基本的には等価です。インターネット社会では原則世界中から情報にアクセスできるのであり、情報が有用だと考える人たちがいれば、その情報の質の如何に関わらず大きな影響を与えることができます。
もちろんマスメディアは情報化時代だからこそ巨大なマルチ化を目指わけですが、中心のないフラットな情報群が社会のベースであることは変わりません。つまりミステリー(謎、不可思議)はないけど、誰もがサスペンス――宙ぶらりんの緊張状態に置かれることになります。マスメディアが情報を喧伝しても、読者は他の情報があることを知っている。また自分でも情報を発信できる。しかし決定打はどこにもない。軸となる思考を措定できないまま、今日はこの情報、明日はこの情報に振り回され続けるわけです。STAP細胞問題とかがまさにそうですね(爆)。
このような状況の中で、静かに、でも劇的に変わり始めているのは家族関係かもしれません。池田さんは『家族小説の特徴は、すべての謎の答えが自分たちの内部にある、ということだ』と書いておられますが、そのとおり。現代社会は人間が作り出したのです。じっと足元を見つめることは、情報化社会では大変有効な方法だと思います。
■ 池田浩 文芸誌時評『No.004 小説NON 2014年04月号』 ■