山際恭子さんのTVドラマ批評『No.041 明日、ママがいない』をアップしましたぁ。明日夜10時から日テレで第7話が放送されます。様々な議論を呼び起こしているドラマです。
山際さんの言葉で問題点をまとめれば、『親に捨てられるということがすでに子供にとっては被害だが、被害者をいつまでも被害者のままにしておくべきではない。そこから本当に立ち上がるには、被害から回復するのではなく、〈被害〉を逆手にとるぐらいの強さが必要なのだ・・・が、それをしてもいいのは、それをしようという覚悟ができた者だけだ。・・・問題はそこまで行き着く途中で、必ずしもそんな覚悟の用意もなく、また強要されるいわれもない現実の子供たちに与えてしまう影響である』といふことになると思います。山際さんの指摘は他の多くの社会問題にも言えることだと思います。
『明日ママ』への激しいバッシングは、ユーザーが無料で視聴できるテレビ番組だから起こった面があると思います。小説・映画・演劇は、ユーザーがお金を払い時間を割いて楽しむ能動的メディアです。不快な内容だろうと、ある程度の予備情報を与えられているユーザーが自分から選択したのなら問題ない。人間の情操教育には恐怖や残酷さも必要です。しかしテレビは受動的メディアです。スイッチを入れれば画面から情報が飛び込んでくる。
テレビは基本的に、タダだから漫然と見ている視聴者をグッと惹き付けて、一人でも多くの人に番組と一緒に商品を宣伝するために、視聴率という数字を指標にスポンサーからお金を集めているメディアです。極論を言えば情報操作につながるような刷り込みも可能です。だからテレビ関係者は『見たくないならチャンネルを変えろ』と言ってはならない。むしろ流す情報を予め精査して、その結果に責任を持たなければなりません。番組内容はもちろん商品情報の適正さに至るまで、いわゆる放送(倫理)コードが厳然としてあるわけです。
問題は『明日ママ』が放送コードに抵触しているかどうかですが、これは人によって意見が分かれると思います。テレビ関係者から、あの内容ならバッシングを受けるに決まっているという批判がありました。しかし一方で、パターン化されたヒューマンドラマを繰り返していていいものかという議論もあります。『明日ママ』は施設長と子供たちが、親に捨てられたという厳しい現実を真正面から受けとめる新しいタイプのドラマです。ドラマ的に誇張されているにせよ、子供たち全員の将来を保証する力のない施設長が、現実認識に基づく自立を促すのはあり得ることです。また子供たちが、施設長による一種の教育によって強い自立精神を育むこともあり得る。立場や考え方によって評価は異なりますが、様々な議論を呼び起こす貴重なドラマだと思います。
■ 【02月25日】 山際恭子 TVドラマ批評『No.041 明日、ママがいない』 ■