土曜ワイド劇場『帝銀事件 大量殺人・獄中32年の死刑囚』
・放送日 昭和55年(1980年)1月26日(土)
・時間 21:02~23:44PM
・系列 テレビ朝日系
・脚本 新藤兼人
・監督 森崎東
警察署の入口で穏やかな表情を浮かべながら画家平沢貞通(仲谷昇)を出迎える古志田警部補(田中邦衛)は、平沢を「先生」と呼んでご機嫌を取りつつ彼を署内の一室へと案内するが、二人の部下が自分よりも遅れて到着してくるなり彼らを激しく睨みつけ、緊迫した空気の中、どこかぎこちない芝居を開始する。「お前たち、一体どういう心でいるんだ。ここにおられるのは有名な平沢大暲画伯だ。先生は松井博士と名刺を交換されたばかりに、とても今度の事件に関心をお持ちくださって犯人逮捕にご尽力くださっている。それなのにお前たちはなんてざまだ。申し訳ないと思わないのか。申し訳ないと思ったら、先生のそばに行ってよくお詫びしろ!」脇まで寄って来て詫びを入れる二人に対して、平沢は少々困惑気味に軽く会釈するが、次の瞬間、部下は両脇から平沢の腕をしっかりと掴み、すぐさま手錠をかける。古志田は持っていた封筒を破り捨てると、手を震わせながらも彼の眼前に逮捕状を突きつけて、こう言う。「平沢さん、あんたを帝銀事件容疑者として逮捕します。」これまで、捜査の傍流としてほとんど相手にされていなかった名刺捜査班の古志田警部補は、自らの判断に確信を抱きながら地道な捜査活動を続け、ついに帝銀事件の犯人を捕まえたのである。
戦後の占領期である昭和23年(1948年)に帝国銀行椎名町支店で発生した集団毒殺事件、通称「帝銀事件」を題材にしたテレビ映画『帝銀事件』(1980)は、犯行の様子、捜査活動、逮捕した平沢の供述、そして裁判の模様に至るまでを極めて克明に描いた「ドキュメンタリードラマ(再現ドラマ)」である。実際の帝銀事件は、今なお真相が究明されていない不可解な事件として知られている。その最大の焦点は、素人には到底真似できない毒物の扱い方から、細菌兵器の研究を秘密裏に進めていた旧日本軍・731部隊関係者の犯行である可能性が強く疑われていたにも関わらず、その捜査がGHQの命令によって突如禁じられ、代わりに類似の事件で証拠品となっていた「松井蔚」名刺の捜査から、著名な画家であった平沢貞通が無理やり犯人に仕立て上げられた冤罪事件なのではないか、という点だ。このドラマも平沢が冤罪かどうかを追求する後半の取り調べや裁判の様子が大きなみどころとなっている。また、『帝銀事件』が放送された1月26日というのは、32年前に実際の事件が起こったのと同じ日付である。つまり、この番組はドラマというフィクションの体裁を保ちつつも、現実という外部をうまくリンクさせることで、実際の帝銀事件の「ドキュメンタリー」としてのリアリティを視聴者に与えようとしている。
当時の読売新聞にはこのドラマを「タイムリーだが客観的すぎる」とするやや批判的な紹介文が掲載されているが、それはある意味ではもっともな意見だ。物語の大半を占めるナレーションの落ち着いた声は、事件の進展を簡潔に伝えるだけで、葛藤や苦悩といった平沢の内面を決して掘り下げたりはしない。また、平沢がシロであることを証明するような材料もいくつか提示されるのだが、それによって彼の無実を断定的に主張しているようにもみえず、かといって731部隊関連の人物が犯人である可能性が詳しく検討されるわけでもない。2時間を越す長尺にも関わらず、劇的な展開というのはほとんどなく、映像としての見せ場はドラマ冒頭で綿密に再現された犯行の様子と、最初に記述した平沢逮捕の瞬間くらいなのである。後は、平沢の供述(動機、アリバイ、奪った金の使途)とナレーションによる冷静な事件の検証が延々と続く。そして、昭和25年(1950年)の一審において、裁判所が平沢に死刑判決を下すところで、このドラマは突然終わってしまうのである。何らかの答えを期待して見ていた者にとって、この結末は消化不良なはずだ。じゃあ結局犯人は誰だったんだと、この番組を見終わった当時の視聴者が漏らす不満の声が聞こえてくるようである。あるいは、あれだけ平沢のアリバイがしっかりと吟味されたにも関わらず、死刑宣告による突然の終結は、やはり731部隊に関するGHQの陰謀は存在したのだとわれわれを納得させるかもしれない。いずれにしろ、その死刑判決のシーンは事実の客観的描写ではある。決め手となる確実な物的証拠が存在しなかったためか、放送当時も刑は執行されないまま現実世界の平沢はなおも獄中にいたのであり、ドラマで断定的な意見を表明することは難しかったのかもしれない(結局平沢は、放送から7年後の1987年にそのまま獄中で病死してしまう)。とはいえ、そう納得したところで居心地の悪さは消えない。良質なドキュメンタリーとして評価するにはドラマという体裁が邪魔なのであり、優れたドラマとして評価するには現実があまりに直接的にリンクされ、なおかつその描写が客観的すぎるのである。
しかし、この客観性なるものに固執すると、この場面が実際の事件とは違うとか、あの事実がきちんと言及されていないなど、現実との関係性のみでこのドラマを論じてしまうような過ちを犯しかねない。そもそもこのドラマがあらゆる側面において客観的かというと決してそんなことはなく、ここには演出という名のフィクションがまぎれもなく存在している。そして、ドキュメンタリーと呼ぶにはこのドラマにおけるフィクションの効果はあまりにも大きい。そのフィクションは、客観性という名の真実らしさの背後に紛れることで、逆説的にもわれわれの内に深く別の「事実」を刻み込むことになる。
そういったフィクション性がはっきりと打ち出されている印象的な場面が二つある。一つは物語中盤、古志田警部補がGHQのイートン中佐と廊下ですれ違う場面、もう一つは終盤、古志田警部補とそのイートン中佐が事件解決の祝賀会で握手を交わす場面である。
731部隊関連の捜査が着々と進み、犯人が軍関係者である可能性が高まる一方で、古志田警部補はかなり早い段階から軍とは無関係の画家平沢貞通が犯人であることを確信していた。平沢が捜査線上に浮上したのは、帝銀事件とよく似た手口の未遂事件を調査したところ、そこで犯人が使用した「松井蔚」博士の名刺を平沢が所持していることが判明したからであるが、警察が作成したモンタージュ写真とそっくりであったり、当日のアリバイに不審な点が見受けられたりしたことで、その容疑はさらに強まった。古志田は、平沢に対するそうした容疑をまとめた「画家平沢貞通に関する容疑二十一箇条」を携えて上司の山村刑事部長(浜田寅彦)と面会し、その書類を読んでくれと必死に懇願する。731部隊関連の人物が犯人である可能性を強く信じている山村は怪訝な表情を浮かべながら、警視庁から出る捜査費用では足りず、自費で捜査をしているという古志田に対してどうしてそんなことをするのだと厳しく詰問する。「それは平沢を犯人だと信じておるからであります。」そう涙ながらに訴える古志田を見て、一応は読んでおくと約束した山村の言葉に対して無言で会釈をすると、古志田は部屋を退出し、廊下をやや急ぎ足で進んで行く。
古志田がGHQのイートン中佐とすれ違うのはその時である。前方からやってくる中佐(と二世の服部中尉)に気づいた古志田は道をあけるように脇へ寄るが、顔を上げて挨拶することもなく、平沢のことで頭が一杯であるかのように、俯き加減のまま足早にその場を通り過ぎてゆく(図1)。古志田とすれ違いで部屋へと入っていったイートン中佐と山村刑事部長との間の会話の様子は映像では示されない。しかし、ナレーションによって、そこでの談合が731部隊に関する捜査の中止の命令であったことが示唆される。山村から捜査の中止を指示された731部隊担当の明石警部補(中谷一郎)は当然これに納得がいかず、「GHQの将校が来ただけで、捜査方針が変わるのですか」と激しく食って掛かるが、山村ははっきりとこう言う。「いや、捜査は変わらない。今まで通り続ける。しかし、帝銀事件と731は関係なくなった。」
【図1】
軍関係者の中に犯人がいると考えていたのは当の山村刑事部長もまたそうなのであって、納得できないのは彼も同様である。捜査は振り出しに戻ったわけで、その事態に茫然とするしかない。そんな状況の中、再び古志田が山村の部屋に戻ってくる。先ほど手渡した「平沢容疑二十一箇条」を読んでくれたかと尋ねる古志田に対して、そっけなく「読んだ」と答えたきり、山村は口を噤んだままソファに深く腰掛け、疲れた表情を示している。手応えのなさを感じとった古志田は、また出直しますといって静かに部屋から立ち去ろうとするが、山村が呼び止め、平沢を逮捕しに北海道へ行って来るように命じる。古志田はついに逮捕の許可が出たことにいささか驚きつつも、大急ぎで列車に飛び乗り小樽へと向かう。
ここでわれわれは、苦渋の決断の末に導きだされた平沢逮捕の命令の背後にある山村刑事部長の葛藤と、その命令に対する古志田の受け止め方には決定的な理解のずれがあることを認識する。古志田にとって731部隊は帝銀事件と始めから関係がない。彼は当初から平沢が犯人であることを確信していたのであり、逮捕の許可が下りたのも、山村が平沢の容疑に納得したが故だと理解したかのようにみえる。「誤解」と呼べるほどにはあからさまではないかもしれないが、それでも――あるいはそれゆえにと言うべきか――ここで示されている表面上(画面上)の利害の一致と両者の内面のずれはどことなく不穏である。
実際、平沢逮捕後も警察の多くが彼をシロと見ていた。しかし、平沢が過去に詐欺事件を起こしていたという事実が発覚すると――詐欺に関しては平沢はすぐに犯行を認めた――、捜査方針は一転し、平沢に帝銀事件の自白を強要する壮絶な取り調べが開始されることになる。そして、結局平沢は自白をし、帝銀事件の犯行を認める。「自白こそ証拠の女王」だとされていた当時の悪しき慣習により、これで事件は解決したとみなされ、署内では盛大な祝賀会が開かれている。そこで古志田はイートン中佐から「オメデトウゴザイマス」と言われ、それに対して深々とお辞儀をしながら「どうもありがとうございます!」と嬉しそうに答え、彼とかたい握手を交わすのである(図2)。
【図2】
アメリカ人イートン中佐と握手する古志田警部補。この瞬間がどこか恐ろしいのは、山村から下りた逮捕の許可を古志田が誤解していたように、ここでも古志田とイートン中佐との間には握手の意味をめぐって理解のずれがあるように思えるからだ。古志田はGHQが命じた軍関連の捜査中止という圧力には何ら影響を受けておらず、すでに述べたように、自らの捜査のみで平沢が犯人であることを当初から確信していた。したがって古志田にとってGHQの人間との握手の意味は、平沢逮捕の功績の賞賛ではあっても、731部隊の捜査中止命令に絡む彼らの策略の推進への協力に対する感謝などではありえないのである。しかし、かつて目も合わせることなく廊下ですれ違っていた二人の人物が、あたかも両者の思惑が一致したところでこの大事件が解決したかのように、こうして握手を交わしている。本来まったく別物であったものが、客観的に明示されたこの握手の映像によって、当初から一つの連関した事実であったのかのように認識される。この誤ったつながりによって何が起きているのか。それは冤罪に対する責任の転嫁である。
『帝銀事件』で忘れてはならないのは、もし平沢が冤罪であるならば、それに対する古志田警部補の責任が何らかのかたちで問われなければならないという点だ。しかし、この握手はGHQによる圧力こそが、平沢を犯人に仕立て上げたという印象を無意識の内にわれわれに植え付ける。ここで冤罪に対する責任はGHQへと横滑りしていく。なぜなら、帝銀事件にGHQの陰謀が絡んでおり、その結果、無実の平沢が逮捕されたのだという物語が強固に構築されればされるほど、GHQの介入以前から執拗に平沢を追求していた古志田警部補の責任が徐々に隠蔽されていくからである。さらに、古志田はこの握手の意味を純粋に平沢逮捕への賞賛と捉えているようにみえる点が厄介だ。古志田にとってGHQの陰謀など与り知らぬことである。したがってその陰謀論と平沢逮捕の因果関係が確立されれば、冤罪に対する自己の責任意識はますます薄れていくだろう。祝賀会のシーンの最後、イートン中佐が事件解決を称える演説を終えると、思わずこぼれ落ちてしまったとでも言うかのような満面の笑みを浮かべながら拍手する古志田を捉えたショットが示される。それは本当に陰のない笑顔だ。だが、そこに重ねられた「古志田警部補には名誉ある警視総監賞が授与された」というナレーションは事実の客観的描写などではなく、GHQのことなど私は何も知らなかったと、無知ゆえに責任を回避するという可能性を保持してしまった古志田に対する痛烈な皮肉以外のなにものでもない。そして、まさにこの古志田の屈託のない笑顔の直後から、『帝銀事件』のクライマックスとなる平沢の裁判シーンが開始されるのである。
『帝銀事件』を古志田警部補に焦点を合わせて考えてみる時、このドラマが原爆投下の記録映像、そして、マッカーサーと昭和天皇が並んで写るあの有名な写真で始まっていたことを思い出さずにはいられない。事実として客観的に提示されているアメリカ人と日本人が二人並んだ写真。彼らの思惑は果たして一致していたであろうか。日本の戦後はこうして始まったのである。『帝銀事件』は、単に実際の帝銀事件を客観的に描写してみせたドキュメンタリードラマなのではない。それは古志田警部補という人物にあてがわれたフィクションを通して、責任をめぐる何か別の真実を照らし出そうとしている。
木原圭翔
■ 予測できない天災に備えておきませうね ■